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2024.06
2024.05.11
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先日、「地図に無い場所」についていろいろ書いた。


やはり、いつものように書いた後は脳内会議が始まって、「あの表現はちょっと違うんじゃないか」「別の見方ができたんじゃないか」と反芻する。


安藤ゆきの「地図に無い場所」は、「地図にある場所には自分の居場所がない」というー居場所がわからなくなった2人の旅路なのだろう。そして、それぞれは自分の人生の地図に従って生きていれば決して出会うことのない2人なのだ。中学生のユートは、普通に生活できていれば、隣人の社会不適合なリタイアしたバレエダンサーと出会わずに生きていった。コハクは、順調に天才バレリーナとして活動を続けていたら、不登校一歩手前な挫折中学生男児と出会わずに生きていた。フツーに(幸福に)生きていけたならば、それぞれの人生の地図にお互いが出てくる場所はなかった。しかし、自分の居場所を見失った2人は、地図にある場所には自分の居場所がなく、そして2人で「地図に無い場所ー自分の居場所」を探すのだ。


物語の終盤では、「いま、自分のいる場所こそが地図に無い場所だった(地理的物理)」というー「青い鳥は既に身近にいた」ーという方向へ向かう。ユートの地図に無い場所(居場所)はコハクのところにあり、コハクの地図に無い場所(居場所)はユートのところだったーという結末に向かうかと思いきや、二人はそれぞれの居場所を無くしてしまう。
メーテルリンクの青い鳥からの影響を多分にうけた松本零士の銀河鉄道999では、永遠の命という青い鳥を求めて旅をする。最初の結末では、「永遠の命なんか要らない。限りある命を精いっぱいに生きる」という結末をもって少年の旅路は終わる。そして2つ目の結末では、「親から子へとつながることが永遠の命だった」という結末を迎える。「永遠の命は、最初からあったんだ」という結末だ。
さて、安藤ゆきの地図に無い場所では、「今いる場所が地図に無い場所だった」ー今いる場所こそが自分の居場所だったーとならない。ユートもコハクもお互いを失う。そして、その後にユートはすずと付き合うが、別れる。コハクは、青石と付き合うが別れる。ユートの居場所はすずのところではなく、コハクの居場所は青石のところではなかったということだろうか?
しかし、「自分の居場所」とは不変なのか?
ひとは理想郷を求めーシャングリラを,エルドラドを,ユートピアを,アルカディアを,常世の国を,ニライカナを求める。きっと、それは永遠に変わらぬ自分の居場所なのだろう。そして、その理想郷は地図にない。永遠に変わらずに自分を受け容れてくれる理想郷は、「地図にない場所」だ。


ユートとコハクの2人は、お互いが自分の居場所だった時間を確かに共有した。それが永遠ではなく、失われるものだとしても。
ユートの居場所がすずだった時間もあっただろうし、すずの居場所がユートだった時間もあっただろう。
コハクの居場所が青石だった時間もあっただろうし、青石の居場所がコハクだった時間もあっただろう。
それぞれの存在が、「地図に無い場所ー自分の居場所ー理想郷」だった時間があった。しかし、それは永遠ではなかった。
コハクと再会し和解したユートは、またそれぞれの生活に戻るときに「理想の終わりじゃないか」と思う。互いを理想郷と思ったときは既に終わっていた。


物語の最後にユートは、「地図に無い場所はー自分の居場所はこれからも思わぬ場所にあるだろう」と。
自分の居場所というのは、生きていく中で、思わぬ場所に現われ、そしてその場所が永遠だとは限らない。
そして、既に失われたと思われた居場所が、再び自分の居場所ー地図に無い場所になることもあるのだ。






安藤ゆきの「地図に無い場所」について、他の考察を読もうと検索したけれど、全くひっかからない。あまり人気が出なかったのだろうか?5巻で終わりなのは打ち切りなのか?
まぁ、個人的には「全3話くらいーもしくはコミック全1巻くらいだったものが、人気が出て全5巻まで引っ張った」ような気がする。楽しく読めたけれど、もっと凝縮して濃密な物語にしても良かったかもしれない。けれど、コハクの雰囲気に引っ張られると、全5巻にしかならない気もする。


最後に、ヨシタケシンスケの「ぼくはいったいどこにいるんだ」を読むことをお勧めしたい。
地図があれば、自分が何処にいるのかわかるのだろうか。
自分だけの地図には、自分の居場所ー現在地が書かれているだろうか。すなわち、「僕の家」がぼくの居場所であるとなんの疑問もなく思っていられる幸福な時間は永遠だろうか。
スマホの位置情報をみても、自分の居場所を示してくれることはない。せっかくみつけた自分の居場所が永遠ではない。以前に書いた「自分の役割が変化する」というところにも通じるのだが、自分の役割が変われば自分の居場所も変わる。そして、地図に無い場所は、思わぬところにあるのだ。
子供として、幼児として、小学生として、中学生として、高校生として、大学生として、社会人として、父親として、自分の居場所は成長とともに変わる。失われることもあれば、居場所が増えることもある。
地図に無い場所ーぼくはいったいどこにいるんだ。





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最終更新日  2024.05.12 11:51:52
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