呪術の本質と呪い返しを描いた映画「陰陽師0」~【徳を生む愛】
呪いとは"見せたいもの"を見せる術おはようございます みなさん「見せたいものを見せる」という呪術の本質と呪い返しを描いた映画「陰陽師0」(高間智生氏寄稿)https://the-liberty.com/article/21399/全国公開中《本記事のポイント》・呪いとは"見せたいもの"を見せる術・呪いを破る方法としての心の鏡を丁寧にふき取る仏教・八正道の「正思」・この世で「恨み心」を遺した人も「神」にまつり上げる日本神道の問題点平安時代に実在した陰陽師・安倍晴明の活躍を描いたベストセラー小説「陰陽師」シリーズを原作に晴明が陰陽師になる前の物語を原作者・夢枕獏の全面協力のもと完全オリジナルストーリーで映画化平安時代は呪いや祟りから都を守る陰陽師の学び舎であり行政機関でもある「陰陽寮」が政治の中心となっていた青年・安倍晴明は天才と呼ばれるほどの呪術の才能をもっていたが陰陽師になる意欲も興味もない人嫌いの変わり者だったある日彼は貴族の源博雅から皇族の徽子女王を襲う怪奇現象の解明を頼まれる衝突しながらもともに真相を追う晴明と博雅はある若者が変死したことをきっかけに平安京をも巻き込む凶悪な陰謀に巻き込まれていく若き日の安倍晴明を山崎賢人源博雅を染谷将太徽子女王を奈緒が演じる「アンフェア」シリーズの佐藤嗣麻子が監督・脚本を手がけ作家・加門七海が呪術監修を担当している◎呪いとは"見せたいもの"を見せる術陰陽師というとかつて野村万斎氏主演でヒットした映画作品が思い出され式神や鬼をイメージしがちだが今回の映画「陰陽師0」ではそのどちらも登場しない映画の冒頭ではまだ陰陽寮で学ぶ学生である安倍晴明が外出先のお寺の軒先で「そこの庭にいる蛙を呪術で殺してみろ」とけしかけられるそこで晴明は木の葉を取って呪文を唱えて飛ばし葉がカエルの背中に舞い落ちると同時にカエルが破裂死するという術を見せて驚かせるその後で種明かしをするのだが実は蛙は死んでおらず「死んだように見せたい」という自分の狙いをトリックを使って人々に見せたのだとしていたもちろん安倍晴明は本当の霊能者ではあるのだが"呪いとは呪われる側に見せたいものを見せる術である"という呪いの本質が今回は中心テーマに据えられているつまり呪われる者の「心を支配する」ことが呪いなのだというこれは呪いの核心を突いた考えだろう。◎呪いを破る方法としての心の鏡を丁寧にふき取る仏教・八正道の「正思」こうした呪いを返す方法とは何か今回の映画では自分が持っている執着に気づき手放すことが描かれている本作では晴明は幻術にかけられ幼い頃父親と母親が殺されたその殺害の現場に立たされるそして両親を殺した相手を見つけ怒りに燃え復讐として切りかかっていくしかしその途中でこれは幻術であり自分を破滅させる策略であるのだと気づき寸前で思い止まるそして自分の心の中にくすぶっていた怒りを鎮めていったそれはこの怒り復讐の思いが呪いに取り込まれる「きっかけ」になっていることに気づいたからだろうこれは仏教的に言うと八正道のなかの「正思」「正しく思う」に当たると言える心を鏡に譬えると毎日降りかかってくる小さな埃や砂つぶなどを丁寧にふき取っていくことである心に積もって鏡を曇らせる埃とは「貪欲な思い」や「虚栄心」「人を見下す心」「復讐したいと思う恨み心」などであるこうした埃が積もって心の鏡が何も映さなくなると自分を見守っている守護・指導霊の警告が聞こえなくなってしまう良心の呵責を感じなくなりこれが心の迷いを引き起こし呪いに引っかかる原因となるのである◎この世で「恨み心」を遺した人も「神」にまつり上げる日本神道の問題点映画のクライマックスは晴明が平安時代最大の怨霊とされる菅原道真の霊を呼び出