カテゴリ:キリスト教とは
天地異変は終末の兆しであるとキリストは語っている。
物事には始めがあり終わりがある。 あらゆる生き物に始めがあり終わりがある。 地球の命にも初めがあり終わりがある。 聖書の評価は、今の時代は終わりにさしかかった時代であるという。 ボクは明日の礼拝のために週報を作ったり お話を準備しようとしているが 実際は明日が本当に来るという保証はない。 キリストが 「ごくろうさん。あなたはね 明日の朝は天の国で目覚めるのだ」 と言われるかも知れないのだ。 えっ、天の御国で、ですって? そんな・・・・すばらしいことが・・・・ ノアの時代にあったようなことが、人の子が現れるときにも起こるだろう。ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたが、洪水が襲って来て、一人残らず滅ぼしてしまった。ロトの時代にも同じようなことが起こった。人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、ロトがソドムから出て行ったその日に、火と硫黄が天から降ってきて、一人残らず滅ぼしてしまった。人の子が現れる日にも、同じことが起こる。その日には、屋上にいる者は、家の中に家財道具があっても、それを取り出そうとして下に降りてはならない。同じように、畑にいる者も帰ってはならない。ロトの妻のことを思い出しなさい。自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。 ルカによる福音書17章26節~ 聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation (c)日本聖書協会Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012年05月12日 11時11分38秒
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