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おじん0523のヒロ散歩

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2024.05.22
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カテゴリ:ヒロ散歩


日本100名城の「山中城」は自宅から片道50キロで、手頃なドライブコースになっておりもう
何度も訪れている。
ツツジが咲く時期に訪れていなかったため1週間前に案内所へ電話をし開花状況を聞いた。
その後天気が不順で行く時期を考えていたが、この日は久しぶりに天気が良く富士も見えてい
たので、息子家族が来ているにもかかわらず朝食もせずに出かけた。

”山中城からの富士山とツツジとのコラボ”、この写真が撮りたくて。


4月28日(日) 6:25
国道1号鳥井戸橋交差点から愛車ノートの車窓にうっすらと左富士が見えていた。


西湘バイパスを走り箱根新道を上る。正面に箱根の電波塔が見える。


前方の橋は、旧東海道の畑宿辺りにある「国指定史跡 箱根旧街道の石畳橋」。


箱根峠
神奈川県と静岡県の県境にある標高846mの箱根峠。


国道1号を下りここを左折して旧国道1号へ入る。
直進方向の笹原山中バイパスができてから左折する車が激減した。


7:20
山中城跡案内所・売店
所在地:静岡県三島市山中新田410-4  ☎:055-985-2970
営業時間:10:00 ~ 16:00  ※ 1 ~ 3月の平日は 10:30 ~ 15:30
定 休 日 :月曜日  ※ 祝日の場合は営業、翌日休み
ここへ1週間前に電話をして開花状況を聞いた。営業が10時からでまだ開店前であった。
朝食をとらずに出かけたので散策後そばでも食べることに。


案内所前にはバス停「山中城跡」があるが1時間に一本か。
既に駐車場には数台の車が停まっていた。


山中城跡案内所前に立っている観光案内板。


箱根西麓ハイキングコース
無料  総距離 約7.5km
 ● 箱根西麓ウォーキングコース
 ● 箱根西坂富士美 (ノルディックウォーキング) コース
有料  総距離 約8.5km
 ● 箱根西坂富士美 (ノルディックウォーキング) コース

ノルディックウォーキングとは、
フィンランドでスタートした2本のポールを使ったウォーキングです。
全身の筋肉の約90%を使用することにより通常のウォーキングに比べ運動強度が高く、消費エ
ネルギーが2割り程度もアップするものです。(全日本ノルディック・ウォーク連盟認定コース)
※ スタート・ゴールを山中城跡案内所・売店としていますが、どこからスタートしてもかまい
  ません。


旧国道1号を下って来ると「国指定史跡・日本百名城 山中城跡」の看板が目に入る。


旧国道を挟んだ向かい側にも、駐車場、トイレがある。
右側は旧東海道の箱根からの下り道。


交差点を渡り案内所を振り返る。道路脇には珍しく電話ボックスも。


国指定史跡 山中城跡    (昭和九年一月二二日指定)
史跡山中城は、小田原に本城をおいた北条氏が、永禄年間(1560年代) 小田原防備のために創
築したものである。やがて天正十七年(1589)豊臣秀吉の小田原征伐に備え、急ぎ西の丸や出丸
等の増築が始まり、翌年三月、豊臣軍に包囲され、約十七倍の人数にわずか半日で落城したと
伝えられる悲劇の山城である。この時の北条方の守将松田康長・副将間宮康俊の墓は今も三の
丸跡の宗閑寺境内に苔むしている。
三島市では、史跡山中城の公園化を企画し、昭和四八年度よりすべての曲輪の全面発掘にふみ
きり、その学術資料に基づいて、環境整備に着手した。その結果、戦国末期の北条流の築城法
が次第に解明され、山城の規模・構造が明らかになった。
特に堀や土塁の構築法、尾根を区切る曲輪の造成法、架橋や土橋の配置、曲輪相互間の連絡道
等の自然の地形を巧みにとり入れた縄張りの妙味と、空堀・水堀・用水池・井戸等、山城の宿
命である飲料水の確保に意を注いだことや、石を使わない山城の最後の姿をとどめている点等、
学術的にも貴重な資料を提供している。
     平成十一年三月   文化庁
                               静岡県教育委員会
               三島市教育委員会
写真は、畝堀 (左)、障子堀 (右)。


史跡 日本百名城 山中城跡
山中城跡の縄張り図
探訪コース 2コースを案内しており所要時間は、
 ① 戦国山城探訪コース    約2時間
 ② 障子堀・畝堀探訪コース  約1時間


リュックを背負い ”戦国山城探訪コース“ の約2時間に挑戦。


三の丸堀越しに案内所を望む。
ゴールデンウイークになり幟旗も立てられていた。


三の丸堀
三の丸の曲輪の西側を出丸まで南北に走るこの堀は、大切な防御のための堀である。
城内の各曲輪を囲む堀は、城の縄張りに従って掘り割ったり、畝を掘り残したりして自然地形
を加工していたのに対し、三の丸堀は自然の谷を利用して中央に縦の畝を設けて二重堀として
いる。中央の畝を境に、東側の堀は水路として箱井戸・田尻の池からの排水を処理し、西側の
堀は空堀として活用していたものである。
この堀の長さは約180m、最大幅約30m、深さは約8mを測る。
     平成八年十二月   文化庁
               静岡県教育委員会
               三島市教育委員会

この三の丸堀は自然の谷を利用して中央に縦の畝を設けて二重堀としている。中央の畝を境に、
東側の堀は水路として箱井戸・田尻の池からの排水を処理し、西側の堀は空堀として活用して
いたものである。


三の丸堀から二の丸方向へ緩い坂道を上る。
オオムラサキはこれからの開花。右側は杉林で田尻の池からの排水路になっている。


”田尻 (たじり) の池” の周りにも多くの幟旗が立っていた。


田尻の池
東側の箱井戸と田尻の池とは、一面の湿地帯であったが、山中城築城時、盛土(土塁)によって
区切られたものである。山城では、水を貯える施設が城の生命であるところから、この池も貴
重な溜池の一つであったと考えられる。
しかも、西側は「馬舎」と伝承されているところから、この池は馬の飲料水・その他に用いら
れたものと推定される。築城時の池の面積は約148平方メートルであり、あふれた水は三の丸
堀に流れ出ていたようである。
     平成十一年三月   文化庁
               静岡県教育委員会
               三島市教育委員会


田尻の池
貴重な溜池の一つで西側は「馬舎」と伝承されているところから、この池は馬の飲料水・その
他に用いられたものと推定される。あふれた水は三の丸堀へと流れ出ていたようだ。


幟旗が立つ坂道は二ノ丸へ。


観光案内は「← 西の丸跡、宗閑寺 →」と。


⇐ 西ノ丸・障子堀方面
※ 崩落している箇所があります ※
令和元年の台風19号の影響により崩落した場所は一度復旧しましたが、令和3年7月上旬の長雨
により再び崩落し、現在は復旧手続き中です。


西ノ丸・障子堀方面へ坂を登るがツツジの開花状況は・・・。
右上は二ノ丸 (北条丸)。


傾斜地に赤く咲いたツツジが見えてきた。


ズームアップ。


元西櫓下の堀
西ノ丸への途中にある元西櫓の斜面に咲くツツジが朝日を浴びて開花していた。


ズームアップするが他には花芽が付いていなかったようだ。


元西櫓下の堀
城の内部に敵が進入するのを防ぐため人工的に土地を深く掘り下げたものが堀である。掘りあ
げた土は曲輪の中へ運び、平らにならしたり土塁に積んだりするのに用いられる。
山中城では、曲輪の四周は大体堀で囲まれている。堀の深さと幅とは地形と曲輪の重要度に深
く関連している。また、山中城の堀に、石垣が用いられていないということは大きな特色であ
る。ここは堀底に近いが、四百年前はローム層が露出し、もっと急斜面であった。
     平成十二年三月   文化庁
               静岡県教育委員会
               三島市教育委員会


説明板は「土橋」。


土 橋
土橋は城(曲輪)の虎口(入り口)の前を通路だけ残して、その左右に堀を掘って城への出入りの
通路としてつくられる。この土橋から西の丸へ入るには、土橋を渡って正面の土塁の下を左へ
折れ、西の丸南辺からのびてくる土塁との間の細い上り坂の通路を通り、更にこの二つの喰違
い土塁に挟まれた通路に設けた木戸を通る。
この土橋は第一の関所であり、また高い方の堀の水を溜めておくための堤防でもある。
     平成十一年三月   文化庁
               静岡県教育委員会
               三島市教育委員会


※ 台風19号の影響で崩落している箇所があります ※
令和元年の台風19号の影響で、崩落している箇所がありますが、これは城の遺構(山中城本来
の部分)を保護するための土が流れ出したものです。
戦国時代の山中城本来の堀や土塁に大きな被害はありません。保護のための土が崩落している
箇所については順次修復していく予定です。
城内は問題なく散策いただけます。
ぜひ障子堀や土塁を見学いただき、北条流の築城術をご体感ください!
写真は、台風被害前の西ノ丸(東から)
                  三島市教育委員会


西ノ丸の南斜面にもツツジが咲く。
令和元年の台風19号の影響により崩落した場所は一度復旧したが、令和3年7月上旬の長雨によ
り再び崩落し、現在は復旧手続き中であると。
ここ数年訪れているがなかなか復旧が終わらずブルーシートで覆われている。


土橋上から元西櫓の斜面に咲くツツジを見下ろす。


午前中で逆光の元西櫓の斜面をズームアップ。


赤いツツジをズームアップ。


午後の順光では如何に。


土橋を渡り、観光案内は「← 西の丸跡、元西櫓跡 →」。
西の丸跡には後訪れることに。


帯曲輪を上り西櫓へ向かう。
右下は ”西ノ丸畝堀” で障子堀、西ノ丸の斜面と共に復旧中だが完成はいつに。


復旧中の西ノ丸の斜面にもツツジが咲く。


帯曲輪を上り前方に ”西櫓”
この先からの富士の光景が楽しみだ。


7:40
西ノ丸畝堀
西ノ丸内部に敵が進入することを防ぐため、完全に曲輪の周囲を堀によってとりまいている。
山中城では場所によって水のない堀と、水のある堀、やわらかい泥土のある堀とに分けられる。
この堀の中は、五本の畝によって区画されている。畝の高さは堀底から約二メートル、更に西
ノ丸の曲輪へ入るには九メートル近くもよじ登らなければならない。
遺構を保護するため、現在は芝生や樹木を植栽してあるが、当時はすべりやすいローム層が露
出しているものである。
     平成十二年三月   文化庁
               静岡県教育委員会
               三島市教育委員会



                                     ー 続く ー





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最終更新日  2024.05.22 03:00:10
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