久しぶりの更新から、SNSの発言は、要注意?。
いやいや、最近はブログでも書くことが少ない。その為か、暫く更新をしていない。何しろ、プライベートな事はラインで済ませる事が多く、自分やパパズインの近況は、フェイスブックで述べる事が多い。ただ、そのフェイスブックも友達の数が4000人を超えた2年程まえから、半数近くも削ったが、それでも承認数も多いので、すぐにそれ以上の数になってしまう。まあ、軽く友人としての付き合いのつもりだが、それでも、此方から一方的に削除するのも失礼な話なので、その判断だけでも難しい。商業的な部分も多いSNSなので(この場合、フェイスブックやツイッターなど)、行き過ぎにならない程度には宣伝のお手伝いもする。また、実際に良いものは良いという。でも、それがプレッシャーになる程まではしないので、その辺りは理解を頂いているだろうか。政治的な発言からも、遠ざかるようにしている。しかし、本当に稀にだが、書かずにいられない事もある。主義主張には、ついつい引き込まれてしまう。そこが、ソーシャルメディアたる所以なのかも知れない。 BS1の番組「キャッチ」で、SNSの発言からの失敗談をやっていた。主にアメリカニューヨークでのインタビュー。 中々面白い。まあ、これは日本でもありそうなことだ。例えば、酔った勢い、怒った勢いでSNS上の発言、この失敗談は圧倒的に多いようだ。そんな時に押して頂いた「いいね」ほど、後で振り返ると、心のこもらない希薄さを感じるという。「いいね」は自分の発言に対してなので、気にしないと言っても、友人たち、その心の深層も判るような気がする。気にせずに「いいね」やコメントの少ない方(交流の無い)は削除するのだが、その辺りも仕事上で付き合いがあったりすると躊躇する。ま、高々がSNSなので、あまり遠慮したくないのだが・・・。 ブログ更新の頻度が少なくなる分、SNSの発信が多くなる。それは、僕の場合、日常の発信で、例えば「おはようございます」から日常報告だ。それは、このSNSを商業的に限定している方と違い、同級生、親戚、更に、昔の音楽仲間、その辺りにまで、日々元気であることを伝える目的も無くはない。人づてにであっても、ショウソクが伝わっていくのも悪くないことだ(多少は、健康的な見栄を張る部分もあるが・笑)。ブログの場合は、この繋がりが薄く感じるのと、どうしても時間的なずれ、タイムラグを感じてしまうからだ。ただ、ブログの場合は、SNSに比べると文字数は多い。私の場合だけかも知れないが、発信したい中身、其処を十分に伝えるのは、SNSの短い文だけでは不十分に感じるのだ。確かに長文のSNSは、最後まで読むのが辛くなるが、ブログは腰を据えて読む、そんな気分なる。 1週間ほど前、お客様の佐野さん夫妻が釣りに来る。その時に、その奥方が23キロ越えのカンパチを釣った。それは大喜びのはなしだが、これを伝えるのであれば、SNSで十分だ。そして、昨日の話だが、今度はご主人がリベンジに。そのご主人が20キロ越えのカンパチを釣った。これも、釣果報告だけであればSNSで十分なのだ。しかし、ご夫婦の釣りだけからこそ、此処にご主人の心の中に大きな葛藤があったとしたら、それは思い過ごしだろうか。奥様がカンパチを釣った時の喜びの反面、自分が釣れなかった悔しさ。更に昨日、自分に魚をヒットした時の手応え、魚が浮き上がるまでの大型の期待。更に更に、釣ったときの嬉しさ半分、奥様のビッグワンには届かなかった、その「な~んだ!」みたいな悔しさ(笑)。私の思い過ごしかも知れないが、相当に悔しかったのでは?と思ってしまう。しかし、こんな話を、即時SNSで発信するのは、そりゃ失礼かも知れない。しかし、これが少々時間を置いからの、こんなブログであれば、それは笑って許されるだろう。佐野さん、許してね。