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カテゴリ:茅ヶ崎市歴史散策
相模川方面へは5月11日(水)にも訪れたが、この日は旧東海道の南側にある中島地区の寺社史蹟
巡りに出かけた。その前に見落としていた萩園地区にある「六天社」経由で向かった。 5月24日(火) 13:55 鶴嶺通りを西へ進み、右前方の建物は「アルバック」。 鶴嶺八幡宮の前を通る道路で、最近は愛車のリンちゃんで利用するが道幅が狭いのがネック。 鶴嶺通りは産業道路のここ交差点で終了。 産業道路(県道46号線 相模原茅ヶ崎線)。 スマホの目的地を「第六天」にセットして北上。 迷いながらもどうにかとうちゃこ。道路の向かい側の三角地に社が建つ。 第六天社 所在地:神奈川県茅ケ崎市萩園 産業道路(県道46号線 相模原茅ヶ崎線)沿いの西側に建っている。 産業道路の南側を望む。 この狭い角地に建っている第六天社。 産業道路から裏道に入り社前へ。 背後を産業道路が走る。 鳥居の扁額「第六天」 鳥居の上部も風化している。 第六天社の社。 社前にしめ縄が飾られていたが由緒がなく詳細は不明。 境内隅に「道祖神」が建つ。 向かい側に建つ「業務スーパー」。 第六天社から住宅街を南下、中島への途中にある先日訪れた「新田八幡宮」へ向かう。 前方の高層ビルは集合住宅の「エンゼル茅ヶ崎リバーヴェール」。 新田八幡宮(しんでんはちまんぐう) 所在地:神奈川県茅ケ崎市平太夫新田78 境内に建つ「松下平太夫」と刻まれた石塔。 市内には江戸時代の村が23ありましたが、新田という名を付けていたのは平太夫新田だけです。 新田とは、不毛な原野や大きな河川の流域などを耕作できるよう開発した土地のこと。戦国時代 には戦国大名が、江戸時代には幕府や藩、村、農民、町人などが開発を進めました。特に江戸時 代に多く行われ、全国の耕作地は倍増したといわれています。平太夫新田は松下平太夫という者 が開いたといわれています。 「新編相模国風土記稿」によると、「民戸十」とあることから平太夫新田が小さな村だったこと が伺えます。1855年(安政2年)は村人70人、1886年(明治19年)には家数13、人数61と記録 にあります。 新田とはいうものの、村の土地は水田に向かず、主な生業は、畑作と川漁でした。相模川は天災 の元でしたが、生活の糧をもたらすものでもあったようです。 出典は、【参考文献/茅ヶ崎市史1】、第4回「平太夫新田」茅ヶ崎の轍による。 石塔の正面には「三諦院法源居士 松下平太夫」の文字が彫られています。平太夫新田 ではこの松下平太夫を偲んで、毎年11月30日に、塔の前で供養を続けています。 後方のビルは「エンゼル茅ヶ崎リバーヴェール」。 石塔に「三諦院法源居士 松下平太夫」の字が確認できた。 新田八幡宮の西側に新興住宅地。 道路にはみ出した墓地があり、通り抜けると相模川の東岸。 西側から、新田八幡宮を振り返る。 この後、新田八幡宮を後にし相模川左岸を南下する。 須賀夕映え公園 所在地:神奈川県平塚市須賀2646-11 相模川の左岸から下り住宅地の中にある公園である。 この公園は平塚市の飛地で、この辺りにも新興住宅地が広がる。 公園入口に建つ「須賀夕映え公園」 公園の隅に建つ、 彦右衛門新田(ひこうえもんしんでん) 現在この地は「須賀」の地名を残していますが、かつては、相模川対岸河口「須賀村」の飛地で した。この地は「彦右衛門新田」と呼ばれ、江戸時代前期に新たに開発された畑地でした。彦右 衛門新田は、この地を開発した清田彦右衛門に名からとったものです。 彦右衛門新田の記録としては、寛文五年(1665)の「相州大住郡須賀村御繩打御水帳(検地帳)写」 が残っており、彦右衛門新田がそれ以前に開発された新田であることがわかります。代官坪井治 右衛門の検知によって確定した広さは、九町四反八畝二〇歩(94,000㎡)で、市内でも最も開発 面積の大きい新田でした。 平成十三年(2001)三月 平塚市 公園の隅に建つ「防災倉庫 須賀新田自治会」。 道路には平塚市のマンホール蓋。 マンホールには、「須賀 湘南ひらつか たなばた」「2015 おすい」と。 こちらのマンホールには、「須賀 湘南ひらつか たなばた」「2016 うすい」と。 平塚市のマンホールには、設置場所の地名が入っている。 相模川の左岸に上がり、城山ダムの写真。 この施設は、城山ダムから放流する時危険を呼びかけるための施設です。 その施設を確認しなかったが。 相模川の河川敷にある「ジェットフィールド湘南」 所在地:神奈川県平塚市須賀2755 相模川の左岸から東を望む。 畑の奥の左に「リステージ茅ヶ崎ツインマークス」、「ダイヤパレスエクシード茅ヶ崎」が建つ。 この辺りは県道46号線(産業道路)の西側で農地が広がる。また、平塚市の飛地があり撮影地点は 平塚市。畑は茅ヶ崎市区域である。 相模川の東側に平塚市須賀の飛地が広がる。黄色の線が市境。 14:40 国道1号の新田入口交差点。 道路脇に平塚市の市境表示板が建つ。 平塚側の馬入橋へ。 14:40 国道1号の茅ヶ崎側。 ー 続く ー お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.08.31 10:05:46
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