筆者にせよ訳者にせよ、どの程度本気で書いているのでしょうか?
この本、『聖なる予言』という小説に登場するある写本の“智恵”を実践するためのガイダンス本という位置づけ。
『人生を変える九つの知恵』から引用します。
「第一の知恵で、宇宙は、私たちを自分の運命へとつき動かしてゆくために、前兆ともいうべき神秘的な偶然の一致を与えてくれると言っています。第二の知恵では、過去を振り返ることによって、私たちは今、自分たちが基本的に霊的な存在であることに、集団的に気づきつつある、ということを教えています。第三の知恵は、宇宙は私たちの意志に反応する純粋エネルギーであることを私たちに示します。第四の知恵は、人間はお互いにエネルギーを取り合おうとしており、その結果、不足感、競争、争いや苦しみが生じていると教えています。第五の知恵は、宇宙のエネルギーとの神秘的なつながりがどんな感じか、それがいかに私たちの人生に対する見方を大きく広げ、私たちに軽さ、浮揚感、完全な安心感を与えるか描いています。第六の知恵は、自分のコントロールドラマを克服するにはどうすればよいか、また、両親から受けついだものを見ることによって、自分の人生の課題を見つける方法について説明しています。第七の知恵は、質問し、直感を受け取り、そこに答を見つけ出すにはどうすればよいか示すことによって、神秘的な流れに乗る鍵を私たちに教えています。第八の知恵は、他の人々の中の最良のものを引き出すにはどうすればよいか示すことによって、神秘の力を維持し、答を必ず得るための鍵を与えています。これらの知恵は、一つの意識へと統合された時、直感力と期待が高められたような感覚として感じられます。八つの知恵は、私たちがなぜここにいるのか、という存在の神秘に私たちを再び気づかせてくれるのです」
以上引用です。
“偶然の一致”、“人生の課題”、“運命”なんてのはまだ受け入れられるのですが、“神秘的な”、“霊的”、“純粋エネルギー”と来ると、「どこまで本気なのかな?」と不思議になります。
考えてみると、この手の超能力や人類の進化といったことを題材にしたアニメがありますよね。
例えば『機動戦士ガンダム』のニュータイプとか、『新世紀エヴァンゲリオン』の人類補完計画とか。
アニメなら受け入れられるのに、小説など文章にされると胡散臭さを感じてしまいます。
意識してポジティブな言葉を使うとか、自分の呼吸に意識を向けると気持ちを静められるとか、ありのままの自分を受け入れるとか、そういうことなら受け入れられるし、実践もできる気がするのですがね。
したらな。