カテゴリ:旅行記 中欧8ヶ国 '12.9月
米原氏のソビエト学校時代、彼女の親友・ユーゴスラビア人(あえてそう呼ぶ)のヤスミンカは地理の授業で、ベオグラードは『白い都』という意味だと説明した。 ベオグラードには二つの大河、ドナウ河とサヴァ河が流れ込んでおり、それらに挟まれた地区が旧市街であり、かつての城跡残るカレメグダン公園がある。 そこには城壁の一部が残っており、今は市民が集う憩いの場所だ。 そこに、14世紀、オスマン・トルコの軍勢が攻撃をかけた。 この街は古代からバルカン半島の交通、戦略上の要衝として、また温暖な気候と肥沃な大地をめぐって、いくつもの民族が果てしない抗争、破壊、略奪を繰り返してきた。 トルコ軍が計画したその襲撃は、夜闇にまぎれて城塞の対岸に集結し、城壁を包囲し、 そして夜が明ける直前、人々の眠りが最も深い時間帯を狙うというものだった。 だが、秋も半ばにさしかかったその朝の冷え込みは厳しく、白んだ空に 河面から立ち上がった乳白色の靄がベオグラードを包み、それは折から射し込んできた陽光を受けてキラキラ輝いていたという。 そのあまりの美しさにしばし見惚れ、戦意を失い、その日の襲撃を中止したトルコ軍。 「こうして、この都市は、『白い都』と呼ばれるようになったのです。 もっとも、まもなく『白い都』は、結局トルコ軍の手に落ちてしまうのですが……」 当時13歳だったヤスミンカの発表は、後に米原氏の日本語に取って替わっても、目の前に白く浮かび上がった美しい街を容易に想像させてくれた。 あ、列車で出会ったセルビア人女性のイワナも言っていた。 二つの大河に挟まれた場所が旧市街ならば、それらが合流して幅が広くなったところにある大きな中州、それが近年開発された新ベオグラード。 そこから対岸の旧市街を臨む眺めが最高だと。 そして、そこに立った米原氏は言う。 絶景とは、こういう風景を指し示す言葉だったのだ。 サヴァ河とドナウ河が交わってできる鋭角的な陸地部分が、崩れかかった城壁に囲まれていた。 城壁の向こうに旧市街の建物群が並び、その背後に起伏に富む街並みが息づいていた。 さらに、その向こうには、のどかな農村地帯が広がっている。 * 私はそれを見ずにその街を去った。 カレメグダン公園からの眺めだけでも十分すぎるほど美しかったが、何人もがここまで讃える風景を見なかったことは実に勿体なかったと思う。 だが、あの時の私には余裕がなかったのだ。 あの時というのも、ベオグラードに到着してすぐの印象で私の心は閉じてしまった。泣きそうだった。 空は低く暗く、季節外れの寒さが身にしみた。 「それでもこの夏は40℃を超える日々が続いてね、公園の緑が全て枯れちゃった処もあるくらい。」 今にも降り出しそうな重い空を見上げ、「ほら、あれが空爆痕、、、」と一部が黒焦げとなり崩壊している建物をイワナは指さした。 あの時、もしも青空が私を迎えてくれたなら、 せめて一面沈んだ雲に 少しだけでも切れ間が見えたなら、私はもう数日 ベオグラードに滞在したかもしれない。 そして、かつてトルコ将兵が息を呑んだように、 ヤスミンカやイワナが誇らしく見つめたように、私もその風景を前に佇んでいたかもしれない。 破壊と創造を繰り返す都市、『白い都』ベオグラードの象徴とも呼べる気高い景色。 やはりそれを見ずには死ねないな、私。 Google map<2012.09.14~15 Beograd> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.11.08 16:59:55
|
|