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カテゴリ:映画感想
Blu-rayにて『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』を観ました。 amazonで59%OFFと値崩れしていたので 一応『:序』も 『:破』も DVDで観ましたが、ほとんど覚えてない状態で『:Q』を観ました。 世間での評判通り、さっぱり解らないですね ただ私はさほど否定的ではありません。むしろ時間を忘れて鑑賞できました。ラストは「え、これで終わり? でも、もともとエヴァってこういうモノでしょ。 いろいろ解らないところがあるけれど、第4部『シン・エヴァンゲリオン劇場版:?』への期待が弥が上にも高まります(「ヱ」と「ヲ」が元の「エ」と「オ」に戻ってる)。 もちろん私は変にああだこうだ考察はしません。独りよがりに解った気になって他人を小馬鹿にはしません。考察をしたい人はすれば善いですが。 これまで広げた風呂敷を、完結編でキレイに畳んでくれるんじゃないですか? 期待するほうがどうかしてますか? amazonのレビューでは『:序』『:破』は解りやすくて面白かった、という意見が多いと感じました。 確かにそういう印象はありました。でも私の記憶では、『:序』『:破』は解りやすくなったとは云っても、1990年代の『新世紀エヴァンゲリオン』よりは、という条件付きでした。 『:序』『:破』は解りやすいと云っている人は、使徒とかエヴァンゲリオンとは何なのか、人類補完計画とは何なのか、理解しているんですか? 『:破』のラストの初号機の覚醒を説明できるんですか? 私にはできません。あれだってさっぱりです。
『:序』『:破』では、シンジやレイ、アスカの心理描写がちょっと解りやすくなったというか、ありがちなラブコメやっていたのがどうか
ただ、4部作の3作目なのだから完結編をみるまでは評価を下すのは早計です。 とはいえ、これで1本の映画なのですから、観客からそれなりにカタルシスを求められても仕方なく、それが与えられないのであれば、この『:Q』なる映画は駄作と烙印されても無理もない。
一応、自分の考えの整理も兼ねて、疑問点や伏線と思われる点などを挙げておこうと思います。 何故か、同時上映とはいえ、『巨神兵 東京に現わる劇場版』が、『:Q』と同じタイトルに入っており連続チャプターになっています。 普通、特典映像とかに入っている物なのではないでしょうか。 それを敢えて、再生を始めるとこの『巨神兵』から始まることに、ストーリーに繋がりが無くても、何らかの意味があるように思うのですが、如何か。 冒頭のアスカとマリのUS作戦はシンジ救出作戦ということでいいのでしょうか。 ヴィレとしては、サードインパクトあるいはフォースインパクト、はてはファイナルインパクトを阻止することが目的で、そのトリガーとなり得るシンジを保護(というか監禁?)したいと。 エヴァに乗ってほしくはないけれど、といってネルフに行かれても困ると。 『:破』からの14年間に何があったのかがしっかり描かれないので、北川やサクラはともかく、アスカやミサトまでもがなぜあそこまでシンジに敵愾心を抱くのかが判りません。 『巨神兵』のモノローグに、「畏れこそが神の本質なのだ。だから人間たちは、自分たちに危害を加え、命を奪おうとするものにも手を合わせ、膝を折り、拝み、祈る」というのがあります。 ヴィレの人たちにとって、シンジは“自分たちに危害を加え、命を奪おうと”しちゃった者なのでしょう。 “手を合わせ、膝を折り、拝み、祈る”ことまでしないまでも、宥めて怒りを鎮めたままでいてもらうのが得策です。が、ぶっきらぼうな対応をしてしまったがために、シンジはお怒りになってしまわれたわけで。 なぜあんな態度を? の答えとしては、「恨みがあるから」、なのでしょう。 まぁ突き詰めれば、そうしなければ話が動かないからなんでしょうがね。
気になったのは、ヴィレの指令室でシンジの検査結果(?)の報告のシーンです。 ミサトも「シンジ君、でいいのよね?」と確認していますし、リツコも、シンジのデータと100%一致はするので、シンジ本人と云って善い、というような云い方です。 シンジだ、とは云っていません。 冬月との将棋のシーンでは、冬月はシンジのことを「第3の少年」と呼びかけます。このふたりの絡みの印象がないのですが、どう呼んでいましたっけ? よく判りませんが、『:Q』の碇シンジは本物でない可能性を示唆しているのでは?と勘ぐってしまいます。 シンジが身勝手なのも事実です。 ヴィレでは睨まれ、疎まれ、居た堪れなくなってアヤナミレイ(No.9)に従いていきます。 レイ(No.9)も『:序』や『:破』のレイというより、TVシリーズのレイになってしまったようで、それもシンジは不満に思い、レイ(No.9)を疎んじるのです。 クライマックスではあれだけカヲルに従順だったのに、土壇場でカヲルの制止を無視して槍を引っこ抜きます。 云ってしまえば、シンジがすべての元凶です。 アスカが彼を「ガキシンジ
シンジがキッカケとなったニアサードインパクトもゲンドウの人類補完計画の一環なんでしょうね。少なくともカヲルはそう考えていたようです。 彼はロンギヌスの槍とカシアスの槍二本を手に入れれば世界は元に戻せるとシンジを唆します。 結局は同じ槍が二本で、カヲルの目論見は外れるのですが、ではマリが気づいた“ゲンドウ君の狙い”とは何なのか。 マリはレイ(No.9)を「アダムスの器」と呼びます。 これはどういう意味なのか。
ざっと思い出せるだけですが書いてみました。 同梱の冊子のIntroductionには、「本作『:Q』の衝撃を踏まえつつ、改めて『:序』『:破』から連続して再見してみれば、創造力をかきたてる刺激的な描写がいくつも発見できる」と書いてあります。 ホントかなぁ? したらな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
October 1, 2013 04:10:32 AM
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