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◇富士山麓とハンセン病治療のこと◇
「富士の雪解け水で身を洗えば、らいは清くなる」 こんな言い伝えがあったそうです。 御殿場から足柄を回り小田原まで徒歩で通っていたテストウィド神父の目に、一人の盲目の女性が映りました。 ライ病にかかり夫に見捨てられ、御殿場鮎沢村の水車小屋で暮らしていました。 テストウィド神父はその婦人を保護し、同じ病者を数人集めて、民家を借りて診療所としました。明治19年のこと。 こうして日本のハンセン病治療の発祥地、神山(こうやま)復生病院の基礎が据えられたのです。 カトリック、プロテスタントを問わず当時の宣教師たちの宣教魂には頭を下げます。 ボクの勤めている教会に神学生が夏期伝道に来ると、見学に連れて行きました。富士山を間近に望む広大な敷地に、病棟を始め、チャペル、修道院、墓地、運動場、などが点在しています。人なつこく飾らないお人柄の林富美子医師のご案内で病者の部屋を訪ね、お話を伺うのです。林先生は今90才を過ぎてご健在! 御殿場には、もう一つ「国立駿河療養所」があります。敷地内には木造の小さなチャペルがあり、こちらには、自ららい者であり、らい者伝道に一生をささげた大日向繁牧師という神様の御目には最も輝いただろう一人がおられました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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