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Mr.H'sBLOG・・好日夢譚

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October 5, 2017
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かくして、日本の戦後が始り。 8月17日 東久迩宮稔彦内閣が成立。
終戦を円満に遂行し日本軍 百万を武装解除して大過なく占領軍を受け入れるには、天皇の身がわりである皇族が事態を主導するしかなかったからだが・・

主要閣僚としては 内務大臣 山崎 巌(元内務次官)外務大臣に重光 葵(駐ソ公使・駐英大使歴任後 東條内閣時 外務大臣)
国務大臣には近衛文麿元首相 内閣書記官長 緒方竹虎(朝日新聞副社長・小磯内閣時 情報局総裁)陸軍大臣は下村 定大将(東久迩宮首相と陸軍士官学校同期、終戦時 北支那方面軍司令官に首相が直接依頼し帰国就任)、更に厚生大臣 松村謙三などが任命された。 

占領に先立ち、アメリカ軍との連絡のためにマニラに遣使された河辺虎四郎参謀次長の使節団が帰国、米軍の進駐日程を報告した。それによれば、
8月26日、最初の進駐部隊が厚木・鹿島飛行場に到着し、海上戦力が東京湾に進入するので、それまでに全航空機の武装を解除すること。28日には連合国軍総司令官・マッカーサー元帥が厚木に降り立つ予定」とのことであった。

ところが、厚木飛行場は海軍第302航空隊などが徹底抗戦を主張していた為、急遽 高松宮宣仁親王が差遣され 武装解除の説得をするなど、騒動が絶えなかった。予定より遅れ、29日、米国先遣隊が厚木に進駐。翌30日、マッカーサーは幕僚団と共に厚木に降り立った。
G.H.Qは当初横浜税関に、続いて日比谷の第一相互ビルに引っ越し、日本全土を統治することになった。

9月2日午前九時、戦艦ミズーリ艦上で、重光葵外相と梅津美治郎参謀総長が降伏文書に署名。ここに占領が開始された。
新聞は9月3日付け 毎日新聞・・下段には
内閣成立の翌日8月18日に内務省が設置指示した、占領軍向けの特殊慰安施設の急告募集広告アリ)


同11日、GHQが東条英機ら39人の戦争反罪人の逮捕を命令。 東條英機元首相は用賀の自宅へ米軍憲兵がジープで乗りつけた際、拳銃自殺を図るも未遂で逮捕、『生きて虜囚の辱めを受けず』という戦陣訓を作った責任者だっただけに多くの国民の冷笑を浴びた。 

閣内でも、GHQへ近衛が媚態越権接触に面白からず思っていた重光は9月15日、終戦連絡事務局の問題を種に辞職させられ、代わって元駐英大使で、近衛の人脈の吉田茂が登場。  

吉田外相は、マッカーサーに会見を望む天皇の内意を伝えられ、みずからGHQに赴いてこれを打診。マッカーサーは、「私の方から宮中へお伺いするわけには参らないが、陛下がおいでくださるならば、いつでも喜んでお会いする」と答え、吉田と入れ違いに訪れた藤田尚徳侍従長にも同様の趣旨のことを伝えた。

 こうして、天皇とマッカーサーの第一次会談が9月27日、米国大使館で行われた。陛下とマ元帥が二人で何を語られたか、これは明らかにされていないが、・・・・
陛下は次の意味のことをマ元帥に伝えられている。
敗戦に至った戦争の、いろいろの責任が追及されているが、責任は全て私にある。文武百官は、私の任命するところだから、彼らには責任はない。私の一身は、どうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の配慮をお願いしたい」と

 一身を捨てて国民に殉ずるお覚悟を披瀝になると、この天真の流露はマ元帥を強く感動させ。「かつて、戦い敗れた国の元首で、このような言葉を述べられたことは、世界の歴史にも前例のないことと思う。私は陛下に感謝したい。占領軍の進駐が事なく終ったのも、日本軍の復員が順調に進行しているのも、これ総て陛下のお力添えである。これからの占領政策の遂行にも、陛下のお力を乞わねばならぬことは多い。どうか、よろしくお願いしたい」・・・藤田尚徳「侍従長の回想」より

両者会談後、アメリカ側と記者会見と写真撮影が行われ、マ元帥は玄関まで見送りに出たが、この写真発表を巡り、山崎巌内相は写真の発禁、掲載禁止を指令するもGHQから命令撤回を指令された。
新聞はGHQ指令によりその写真を掲載した9月29日付け 毎日新聞)


占領政策が開始されても、なお、政治犯・思想犯の拘留は相次いでいた。
 山崎巌内相は、「思想取締の秘密警察は現在なお活動を続けており、反皇室的宣伝を行う共産主義者は容赦なく逮捕する」と、ロイター通信特派員に語った。

これが仇となり、GHQはその翌日10月4日、「政治的自由の制限除去に関する覚書」が発せられた。すなわち、政治犯の即時釈放、思想警察の全廃、内相および警察首脳の罷免、一切の弾圧放棄の撤廃などを実施し、15日までにそのとられた措置を詳細に報告せよ、という内容で

 東久邇宮内閣は驚愕し消極的抵抗を示すため、又 すでに進駐軍を無血で受け入れ、終戦・復員事務を軌道に乗せるという この内閣の使命も終り、翌5日 成立後わずか54日で総辞職した。

