カテゴリ:ぴかままの戯れ言
下のスレでチラッと書いたら、ポメマルさんにリクエストされてしまいました。
どこかに書いたような気もするのですが、見つからないので書きますね。 いえ、別に大した話じゃないんですよ。 どっちかというと、悲しい話にまつわるエピソード。 あれは札幌の大学の3年生の時でした。 年末になり、あす釧路へ帰省しようと決めていたその日の夕方。 高校の同級生から電話がかかってきました。 当時私が住んでいたのは、昔ながらの風呂無し・トイレ共同(←そういえばこういうのじゃなくて和式便所でした)という築20数年の木造のボロアパートで、電話も各部屋には引けず、一階の廊下に共同のピンク電話がひとつあるだけだったんです。で、電話が鳴ったら、その時在宅してる人が走っていって取り、呼び出してあげるのです。携帯電話全盛の今の時代から考えると、すでに想像つかない通信環境ですよね。 その時はちょうど荷造り中で家にいた私、電話の鳴る音に階下へとダッシュ。 同級生が知らせてきたところによると、高校の同級だったY君が亡くなったというのです Y君は確か、千葉の大学に行っていたはず。 「ちょいワル」っぽい感じを気取っていた彼のこと、バイクか何かで事故っちゃったのかな?と一瞬思いましたが、なんと、先天性の白血病で、そのためにとうとう亡くなってしまったのだそう。 あとから聞いた話では、当時、本人自身は知っていたのですが、同級生の誰もこのことは知らず、担任の先生だけには、入学時に親から話があったのだそうです。今でこそ、治療法が進歩して白血病は必ずしも不治の病ではなくなりましたが、当時はそうではありませんでしたので、高校時代にちょっとワルぶって遊んでいたのも、長生きできないのがわかっているから好きなようにさせてあげよう、という親の配慮だったのかも知れません。それでも志望通り薬学部に進んだのですから大したものです。 同じクラスの人に回せるだけ回すという連絡網だったそうで、私の先はもう回さなくていいので、とにかく翌日の告別式に間に合うようだったら出て欲しい、ということでした。 ちょうど翌日帰省するつもりでいましたので、その日のうちに出発するのに差し支えはありません。列車の切符もまだ買っていませんでしたし(ビンボー学生なので指定席を取る習慣は持ち合わせていませんでした)、荷造りを急げば何とか最終列車に間に合いそうです。 急いで荷造りを済ませ、でっかいボストンバッグを抱えて札幌駅へダッシュ。 年末ですから、切符売り場にはやはり行列が出来ています。 まだかまだかと焦りながら、自分の順番が回ってくるのを待ちます。 ホントに間に合いそうにないのなら、自販機で最低額の切符だけ買って改札を通りホームに直行して、車内精算してもらうという手もあったのですが、何しろ特急で5時間かかる長距離、せっかく取ってある学割を使わずに買うのは、ビンボー学生としては出来ない相談。どうしても窓口で買わねばなりません。 ようやく順番が回ってきたときには、発車時刻まであと3分 「釧路まで、おおぞら○号、自由席、学割」と叫んで学割証となけなしのお金を窓口に差し出すと、窓口の国鉄職員氏「え~、間に合いませんよ~、無理ですよ~」とのんびりとした返答(考えてみれば当たり前の返事ではあります)。「でも絶対乗らなくちゃならないんです!明日の朝、葬式に出なくちゃならないんです!20分も行列に並んで待たされて間に合わなくなって葬式に出られなかったら国鉄は責任取ってくれるんですかっ?!」などと無茶なことを震える声で叫び、約1分間の押し問答の末無理矢理切符を売ってもらいました。 それから改札を通り、地下通路を猛ダッシュ! 釧路行きの出るホームの階段を必死で駆け上がっていると、上からホームの駅員さんが「どこまで行くの~!?」と訊いてくれました。 「釧路~っ!」 そう、帯広までならこの次の列車でも行けるんですが、釧路まではこれを逃すとあとは夜行しかないんです。 一旦ドアを閉め、あとは笛を吹くだけだった列車のドアを、私ひとりのためにまた開けてくれたんです 札幌駅、全面改装して高架駅になってしまったので、あの時私が猛ダッシュした地下通路って、今はもう無いんですよね。 この年は、その少し前11月に、自分の指導教官を事故で亡くすという悲しい出来事があり、その知らせも同じピンク電話で受けたんです。この2本の電話を受けたときのことは、今でも鮮明に記憶に残っていますね。 ・・・あ、昔のピンク電話って、もしかして知らない人もいたりします(^_^;)??? こういうのです。ダイヤル式で10円玉しか使えない「大型ピンク電話」ってやつです。 お笑いの「ピンクの電話」じゃありません お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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