すところだしかしこの設定には霊的真実から見ると少し無理があるようだ菅原道真は平安時代の貴族で九州の大宰府に左遷されその恨みで平安時代最大の怨霊になったとされるが実は現代に宮澤喜一氏として転生したとされているこの宮澤氏が首相になったあたりから日本の景気が急に腰折れして何かもののけに取り憑かれたかのように三十年以上日本景気が低迷したまた宮澤内閣の官房長官・河野洋平氏が出した河野談話は国民に対していわれなき自虐史観を押しつけ歴史認識を大きく誤らせた宮澤氏は「戦後日本の高度成長のピリオドを打った人の一人」でありやはり祟り神であったと言えるこうした怨霊を神として祭り上げることは日本神道の問題点の一つで大川総裁の著書『人格をつくる言葉』には「日本神道の問題点はこの世で偉い人を『神』にしこの世で『恨み心』を遺した人も『神』にまつり上げることである」とある人格をつくる言葉[ 大川隆法 ]人格をつくる言葉【電子書籍】[ 大川隆法 ]道真はやはり陰陽師の"武器"にはなり得ない因みに夢枕獏氏原作の陰陽師シリーズは中国でも映像化されている唯物論・無神論の共産主義の独裁専制国家で言論の自由がなく監視と検閲が支配する国でも陰陽師を映画化しているその理由は資本家も妖怪や魔物も人々を苦しめる存在としては同類だと考えているのかもしれないしかし大川総裁は『呪いについて[ 大川隆法 ]』のまえがきで「『共産主義』の発生そのものが呪いである」とも指摘している呪いについて[ 大川隆法 ]呪いについてー「不幸な人生」から抜け出すためにはー【電子書籍】真の陰陽師とは単なる超能力者ではない人間の心が生み出す想念やビジョンの善悪白黒を見分ける霊的な裏打ちのある智慧を持った宗教家であるこのことを忘れてはならないだろうザ・リバティwebこの記事の文中に平安時代は呪いや祟りから都を守る陰陽師の学び舎であり行政機関でもある「陰陽寮」が政治の中心となっていた陰陽師が行政機関だった政治の世界に陰陽師が関係していたということです今では科学で証明できないものはまやかしや手品でありそれを信じて政治などあり得ないでしょう陰陽師自体が政治に関わるなど未開の世界のように思うのでしょうが実際には人々の呪いや執着が飛び交っていて行政にも大きな影響を与えているのです菅原道真が今世宮沢喜一として転生してきて過去世の恨みを果たさんとして日本の景気を貶め30年の停滞を作り出したこれも呪いや執着のなせる業でしょう如何に政治や行政など公の活動が神聖でなければならないかこのことを見てもよく解るというもの「念いの世界」を舐めたら行かんぜよということでしょうそれを正すのが宗教の力であり神仏から降ろされた正しさを実行するすべとして仏法真理として降ろされその一端が八正道の実戦です今日の光の言霊は【徳を生む愛】です心にわだかまりを作らず与えきりの愛で政治を行うこと人々の幸せのために自分の人生があると思えることこそ「徳」がうまれてくるのでしょう人々が幸せになっていくことが自分の生きがいと思える政治家が必要です今の政治は呪いや祟りに満ちているのではないでしょうか【徳を生む愛】「与えきり」だからこそ「徳」が生まれてくるのです「自分は縁の下の力持ちでよいのだ子供を育てること自体が自分の生きがいでありそれだけで十分ごほうびになったあとは子供が幸福な人生を生きればよいのだ」親がそのように思っていれば子供は逃げていきませんHS『ハウ・アバウト・ユー?』 P.105ハウ・アバウト・ユー? 幸せを呼ぶ愛のかたち (OR books) [ 大川隆法 ]ハウ・アバウト・ユー?【電子書籍】[ 大川隆法 ]太陽の法 エル・カンターレへの道 (OR books) [ 大川隆法 ]太陽の法 エル・カンターレへの道【電子書籍】[ 大川隆法 ]