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Bar UK Official HP & Blog(酒とPianoとエトセトラ)since 2004.11.

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2015/01/17
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カテゴリ:エトセトラ
 きょう1月17日は、6434人の命が奪われたあの阪神・淡路大震災から20周年。被災者の一人であった者として、きょうはやはり震災の記憶について触れざるを得ない。うらんかんろは2005年の10周年と2010年の15周年の際にも、1月17日の日記で震災について触れたが、20周年のきょうも、「あの日」のことを忘れないためにも、記したい(記述は、あえて2005年の日記をベースとしているが、お許し願いたい)。


 前日の1月16日、深夜勤明けの僕は午前3時半ごろ帰宅した。眠りについたのは午前4時近くだっただろうか。それから間もなくして、強い縦揺れに襲われ、目が覚めた。あの時、まず思ったのは、「近くでジェット旅客機が墜落したに違いない」だった。

 僕はベッドから起きて家を飛び出した。だが、辺りはまだ暗くてよく見えない。しかし見渡せる範囲では、火柱や煙が上がっている様子はない。近所の人たちも、何事が起こったのか確かめようと、次々と家から表に飛び出してきている。間もなく、夜が白み始めると、辺りの惨状がはっきりしてきた。

 周辺の古い木造家屋の約8割は、全半壊状態だった(我が家は軽量鉄骨プレハブだったため、幸い屋内の被害だけで済んだ)。近隣でもとくに、我が家のすぐ向かいの家の姿には言葉を失った。大きな2階建てのお屋敷なのだが、1階部分が完全に見えない。2階部分もかなりひどく崩れている。この家には、親子4人と祖母が住んでいるはず。それは、近所の多くの人も知っていた。

 だから、誰かれともなく敷地に入り(塀も崩れていた)、その家族を捜し始めた。すると、どこからともなく、がれきの下から「助けてくださ~い」という声がかすかに聞こえてくる。声のする辺りの屋根瓦を、7、8人の男性で協力して、はがしにかかった。

 だが、駆けつけた人たちはみんな素手だ。あたりには、瓦やガラスや陶器のような破片が散乱している。手にけがをするのは目に見えている。僕は、家にあった軍手の束のことを思い出し、つれ合いに持ってこさせ、配った(この時ほど軍手に感謝したことはない。「震災の時、一番何が役立ったか」と、聞かれることも多いが、いつも「軍手の買い置き」と答えている)。

 約1時間くらいかけて、屋根瓦と天井板をはがし、両親と子どものうち、お姉さんを救い出した。祖母は入院中で、家にいないという。しかし18歳の妹さんは、「別の場所で寝ている」という。父親が、がれきとなった家のその場所辺りに案内した。僕らは再び屋根瓦をはがし始めた。だが、妹さんがいたはずの空間の惨状を見た誰もが、生存に不安を感じていた。

 さらに30分ほど。ようやく家の大きな梁(はり)の下敷きとなっていた妹さんを見つけ出し、病院に運んだ。だが、その後ほどなく、「(妹さんは)即死状態だった」と伝え聞いた。18歳の若さで奪われた命。「だから、早く建て替えようと言ったのにー!」と母親は、がれきの中で叫び、号泣した。

 聞けば、この家(お屋敷)は建築後、約70年経っていたという。この辺り一帯で数多くの土地を持つ昔からの地主さん。建て替える経済的な余裕がないはずはなかった。父親は「長年住み慣れていた母が、建て替えを渋ったので…」と話していたと、後に聞いた。

 近隣では、この娘さんも含め22人の方が犠牲になった。このうち一番犠牲者が集中したのは、いつも通勤に利用する駅の、すぐ駅前にある7階建てのビルで、全壊して18人が亡くなった。我が家のある地域では、停電した電気は当日の夕方までに復旧したが、水道が戻るまでは約2週間、ガスの復旧には39日かかった。

 日常生活はその後少しずつ戻ってきたが、一瞬にしてすべてを奪ってしまった震災は、僕の価値観をも変えてしまった。「形のあるものは、いつか壊れるかもしれない。そして形のあるものだって、墓場まで一緒に持って行ける訳ではないのだ」と強く思うようになった。

 娘さんを失った一家は、震災後に近くへ引っ越し、家があった場所は広い駐車場に変わった。ご主人はその後、脳梗塞になられ、長らく車椅子生活をされた後、数年前に亡くなられた。お姉さんは、今では結婚して家庭を持たれているに違いない。過ぎ去った20年の歳月。しかしこの一家のことを、僕は一生忘れることはない。

 震災で生き残った僕らは、紙一重の差で、たまたま運良く生き残っただけと思っている。だから、生き残った、いや、生かされた僕らは死者に対して、今生きていることに何らかの意味を考え、毎日を送らねばならないと思っている。人間はいつかは死ぬ。生き残った僕らは、死者の代わって(死者のためにも)、生ある限り、どんなに辛くても生きてゆく責任を、そして未来へこの震災(の悲劇と教訓)を語り継ぐ責任を負っている。

 向かいの家の庭にあった大きな松の木だけは、切られずに残り、家の名残を伝えている。その松の木の根元に、僕は夜が明けたら、花をひと束、供えようと思う。助けられなかった妹さんのために…。もし生きていれば38歳。きっと幸せな家庭を持っていたに違いない。「命のドラマ」は6434の数だけあったはず。彼女は6434分の1だったかもしれない。だが僕は、あの日の朝のこと、彼女のことを「1.17」が来るたびに思い出すだろう。






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Last updated  2015/01/18 12:51:23 AM
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うらんかんろ

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kopn0822@ 1929年当時のカポネの年収 (1929年当時) 1ドル=2.5円 10ドル=25円 10…
汪(ワン)@ Re:Bar UK写真日記(74)/3月16日(金)(03/16) お久しぶりです。 お身体は引き続き大切に…

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