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おじん0523のヒロ散歩

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2023.03.18
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カテゴリ:鎌倉市歴史散策
今日の目的地である「鎌倉市腰越の寺社史蹟巡り」を続ける。

2月12日(日) 14:35
真言宗 宝善院 (ほうぜんいん)
所在地:神奈川県鎌倉市腰越5丁目13-17
スマホの案内で住宅街を抜けると道路脇に「宝善院 寺標」の石柱が建っていた。
細い参道の奥に山門が見えた。


寺号標石には「真言宗 加持山 宝善院」と。


寺号標石から細い参道を進み山門。


山門前左上に墓地があり、入口に地蔵堂。


山門の扁額「加持山」。


山門前に貼られていた、
「祖先とは遠き昔にありて しかも現今に子孫の 上に生きつつあるものである」と。


山門前右側に建つ寺号標石「真言宗 寶善院」。


左側の石柱には、
「小田急沿線武相観世音第三十二番加持山」
「東國 新四國 第八十六番霊場寶善院」と。


山門前左上に墓地がありその入口に立つ石柱に「寶善院墓地」と刻まれていた。


地蔵堂の中に立つ地蔵尊。


山門から振り返る。


山門にかかる提灯には「三つ鱗」の紋。


山門を潜ると石畳の参道の先に本堂。
参道には「奉納 南無十一面観世音菩薩」と書かれた多くの赤い旗が立っていた。


宝善院(真言宗大覚寺派)は、加持山霊山寺・泰澄山瑠璃光寺という2つの山号寺号をもつ寺院。
創建は天平神護年間 (765年~767年) とされている。
開山の泰澄は、「越の大徳」(越前・越中・越後) で並ぶ者のいないほどの徳の高い僧と呼ばれて
いた。加賀の白山を開いた人物。
開山の泰澄は、信仰していた十一面観音像をこの地に祀った。
江戸時代には、この寺の僧が龍口明神社の別当に任じられたこともあると。


本堂の扁額「寶善院」。


本堂脇に掲げられていた「本尊 薬師如来」。


本堂の右側には「十一面観世音菩薩」と。


本堂前から山門を振り返る。


白梅が咲いていた。


満開の白梅。


本堂前右側に「十一面観音 観音堂」の石柱。
石柱の左横には「十一面観音像修復寄附者御芳名」碑。


十一面観音像修復寄附者御芳名碑
金五百萬圓 住職 井上全康
金弐百萬圓    岩本泰明
金壱百萬円    新倉正一 大山民治    
   と高額寄附者名
金壱萬圓     山口弘こ 小松早智子 豊田スエコ    


こちらの石碑には「真言宗 宝善院」。
石碑には「般若心経」がふりがな付きで書かれていた。


境内は綺麗に整備され石碑、社が建っていた。


社の前には「寄附 南無大師返照金剛」と刻まれた石柱。


社の中には「弘法大師像」。


綺麗に整姿された松の下には石碑が立つ。


石碑には「加持山 寶善院 興隆碑」と。


本堂側を望む。


枝垂れ梅の下に「羅漢像」と刻まれた石碑。


境内から山門を望む。


宝善院の東側に道を挟んで立派な「宝善院弘法大師堂」が建っていた。


宝善院弘法大師堂に掲げられている扁額「大師堂」。


大師堂から裏に廻り観音堂。


本堂裏、観音堂。


大師堂を北側から望む。


大師堂前から宝善院の境内を見る。


宝善院を後にし次の目的地へと移動。


腰越3丁目を走る江ノ電の線路に向けて南下、振り返ると、交差点の中にゴミ収集場所。
その5差路の真ん中に「道祖神塔群」があった。


道祖神塔群の廻りはフェンスで囲まれていた。


道祖神塔
道祖神は道路の悪霊を防いで道行く人を守ってくれる神様です。
石塔①は神官姿と考えられる像を浮き彫りにした道祖神です。文化十三年(1816年)に氏子(氏
神様を信じる人達)により建立されたものです。腰越にある年号の記載されてある道祖神の中で
最も古い道祖神です。
石塔②も神官姿と考えられる像を浮き彫りにした道祖神です。像の右に「天下泰平」と彫られ
ています。
石塔③は「道祖神」と文字を彫った道祖神です。安政七年(1860年)に岡田兵左衛門により建立
されたものです。
石塔④も「道祖神」と文字を彫った道祖神です。慶応四年(1868年)の建立です。下の台石には
「三ケ街」とあり、中原町、下町及び土橋の世話人の名前が刻まれています。
石塔⑤は上部を欠く、文字を彫った道祖神です。
小型の道祖神、石塔⑥と⑦があります。
毎年一月の左義長(どんと、サイト)の時にはそのうちの一つが海岸に移されお祀りされます。
      (詳しくは「腰越まちづくり市民懇話会」のホームページ)
                   腰越まちづくり市民懇話会
 平成二十九年十二月         腰越地区町内組織連絡会


これらの道祖神は移設されここへ集められたのか。


道祖神塔から海に向って進むと右側の奥に「稲荷社」があった。


社の後方から。
Googleマップの写真では「鳥居と石祠」であったので違うのか?
しかし案内では「トウチャコ」と。


14:50
腰越大船線 (県道304号線) へ戻り、神戸川に架かる本龍寺橋。


本龍寺橋のネームプレート。


14:55
迷いながらどうにか本龍寺山門へ到着。



                                     ー 続く ー





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最終更新日  2023.03.18 15:22:56
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