テーマ:管から見える世界(760)
カテゴリ:迷走する教育
目的の為に手段があるのだが、手段を講じることについての問題を意識しないままでいると、いつしか同じ手段に執着し、果ては手段が目的を飛び越える存在となる。
強豪高という目的を達成するために、体罰が必要とする手段に疑問を持たなくなると、いつしか体罰の強さこそが競技の強さと比例すると考えるようになるのかもしれない。 競技に強くなるには、技術力、体力、精神力、団結力が要求されるが、これらが上がる指導であれば、体罰の必要は無い。 でも体罰でそれらが上がったという『実績』を感じてしまえばどうだろう? 指導についての勉強や努力よりもそれが安易な方法であれば、体罰という手段に執着してしまうのかもしれない。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[迷走する教育] カテゴリの最新記事
|
|