夢をカタチに⭐︎未来への願い1
ブログを書くのは本当に久し振りです。このブログに気持ちを綴っていたのは車いすの娘が小学生〜中学生の頃が主でした。色んな日々の生活の中で感じることがいっぱいだったのだと思います。読み返すと恥ずかしくもあり、なるほどなあ、、と新たな気づきがありました。今日のブログは、その後の私たちの変化と近況です。💖ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー💖その娘ちゃんも養護学校を卒業し、現在は19歳。毎日楽しく作業所で働いています。娘らしく、いちばん娘にあった場所を見つけることができたと思います。そして、母の私は娘ちゃん中学を卒業を機に思い切って看護学校へ。一般の高校に行くならば母付き添いなどまだまだ必要と思っていましたが、養護ならばサポートが充実しているので可能と判断しました。今なら通える!今を外すと難しい限定の時間と思ったからです。ハンディのある子どもを育てながら看護学校へ通おうと思った理由。(1)娘ちゃんの障害二次予防&身体のことをいちばんみじかで理解したい想い(2)自らが障がいのある娘の子育てが手探りで、孤独を感じたり、生きる希望を失った時期があった。 同じようなお母さんの心を支えることが何らかの形でできないかと思った。(3)娘が7歳の時、私は風邪から42度の高熱を出して、臨死体験をした。 戻ってきてからの人生と時間は天から与えれれた人生と思うようになった。 死にかけて意識戻った時、「心のバリアフリー」がまだ広がっていない 今の日本に娘を置いて死ねないと思った。 なんらかの形で楽しく分かりやすく、子どもたちに伝えられないのか?と思うようになり 心育てのおもちゃを作り始める(出来上がったのが日本で初めての車いすの工作キット) 親子で小冊子絵本も作成、分かりやすくまとめた。 時々、人権学習の講師を頼まれるようになる。子どもたちに伝えたい願いから こどものきもち舎と命名。こどものきもち舎の活動始める でも、心のバリアフリーを伝える中で、目に見えない障がいについて もっと現状を知りたいと思うようになり、精神領域に興味を持つ。 現状を知り、本当に皆が願っていることを伝えたいと思ったから。(4)5歳から17歳まで看護師になりたかった。でも、数学が弱いので無理と決めつけていた。 看護師をしている友達たちから「そんなことないし、全然大丈夫」と言われ、もっと年上の人たちが チャレンジしている現実を知り、今までの「自分枠」が外れた。 以上。 そう思っていたらなんと自宅から自転車で10分の、看護学校の学生募集の広告ちらしがポストに。 ⭐︎続く⭐︎