平成の 終わりに 思う
平成も最後の夕刻を迎え 思えば 日本国民として良き象徴天皇を頂き、感謝の思いが尽きません。九州のド田舎の学生として 東京を目指し、運よく志望大学に入学できた昭和36年の春、憧れの神宮球場で校歌を斉唱し、高揚した勢いで神宮外苑から校友と下宿先の早稲田南町まで歩いて帰る際 運の良いことに偶々 外苑道路を 両殿下が車で青山御所迄お帰りになるらしいと聞き込み、昭和33年にご成婚され前年35年に皇孫殿下のご誕生あったばかりの妃殿下を拝謁したいばかりに当然のことながら道の人波の多いほうに並び、待ち受けていると・・目の前に まるで 輝くばかりにお美しい美智子妃殿下のご尊顔を拝することが出来たことが、つい先年の事の様に思い出されます。その後も これもたまたまの事だが、青山御所近くの 6階のアパートに住む実姉宅で、唯さえ見晴らしの良い青山御所の森の切れ目辺りの緑濃き芝生を 姉の愛用のオペラグラスで眺めていると、ポロでもしていたのか 乗馬姿の一団が 視界に入ったので、或いはと目を凝らすと、女性らしい騎手がするすると 落馬され、 周囲の騎手も慌てて下馬されるも暫くは そのまま 手をこまねくばかり、 続けて視界に入った騎手が手綱さばきも鮮やかにひらりと下馬。手を差し伸べてお助けあそばされているのを 周りはほっとされて見守るばかり間違いなく 妃殿下がまだ手綱さばきも慣れぬ為 落馬されたのを、当時皇太子殿下であられた平成天皇がお助けしたに違いなく。 その折 手元にでも 優秀な望遠カメラでもあれば、大スクープになったものを・・と。 お陰で国元に帰った際の土産話には何度もさせて頂いたが先日M新聞の夕刊に 学習院大学 乗馬部の某氏が 学舎の貧馬にモノ足らず思っていた処同大学乗馬部ご出身の殿下のおかげで、青山御所や吹上御殿の優秀な馬に乗ることもでき、また妃殿下を名騎手にしようと殿下が手取り足取りお教えし、むしろ皇孫殿下らは妃殿下をお止めされていた由。大方その頃の良き時代のことでもあったのかとひとり合点した次第。時代は廻り 昭和天皇が 長引くご病気でご危篤の折、何かの用事にかこつけて 大阪から上京し、肌寒い宮城前の長い行列に並び ひたすらご回復を祈り記帳したことも思い出した。あれから31年 御代も又 今まさに変わり 明日からは【令和】の御代 歴代天皇のご慈愛に満ちた我が国の有難さと奥深さが身に染みる年頃とは 相なりました。