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おじん0523のヒロ散歩

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2024.02.11
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カテゴリ:ヒロ散歩


”飯山観音長谷寺” の駐車場から階段を上り2段目のエリアを散策。

1月24日(水) 12:55
持仏殿前に聳える、かながわの名木100選に選定されている ”飯山観音のイヌマキ”


飯山観音のイヌマキの下には、地蔵像、手水舎、句碑が建っていた。


句碑と地蔵。


句碑には「犬槇の・・・・・・ 白○」 。


句碑の裏面には、
白〇(はくぼう) 姓は前島、名は幸視、大正二年埼玉県に生まれる。戦後、東京池袋に出版業
国文社を創立。俳誌「河原」同人、俳人協会会員。
彫句は第三句集「観無量寿経変相図」所出のものである。
この句は天然記念物に指定されている犬槇の裏側、すなわち暗い北側から眼下に広がる満開の
花の海を見下ろしている作品である。句の眼目は、その花の海が鮮明に見えるところにある。
ここのところをたしかめて読誦していただければ幸甚である。
   昭和六十一年十月吉日
           河原主宰 川島彷〇子
             同人 辛崎 修羅
             〃  本杉 桃林
               〃  阿部 弘子
             現住 陸應  代


地蔵は小さな社で囲われていた。
前には4つの大きなミカンが供えられていた。


六地蔵が並ぶ。


右奥は有料駐車場からの道であるが寺関係者のみの道路である。


サクラのつぼみが膨らんでいたが河津桜であろうか。


あと数日で開花するのでは。


観音堂への最後の階段。
階段の両側には奉納された多くの石燈籠が立っている。


階段右下の小さな池と五重塔、観音様。
ここにもミカンが供えられていた。


天国への階段の如くに・・・。


階段を上ると正面に「観音堂」。
長谷寺は、神奈川県厚木市飯山にある高野山真言宗の寺院。山号は飯上山。
本尊は十一面観世音菩薩で、坂東三十三観音霊場第六番札所、東国花の寺百ヶ寺神奈川六番札
所である。飯山観音とも称される。


階段を上ると右側に、「銅鐘」。
銅鐘は、神奈川県指定重要文化財に指定されている。


神奈川県指定重要文化財
  銅鐘(嘉吉二年) 一基
               平成二年二月十三日指定
本銅鐘は室町時代の嘉吉二年(1442)の年紀を有し、刻銘には銅鐘製作の経緯が細かく記されて
います。それによりますと、毛利庄飯山の新長谷寺が嘉吉二年の春、火災により焼失したため、
新堂宇の再建に先立ち、人々の銅鐘鋳造への強い願いから、麓の金剛寺住僧であった誾勝が、
多くの信者から寄付を募り、同年の四月五日に完成したといいます。
焼失から短期間のうちに再建がはかられたことは、観音堂、新長谷寺、金剛寺の力が大きなも
のであったことを示しています。
鐘を製作したのは、飯山の鋳工大和権守清原國光、銘は建長寺の心林によるものです。
『新編相模国風土記稿』の飯山村観音堂の項には、観音堂は長谷の観音といい、飯山寺と号し、
別当は長谷寺であると記されています。
中世飯山の寺院に係る信仰活動や飯山の鋳物師の様相を知ることができる貴重な銅鐘であると
いえます。
     総高 一四一センチ   口径 八一センチ
   平成二十二年三月                 厚木市教育委員会


階段上から振り返える。


常香炉
仏様にお香を供え、その煙を浴びることで心身を清めることができる場です。体の悪いところ
にその煙をかけると悪い部分が治ると言われております。線香の束に火をつけ手で払い、なる
べく煙が上がったらそのまま常香炉に刺して身を清めましょうと。
もう何度も行っているのだが今だ・・・。信仰心が薄いからか・・・。


観音堂 (本堂)
観音堂の建築年代は18世紀中期と推定され、昭和37年4月に厚木市有形文化財に指定された。
御本尊は、木造十一面観世音菩薩立像。
屋根は宝形造の銅板葺であるが、当初は茅葺であった。


厚木市指定有形文化財
  長谷寺観音堂
               昭和三十七年四月二十日指定
当山は飯山観音の通称で親しまれ、坂東三十三観音霊場第六番の札所です。この観音堂(本堂)
は江戸時代に建立されたものと推定されます。正方形平面で、屋根は宝形造の銅板葺ですが、
当初は茅葺でした。向拝(ごはい)は当初からのものとみられますが、軒唐破風(のきからはふ)
はのちに付加されたものと推定されています。四周には木口縁を巡らし、擬宝珠高欄をまわし
ています。
観音堂の正面中央間とその両脇間は両折桟唐戸(もろおれさんからど)、両隅間は連子窓という
古風な構えを見せ、側面も前一間を両折桟唐戸としています。
いわゆる「密教本堂形式」と呼ばれる仏堂の形式で、堂内は内陣と外陣が格子戸によって結界
されています。内陣は仏様の空間で一般の人は立ち入ることができません。各地の観音霊場寺
院などに多く見られる形式です。外陣は、桟唐戸や連子窓を用いて地方仏堂らしい一面も見せ
ています。内陣には寛文十二年(1672)に飯山村の大工・西海半右衛門によって建立された一間
厨子が安置され、その中に本尊の木造十一面観世音菩薩立像が納められています。
   令和二年九月                      厚木市教育委員会


