山田維史の遊卵画廊
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予定だと今日完成させるはずの作品、午前中から執筆していたが、午後3時を過ぎてちょっと休憩した。コーヒーを呑みながらぼんやりしていたら、ふと英語の俳句が思い浮かんだ。そこらの紙切れに書き取り、少しいじくって次のように2句できた。しばらくぶりにここに掲載することにした。日本語の訳はない。Oh to be in herePlenty of the mementos overlap one anotherPathos in the late fallPretty colored patterns of fallreminds me of loves in those daysI became an old now
Nov 30, 2014
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山田維史『秋』油彩、2013年/会津若松市、H氏蔵Tadami Yamada《Pathos in the Fall》Oil on canvas, 22.7×15.8cm、2013 Private Collection, Aizuwakamatsu, Japan.
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厚生労働大臣から委嘱されて民生・児童委員に就任してちょうど1年が経った。多忙な、あっという間の月日だった。民生・児童委員は毎月末日に活動記録を国に提出することを義務付けられている。今日、11月分の記録の整理をしたついでに、この1年間の私の活動を通覧してみた。日数にして133日、高齢者訪問は162回、その他の仕事は234件だった。数字は民生・児童委員各人によって異なるので、私の活動件数が多いか少ないかはわからない。しかし、とにもかくにも、ボランティアで地域福祉のために忙しく動き回った。私を信頼し頼りにして相談してくださるのだから、ありがたいことだ。私の身体も心も丈夫な証拠だ。---12月も何件ものスケジュールが組まれてい、ずっと3月までつづいている。まあ、どんどん頼ってください、ご遠慮なく!
Nov 29, 2014
「庭の秋」
Nov 28, 2014
忙しい一日だった。午前中、少し制作。午後は1時半から4時半まで会議。6時から7時半まで合唱団「かしの木」の練習。 合唱はいよいよ来月19日に初披露。衣装も決まった。女性は白のブラウスに黒のロングスカート、胸に淡いクリームオレンジ色の薔薇のコサージュ。男性はワイシャツに黒のズボン、淡いクリームオレンジ色の蝶ネクタイ。オレンジ色は全国民生委員のIDカラーである。また、合唱団の名称「かしの木」は、我が市のシンボル樹だ。---きょうは、社会福祉協議会から、来年3月7日の「福祉のつどい」への出演依頼も正式にあり、練習にも一層熱がはいった。なにしろ男性6人だけで歌うパートがある。大ホールで声がとどくかしらん。たいへん、たいへん。---自信?---だいじょうぶだと言っておきましょう。なにしろ、くじけないことがモットーですから。
Nov 27, 2014
きょうも一日中雨。庭掃除もできないので、柿や楮の落ち葉が溜ったままだ。 そんなわけで、昨夜、早じまいした制作を夕方までやる。今、夕食がすんで7時20分になるところ。これから9時まで再び制作。その後は読書。明日は会議やらで午後1時から7時半までは潰れる。制作はそろそろ仕上げの段階に入ったが、たぶんまた欲がでて、しつこく微細な手直しをすることだろう。---しかし、きょうは次の作品の構想をキャンヴァスの上で確認もした。気は次第にそちらへ向かって流れつつある。
Nov 26, 2014
夜の制作を早々に仕舞いにして、NHK・BSで、まだ一度も観ていなかった高倉健さん主演の映画「ホタル」(降旗康男監督、2001年)を観た。すばらしい作品。かつての神風特攻隊を、本作のように扱った映画を私は知らない。いまは何も語るまい。重く深い感動のために、私の血圧は149にまで上がってしまった(普段は116〜120)。後日、落ち着いたらまたじっくり考えてみよう。 そうそう、この映画を観ながら島尾敏雄の小説「出発は遂に訪れず」(初出、1962年雑誌「群像」。単行本、1964年新潮社)を思い出した。島尾氏は特攻隊隊長で、「ホタル」の特攻隊と同じく知覧から出撃するはずだった。---50年前の本だが、意外にもすぐにみつかったので書影を掲載しておく。
Nov 25, 2014
朝から雨が降りつづいている。 昼前、高齢者から寄せられた相談に関して記録書類を作成。午後、それと他の関連資料をたずさえて、バスで市役所に出向く。 相談された内容を、どのように解決すべきか、解決が可能かどうか、を検討するためである。---民生委員として活動していると、実際、社会の奇怪さにでくわすこと少なくない。そういうところに巻き込まれて苦しむ人を、どうにかして救い出したい。そう思って手をつくすのだけれど、成功するとはかぎらないのだ。---蜘蛛の巣をときほぐす手だてをあれこれ考えながら、雨の中を歩いて1時間の道のりを帰って来た。 夜、しばらく仕事場に籠って制作をするつもり。月末までに1点完成させる予定だ。いまのところ順調に進んでいる。次の作品の準備もできている。
昨夜、NHK・TVで高倉健氏追悼番組、映画「あなたへ」撮影前後の高倉健さんを100日間にわたって密着取材したドキュメンタリーと、その後、途中からではあったが他局で遺作「あなたへ」を観た。映画をあとまわしにしたのは、すでに観ていたからである。 両作品を観ながら考えたのは、人間の生涯の締めくくり方と、そこに到るまでの準備の仕方についてだ。心構えといってもよい。 インタヴューのなかで高倉健さんは、子供の頃、生まれ在所でしばしば屍体を見たと言っていられた。荒くれ男達の喧嘩の果ての屍体だったり、戦時中の米軍兵士の落下傘が開かずに墜落した生々しい屍体も見た、と。そして、年を取って肉親の死が重なるようになると、おのずと自らの生涯の締めくくりを考えるようになる、と。インタビューアーに、「あなたは(○○さん、と名前を言った)若いから、まだそんなことは考えないでしょう?」と笑顔でおっしゃった。 私は、このブログ日記で何度か漏らしてきたが、高倉健さんの言われるように、69歳もあと半年で70歳にならんとして、自分の生涯を如何に終わらせるべきかを考えないわけではない。悲壮感はまったくない。ごくごく淡々と考える。大江健三郎氏の「晩年様式(レイト・スタイル)」を参考に、まさにその言葉をじぶんのものにしたいのである。それは自分における「Death Education(デス・エデュケイション;死についての教育)」である。 私の祖母は、昔、90歳のときに1週間ばかり札幌の我家に滞在し、ちょうど大学が夏休みで帰省していた私と10年ぶりくらいに会った。その時、祖母はこう私に言った。「わたしは、はあ、あと4年しか生きられないから、タダミさんと会うのはこれが最後でしょう。タダミさん、たっしゃでいなさいよ」---そして、その言葉通り4年後に亡くなった。 祖母の長男である僧侶の伯父は、死を控えて(元気ではあったが)、小さな小さな(幻影の)人達の訪問を居間に迎えて、そのひとしきりの遊びを楽しそうに見ていた【註】。そして暇ができると親しい人達に葉書をしたためた。「わしの筆蹟(て)を、みんなに遺しておこう」と。 【註】背丈10cmほどの唐子(からこ)のような人達が、にこやかに、どこからともなく伯父を取り囲むように現れるらしかった。 2年前に亡くなった母は、在宅医療で様々な管につながれていたが、私のその日の看護がひととおり終わって、医療ベッドの傍らの床にごろ寝をしようとしたとき、眠ったまま静かに息を引き取った。 私の記憶の抽出には、敬服すべきみごとな死に方をした方々のお名前が入っている。美空ひばりさん、乙羽 信子さん、森光子さん、映画「大鹿村騒動記」を遺した原田芳雄氏、新藤兼人監督、映画「あなたへ」がやはり遺作となった大滝秀治氏、島倉千代子さん、そしてこのたびの高倉健さん。 ---みな、ご自分の生涯と、打ち込んできた仕事の締めくくりとを一致させた方々だ。 私は、自分自身の「こう、ありたい」という締めくくりを模策しながら、「よし、バタリと逝くまで生き抜くぞ」という気持ちになっている。凡人にはそれしか道はない。
Nov 24, 2014
高倉健氏が亡くなって、ここ数日 TVはそのお人柄を偲ぶ番組がつづいている。また、出演映画の放映も各局で予定されている。代表作を再び三たび観るまたとない機会と、私も粛然として待っている。 そうした追悼特別放映の第一弾として、昨夜、藤原惟繕監督の「南極物語」を観た。 物語は衆知のように、かつて日本南極探検隊が犬ぞり用に使役した15頭の樺太犬を鎖につないだま置き去りにし、後に再び組織された探検隊によって2頭、タロウとジロウの生存が確認された事実に依拠している。 タロウとジロウの生存は奇跡的というべき、喜ばしいことではあった。しかし、やむおえずとはいえ、探検隊の所行はまことに不愉快きわまりない、憎むべきことと、当時、私は思ったものだ。とうていタロウとジロウの生存によって、残酷な事実を糊塗できるものではなかった。 その思いは、長い年月が経過した現在も変りはしない。のみならず、この時の探検隊と砕氷船宗谷の船長を初めとする幹部乗組員、なかんずくこのプロジェクトを国内にいて指揮した上級幹部の行動シナリオ設計のあさはかな精神は、太平洋戦争時の南方戦線派遣の行動シナリオを設計した日本政府ならびに日本軍大本営のあさはかさときわめて類似した精神構造が透けて見える。 つまり、どこかに詰めの甘さがあり、後方支援を含めたあらゆる状況仮説を準備して、万事に対処できるかどうかが議論されていないことが窺われるのだ。 南方戦線で後に「餓島」と呼ばれるような悲惨な餓えのなかで、敵に殺されるのではなく自国の愚かな政府のために死ななければならなかったのは何故か。ビルマのジャングルと峨峨たる山中で、身動きもとれぬまま白骨化していったのは、大本営にも上級将校にも地図を読解する能力に欠けていたからではなかったか。---そして、かの南極探検プロジェクトでは、物資輸送にしろ救出にしろ、砕氷船が結氷に閉じ込められて身動きがとれなくなる事態が起こりうることなど誰にでも予想できたはずだ。映画の中の台詞なので、実際に発せられた言葉かどうかは不明だが(監修は西堀栄三郎元南極探検隊隊長)、犬を救出するために宗谷から飛行機を飛ばすことはできない、それは「船を軽くするために燃料を捨てた。ケープタウンに着くのがやっとだ」とか、「一刻も早く大洋に出なければ、すでに飲料水がない」とか、まあ、口をあんぐりなことを言っている。---原発事故についても言えることだが、われわれ日本人の精神には、行く末の落とし穴となるような、何か大きな欠落があるのではあるまいか。どうしたらその欠落を克服できるのか---。 というわけで映画「南極物語」の依拠する実話は、私にとって不愉快なものだが、高倉健さんと渡瀬恒彦さんが演じる若き極地地質学者は、その不愉快さに抵抗する代弁者と言ってよかろう。この二人に藤原惟繕監督の主張が込められてい、単なるタロウとジロウが極寒マイナス40〜50℃のなかで生き抜いたという感動物語の通俗に堕さずにすんでいる。 ただ、私は大きな欠点を指摘しなければならない。 それは、置き去りにされた15頭の犬達の姿を見せるシーンに、ナレーションがかぶさる点だ。おいおい、このナレーションは、一体、誰の視点だい! 「最初に鎖を切ったのはアンコだった。次に脱出したのはジャックだった。そしてジロウとシロが首輪を切った」---「大洋に流されたリッキーを風連のクマはその場に残っていつまでも待った」---「野性化した風連のクマがタロウとジロウにアザラシの獲り方をおしえた」等々。 何度も言うが、誰の視点でそんなことを言っているんだい? ---すべてのナレーションならびに字幕は、撮影手順ないしは、こういうシーンを撮ろうというシナリオにおけるいわばト書きではないか。だが、映像にかぶせると馬鹿げたことになる。ナレーションも字幕も入れずに、極寒に絶える犬達の姿をただじっとキャメラで追う。それだけで成立したはずだ。映像はドキュメンタリータッチで十分強い。人間世界とカットバックしながら何度も繰り替えされる3分5分の長いシークエンスであるが、無言で通して恐れる必要はなかった、と私は思う。 ああ、このナレーションと字幕がなければ美しい作品になったであろうに! 高倉健さんが亡くなった今、一層そんなふうに私は思った。
Nov 22, 2014
終日、制作。 BGMは、最初ブラームス作品を流していたが、だんだん退屈になり、次はメンデルスゾーン。これも駄目。リスト、これは思いのほか良かったが,途中から邪魔になり、パガニーニの作品に変える。 じつはあまり耳には入らないのだが、制作のほうが少々辛気くさい作業をやっているので、真剣に聴いていなくても身体になんとなくバイブレーションを感じているのが良い。 弟にある展覧会を勧められたが、制作が忙しいので断った。
Nov 21, 2014
きょう20日、ボジョレー・ヌーボーが解禁。我家でも午前中にさっそく2本。Georges Dubœuf、 Beaujolais 2014 Primeur である。 私は若い時はウィスキー党で、30代頃にワインが混じり、そして仕事に忙殺されるようになってピタリと酒をやめた。各種のパーティーでも一切口にせず、頑固に無粋を通した。 健康のためではない。あくまでも作品制作、そのイメージの湧出の問題に関わっていた。私がどのようにイメージを得て、どのように作品として確定してゆくかは秘密だが、とにかく脳にアルコールが入っていてはダメだ。そういうことが自己観察でわかった。 ---やがて年をとり、主治医をきめてこまめに健康診断を受けるようになって、アルコールも煙草もやらないで来た私の身体は、いまのところ少しもダメージを受けることなく保たれている。ストイックというのではない。私は何にあれ、ごく自然体。自然が私を導いている。 ---と言う訳で、まもなく70歳になる現在、画家として現役、毎日制作し、新たなステップに挑戦し、また地域の方々のための福祉活動にいそしんでいる。 しかしまあ、今晩はボジョレー・ヌーボーの若いあじわいを楽しみながら、夕食はパエリャをつくることにする。1本は空け切らないから、残りは明日の昼に、チーズフォンデュにし、バゲットにからめて食べることにしよう。
Nov 20, 2014
男子サッカー、来年1月のアジアカップに向けての最後の前哨戦キリン・チャレンジカップ2014、日本対オーストラリア戦は、昨日ヤンマースタジアム長居(大阪市)でキックオフ。日本チームは、前半立ち上がり、オーストラリアの緊密な布陣になかなかスペースを作れず苦戦したが、アギーレ監督の柔軟なポジション変えが効を奏すなどして、2−1で勝利をきめた。アジアカップ連覇にはずみをつけた。 遅ればせながら、いつものように私のメモをもとに、試合経過を記録しておく。 先発メンバー; キャプテン; MF長谷部、 GK川島、DF吉田、森重、酒井(高)、太田、MF香川、遠藤、FW武藤、岡崎、本田。 (内田が故障のため大事をとって控えにまわり、太田宏介が入った。)【前半】01:00 オーストラリア、キックオフ、ロングボールを 前線に送り、トロイージがミドルシュート。枠 を大きくはずれる。02:00 日本、後方からのロングボールを岡崎受ける。 オーストラリア激しく寄せてボールを奪う。05:00 遠藤ミドルでボールを奪い、前線に走り出る武 藤へ素早いロングパス。抜け出ようとするとこ ろへオーストラリア迫りカット。06:30 日本陣のペナルティーエリア内での攻防を日本 クリア。07:00 オーストラリアCK。マッカイニ蹴り、ニア狙 いがこぼれてこぼれてゴール前へ。両チーム激 しく競るが日本クリア。10:00 本田縦パス→遠藤ワンタッチで右サイドへ。走 り込んだ酒井がクロスを試みるが相手DFに当 たりCK。遠藤からのCK、岡崎の足元に照準 ミートせず。15:00 オーストラリア14番、酒井に倒されFKを得 る。日本クリア。16:00 左サイド太田受けたボールをすぐさまクロス。 狙いはドンピシャ武藤に。武藤シュート。ゴー ルバーに直撃。が、オフサイドの判定。16:00 オーストラリア、ドリブルで上がり、右サイド からクロス。ゴール前で競り勝ったレッキー、 ヘディングシュート。ゴール左に飛ぶが、川島 横っ飛びでファインセーブ。日本ピンチを逃れ る。18:00 オーストラリア、ボールを奪い前線へ。が、ク ロスは流れる。19:00 日本ファール。オーストラリアFK。日本セー ブ。22:00 遠藤ミドルでボールをキープするがレッキーの 足が掛かり倒れる。激しいタックルにキャプテ ン長谷部、レッキーと激しい言い争う。25:00 日本こまかくつないで、ミドルで本田がボール を受ける。相手を背にして振り向きざまにロン グシュート。GKキャッチ。本田、なんとかチ ームのリズムをつくろうという意図が見える。27:00 オーストラリア、こまかくつなぎながら日本の ラインを崩してゆく。しかし長谷部のプレッシ ャーにボールを奪われる。30:00 オーストラリア、カウンターで上がり、右から クロス。川島が出てセーブ。32:00 日本ミスからボールはオーストラリアに。キー プして自陣まで下がったところを、遠藤流れを 切る。38:00 こう着状態がつづく。オーストラリアの布陣に スペースをつくれず、岡崎しばしば前線の裏へ まわる。遠藤→香川→岡崎狙いのクロスはシュ ート気味になって、GKキャッチ。40:00 右サイド深い位置で香川が本田とのワンツーで 抜け出す。GKを引き付け香川中央の岡崎へラ ストパス。ボールはイェディナクの足に当たり オウンