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勤報隊 敗戦後も機能例 爆薬処理240206
しかも、「1945年(昭和20年)3月、国民勤労動員令の施行にともなって廃止」とあるのだが。 もっぱら「勤報国隊」の名で呼ばれた。 付帯的な経過を観るに勅令は廃止されたものの、市民のなかに敗戦後も残り続けた意識。 そう考え、位置づけされねばの犠牲者が1945年11月3日に発生していた。 「勤報隊」で検索しても、その意味と意義については検索できなかった。 「勤労報国」ではどうか。、「国民皆労へ総進軍勤労報国隊制度 ニュー NHKアーカイブス」があって、まずは信頼して良いであろう。と。 https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=Dxxx-xxx-xxxxx_00000 放送年:1941年 記載の「小泉厚生大臣」は、小泉親彦議員のことで福井県鯖江市出身。1941年9月、近衛内閣で厚生大臣を務めた。 それでは、長い。別なサイトで検索してみることに。不確かながら、一応の目安に次の記載を。 昭和16年11月22日 勅令995号で/「國民勤󠄁勞報國協力令(こくみんきんろうほうこくきょうりょくれい)が出されていた。 これによると、以下の趣旨が伝わってくる。 「従来任意に存在した勤労奉仕隊を義務付ける」のみならず、 「学校・職場ごとに、14歳以上40歳未満の男子と14歳以上25歳未満の独身女性を対象とした勤労報国隊が編成」。 「軍需工場、鉱山、農家などにおける無償労働に動員」 戦前教育、戦時統制、社会風潮。実に堅固、背筋の冷える思い。 それ以上にムザムザ連れ合い&親を奪われた肉親の思い。深く込められている。 【写真】は「昭和18年 鹿島国民学校 教職員勤労報国隊(ふるさと大夕張2丁目3番地)」。 https://ooyubari.com/2020/08/08/s18kinrohokoku お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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