カテゴリ:旅行記
(続き)
続いて日本でも珍しいと言われている形状の青土(おおづち)ダムを見に行く。 ダムの上にかかった橋には、様々な珍しい石がモニュメントのように置かれてあった 野洲川総合開発事業の一環として作られた、滋賀県で最初の多目的ダムである。ダム天端は県道9号線となっているほか、ダムサイト周辺には広場や公園、キャンプ場の『青土ダムエコーバレイ』などが整備されている。ダム管理用の水力発電設備(最大250キロワット)も備える。(ウイキペディアより) 青土ダムの特徴である半円型2連のコンクリート製常用洪水吐は、貯水位が常用洪水吐の頂点高さを超えれば水が流れる自然越流による放流・放水方式です。 常用洪水吐に水が流れて放流しているのを見ることができるのは、貯水位が292.00mより少し高いときです。(滋賀県HPより)
普通の放流式の水門も1基ある。 続いて道の駅「愛の土山」と言うところに行ったら。リニューアル工事中で休館中だった(二度あることは三度ある) ここで抹茶アイスを食べる予定だったが残念。その代わり道を隔てて向かい側にある田村神社に参ることにした。 本殿(ネットより拝借) 境内への入り口 田村神社は 征夷大将軍・坂上田村麻呂公を主祭神として、 嵯峨天皇並びに倭姫命(やまとひめのみこと)をお祀りしております。 田村神社は近江国(滋賀県)と伊勢国(三重県)の国境にあり、古来には都より伊勢へと参宮する交通の要衝でした。 当社の言い伝えによると、「鈴鹿峠に悪鬼が出没して旅人を悩ましており、嵯峨天皇は坂上田村麻呂公に勅命を出してこれを平定させた」とあります。 それゆえに、交通の障害を取り除いて土地を安定させた坂上田村麻呂公の御遺徳を仰ぎ、弘仁3(812)年の正月、 嵯峨天皇は勅令を出して坂上田村麻呂公をこの土山の地に祀られることとなりました。 坂上田村麻呂公が鈴鹿峠の悪鬼を平定してよりのち、作物が実らず疫病が流行しました。 そのため、弘仁3年の正月に嵯峨天皇は詔を出し、坂上田村麻呂公の霊験を以て厄除の大祈祷が斎行されました。 これにより、坂上田村麻呂公は厄除の大神として崇敬され、その御神徳は厄除の祖神として崇敬されることとなりました。 また坂上田村麻呂公は、鈴鹿峠の悪鬼を討伐して交通の安全を保たれたことに加え、延暦年間には東北に出征され、これを平定されました。 その御神威により、交通安全の神様としても崇敬されています。(田村神社公式HPより) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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