10月9日 幤原喜重郎内閣が成立その後もGHQからは憲法の自由主義化、婦人解放、12月15日 には国家と神道の分離と指令が続き12月29日 農地調整法が改正公布された(第1次農地改革)。

08/17 東久迩宮稔彦内閣が成立する。
08/18 内務省が、占領軍向けの特殊慰安施設を設置するよう指示する。
1945/08/20,昭和20/08/20 灯下管制が3年8ヵ月ぶりに廃止される。
1945/08/21,昭和20/08/21 東京地方に「天気予報放送」が復活する。
08/23 ソ連が、日本人50万人のシベリア抑留の指令を発する(9898号指令)。
08/28 連合軍先遣隊が厚木に到着する。
1945/08/28,昭和20/08/28
東久迩宮稔彦首相が記者会見し、敗戦の原因の一つが国民の道義の欠落にあると述べる。
1945/08/28,昭和20/08/28 連合国軍総指令部(GHQ)が横浜に設置される。
08/30 マッカーサー元帥が連合軍最高指令寛として厚木に上陸する
昭和20/08/30 ソ連が、北海道占領への樺太での軍事活動を停止する。
1945/09/02,昭和20/09/02 京湾内に停泊している米戦艦ミズーリ号上で、日本全権代表重光葵外相が降伏文書に調印し、アジア・太平洋戦争が正式に終結する。
1945/09/06,昭和20/09/06 朝鮮人民共和国が樹立される
1945/09/08,昭和20/09/08 アメリカ軍がジープによる東京進駐を開始する。
1945/09/11,昭和20/09/11 GHQが東条英機ら39人の戦争反罪人の逮捕を命令する
1945/09/15,昭和20/09/15 GHQ本部が、東京・日比谷の第一生命ビルに設置される。
1945/09/20,昭和20/09/20 文部省が、中等学校以下の教科書から戦時教材の削除を通達する。
1945/09/27,昭和20/09/27
天皇がアメリカ大使館にマッカーサーを訪問する。
1945/10/05,昭和20/10/05 東久迩宮内閣が、前日のGHQ覚書は実行できないとして総辞職する。
1945/10/09,昭和20/10/09 幤原喜重郎(しではらきじゅうろう)内閣が成立する。吉田茂外相は留任する。
1945/10/11,昭和20/10/11 マッカーサーが幤原首相に、憲法の自由主義化、婦人解放など5大改革を指令する。
1945/10/24,昭和20/10/24 国連憲章が発効し、国際連合が正式に発足する。
1945/10/29,昭和20/10/29 日本勧業銀行が第1回宝くじを発売する。1等10万円。
1945/11/02,昭和20/11/02 日本社会党が結成される。開会の辞で浅沼稲次郎は国体護持を主張し、大会が終わると賀川豊彦は「天皇陛下バンザイ」の音頭をとる。
1945/11/06,昭和20/11/06 GHQが財閥解体指令を出す。
1945/11/09,昭和20/11/09 日本自由党が結成される。総裁は鳩山一郎。
1945/11/20,昭和20/11/20 ナチス・ドイツの主要戦争反罪人を裁く国際軍事裁判がニュルンベルクで開廷する(ニュルンベルク裁判)。
1945/12/01,昭和20/12/01 陸軍省と海軍省を復員省に改組する。
1945/12/06,昭和20/12/06 GHQが、近衛文麿、木戸幸一ら9人の逮捕を命令する。
1945/12/07,昭和20/12/07 マニラの戦犯裁判で、山下奉文元大将に死刑宣告が下される。
1945/12/12,昭和20/12/12 GHQが芝居の仇討ちものや心中ものの上演を禁止する。
1945/12/14,昭和20/12/14 ニュルンベルク国際軍事裁判で、元ドイツ秘密警察員がユダヤ人虐殺は600万人以上と証言する。
1945/12/15,昭和20/12/15 GHQが国家と神道の分離を指令する。
1945/12/16,昭和20/12/16 近衛文麿が自宅で服毒自殺する。55歳(誕生:明治24(1891)/10/12)。戦犯に指名された。
1945/12/29,昭和20/12/29 農地調整法が改正公布される(第1次農地改革)。
1945/12/31,昭和20/12/31 GHQが、修身・日本歴史・地理の授業の停止を指令する。

筆者 注・・昭和初期より昭和20年末迄 古い新聞を辿り、戦前・戦中・終戦・戦後と歴史を辿ってみましたが、これにて 一旦区切りを付け、平成29年秋現在の総選挙の混沌とした政治情勢にも鑑み、結果も出そろったその後、考を温め、折を見て 後日記載することとします。

尚 文中記載の「歴史年表」は 碩学者の慶應義塾大学理工学部教授であられた故中西正和先生の力作「中西正和歴史年表」http://www.softvision.co.jp/history/help/
をほぼ丸写しにて利用させてもらっておりますので、尚々 物足りない方は同頁を参照下さい。
 拙い文章で短期間に一挙掲載した為、記録間違いも皆無ではありませんが、追々訂正することとします。ご愛読を賜り、有難うございました。








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Last updated  October 5, 2017 03:52:19 PM
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