観音堂前から境内を振り返る。
中央に常香炉、両側には石燈籠が並ぶ。左奥に銅鐘。


向拝は当初からのものとみられるが、軒唐破風はのちに付加されたものであると。


向拝の彫り物。


右側の木鼻。


観音堂には二枚の扁額「飯山寺」「長谷寺」が掲げられている。


本堂左側の木組み。まさに匠の業である。


右側も対称に。


立ち並ぶ石燈籠。


石燈籠建立記念碑
当山境内及び参道に建立されております石灯籠は観音堂屋根葺替工事資金調達の
一事業としてご協力を頂いたものであります。
浄業完遂に大きく寄与されたものであります。
ここにご奉納各家のご繁栄を心よりご祈念申し上げます。   合掌
    平成元年十一月三日
                  現住 隆應代  


観音堂(本堂)の周りに ”坂東三十三観音様” が祀られている。
階段を上って来ると観音堂に向かって左側から時計周りに ”坂東第一番" から始まっている。
境内の東側には ”坂東 第三十三番"。
台座の横面に何か刻まれていたのだが。


坂東 第三十二番


観音堂に向かって右側に石碑。
石碑には「頌徳 安藤覚先生之碑 
       厚生大臣 園田直 謹書」


安藤覚先生 略歴
先生は飯山5051番地に憲三氏の四男として明治丗二年六月十六日誕生。大正十一年四月日大
文学部宗教科夜間部に入学 仝十四年三月卒業。昭和十二年六月讀賣新聞社に入社政治部長
編輯局次長として活躍其手腕を認められ十七年翼賛政治体制〇議会推薦神奈川県第三区より衆
議院議員選挙に立候補當選し大日本翼賛会連絡部長内閣参與内務省委員に就任 翌年内閣行政
委員に補せらる。昭和廿一年五月公職追放令により追放廿六年六月解除其間悠々自適農耕に又
社会教化の為め活躍。昭和廿八年自由党に入党同党公認にて衆議院選挙に立候補当選農林水産
委員に。翌年十一月三木武吉氏を中心に日本自由党結成八人の侍の一人として清廉潔白・・・
・・・・・中略・・・・・
本國と韓國との条約並に一般協定に関する特別委員会委員長に就任十二月韓國京城で行われた
日韓条約批准書交換式典特派大使顧問にて出席無事任務を果して帰朝。
昭和四十二年十一月廿七日午前五時十二分肝臓癌のため六十八歳を一期として逝去痛恨に不堪。
同日特〇を以て正四位に叙せられ勲二等旭日重光章を追〇された。
昭和四十二年十二月厚木市葬を以て遇せらる。
  法号 大本山総持寺顧問廣廣徳寺十六世大心覚堂大和尚禅師


境内にはいろんな石碑が建っていた。
"坂東 第三十一番”
左側に石碑が建っていたが風化して判読できなかった。


左側の句碑には「松風の 桜並木に とどきけり」
作者の名は「泉山」? である。


右側の碑も「浄〇碑」
漢字のみが刻まれていたがこちらも風化して判読できなかった。
折角なら説明文でも欲しいものだが。


クスノキの大木であったか根元から ”銅鐘” を望むが廻りにはいろんな石碑が建っている。


後方(観音堂の右側)には、”坂東 第三十番 ~ ” が並んでいる。


こちらにも二つの石碑があったが。


境内の右側から観音堂を見る。


観音堂への参道の左側へ廻る。


背丈2メートル以上の宝篋印塔が建っていた。


箸観音
厚木市・飯山の恒例「箸供養」。毎年、多くの人が訪れこの行事が実施される。
かつては十一月三日に行われていたようだが。


箸観音像建立の主旨
凡そ生命を維持する衣食住のうち食を司る箸、ある時は慶び、ある時は悲しみの箸となって、
太古より今日までその姿、形を変えることなく日々恵みを受けて参りました。ここに、箸観音
像を建立し、納めの箸をご供養申しあげ食生活の安泰を祈念するものであります。
  具一切功徳 慈眼視衆生
  福聚海無量 是故應頂禮
   乃至法界 平等普遍
     平成二年十一月三日


白壁で囲まれた中にミカンが供えられた墓碑が並んでいたが説明板がなく不詳。


13:15
畜霊供養塔
   厚木市畜産会会長 石井忠重書
左後方には「鶏魂供養塔」の碑も建っていた。



                                     ー 続く ー





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最終更新日  2024.02.11 03:00:09
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