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カテゴリ:近隣の市の歴史散策
真言宗橋澤山 正覺寺 (しょうかくじ) を後にし、次の目的地「戸田の渡し跡」へ。
3月18日(月) 14:55 スマホの案内で北上、県道22号線(横浜伊勢原線)の門沢橋西側へ。 道路角に ”北町の道祖神” が建っていた。 ![]() 前方はJR相模線を越える跨線橋「門沢橋」で横浜方面へ。朝夕は渋滞するエリアである。 跨線橋下には相模線の「門沢橋駅」がある。 ![]() 北町の道祖神前にはお供え物。 ![]() 県道22号線(横浜伊勢原線)を伊勢原方面へ進み、戸沢橋東交差点。 朝夕は、この先の戸沢橋がネックでいつも渋滞している。 ![]() 海湘丸 海老名店 所在地:神奈川県海老名市門沢橋2丁目23-5 和とアジアの風情が融合したモダンな店内で、地魚の刺身盛り、金目鯛や伊勢海老、マグロの 一品料理を提供。ランチあり。個室と駐車場完備も完備している。 目的地はここ戸沢橋東交差点を左折。 ![]() 15:00 戸田の渡し跡 (門沢橋の大山不動) 所在地:神奈川県海老名市門沢橋3丁目8-6 戸沢橋東交差点から南下すると、赤い柵で囲まれた ”門沢橋の大山不動” がある。傍に地上数メ ートルで切られたイチョウの木。後方は圏央道の高架橋。 ![]() 戸田の渡し跡 市南部の本郷から門沢橋にぬける大山道は、「柏尾道(かしおみち)」ともいわれ、往時門沢橋付 近で「戸田の渡し」では船二隻を常備していた。門沢橋は、かつて旅籠、茶屋などがあり賑わ いのある宿場であった。また、安藤広重もこの地を訪れ、「相州大山道中戸田の渡し」の浮世絵 を製作している。 平成4年3月13日 海老名市教育委員会 ![]() 門沢橋の大山不動 台座には「大山」、 塔婆には「寶塔者為大山柏尾道不動尊安穏三昧也 願主 門澤橋不動構」と。 ![]() 大山不動をズームアップ。 ![]() ”門沢橋の大山不動” から西側へ進み相模川の河川敷へ。 かつての相模川は水量も多かったのであろうが。 ![]() 対岸の厚木市側にも「戸田の渡し跡」があるので、後日 ”戸沢橋” を渡り訪れたい。 ![]() 小枝の先に富士山が薄く見えていた。 ![]() 東側を振り返る。圏央道の高架橋が南北に走る。 ![]() 河川敷の林の中には、今はやりの ”グランピング ?” 。 ![]() ”門沢橋の大山不動” は県道22号線(横浜伊勢原線)が渋滞時の裏道沿いに建っている。 ![]() 大山不動前から大山道(柏尾道)を東方向へ進む。 大山道の北側に ”日枝社鳥居” 。説明板はなかったがネット情報から。 ![]() 境内の奥に日枝社祠、右に道祖神。 ![]() 道祖神をズームアップ。 ![]() 15:10 更に大山道を進むと十字路に石鳥居。 ![]() 渋谷神社 所在地:神奈川県海老名市門沢橋4丁目11-14 渋谷神社の創建年代等は不詳ながら、江戸時代初期の創建ではないかと推定され、神寿稲荷と 称し、門沢橋村の鎮守社だったといいます。明治6年村社に列格、明治7年渋谷神社と改称して います。社号の渋谷は、庄名(寒川町から海老名市にかけて)より付けたものであると。 ![]() 石鳥居の扁額「澁谷神社」。 ![]() 社号標石には「村社澁谷神社」と。 ![]() 狛犬の阿形像(右側)。 ![]() 狛犬の吽形像(左側)。 ![]() 渋谷神社の敷地は南北に長く、奥に社殿。 右側は社務所であろうか。 ![]() 注連縄で飾られた手水舎と手水鉢。 ![]() 鐘楼、鳥居を振り返る。 ![]() 渋谷神社 本殿 海老名市指定重要文化財 平成十五年四月三十日指定 渋谷神社は、江戸時代に神寿稲荷(稲荷社)と称し、旧門沢橋村の鎮守であった。現在の渋谷神 社に名称を改めたのは、明治七年である。江戸時代の延宝七年(1679)鋳造の鐘を鐘楼にかけて いたので、その成立は同時代初期に遡ると思われる。勧請の年代は不詳であるが、古社である ことは間違いないと思われる。 本殿は、間口四尺の一間社流造りの建物で、覆殿内部に安置されている。建築年代は、本殿内 にある棟札から、寛保元年(1741)と推定される。また同じ棟札から、作者が地元の工匠である ことが判明している。 母屋は、正面両脇の小壁に上り龍や下り龍の彫物をはめ、頭貫の木鼻は、正面を獅子と獏の彫 物、背面は象鼻と絵様木鼻である。また中備には、草花を彫った蟇股を置くなど、小規模な建 物ながら、彫物装飾を効果的に用いた造りとなっている。 当本殿は、斗栱の形式、虹梁の絵様や、木部と彫物すべてに当初から彩色が施されている点な ど、十八世紀の中ごろの特長をよく示しているうえ、保存状態も良い。また、当時としては彫 刻を多く用いるのは珍しい。 以上のように、本物件は、十八世紀前期の標準的な遺構として貴重であり、保護の価値がある と認められるため、市指定重要文化財に指定したものである。 平成十六年九月 海老名市教育委員会 ![]() 拝 殿 ご祭神は「寒川名神ノ御支枝」の加牟之田之命(かむのいわれのみこと)とも、倉荷魂命(うかの みたまのみこと)ともいわれますと。 また、毎年7月には神輿の担ぎ手が相模川の水で清めた後、大山道沿いに置かれた燃え盛る麦わ らの束を踏んで通るという神事が行われている。 ![]() 拝殿の木鼻。 ![]() 拝殿の龍の彫り物。 ![]() 拝殿には三個の鈴。 ![]() 拝殿の右側に背の高い建物。 ![]() 建物の扁額は「宝物殿」と。 神輿が納められているのであろうか。 ![]() 境内から西側の路地へ出て社殿を望む。 ![]() 同場所から南側を。 ![]() 15:20 大山道(柏尾道)をスマホの案内で東へ進むと足もとに目的地の「浄土宗 浄久寺」の名。 ![]() ー 続く ー お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.03.23 03:00:07
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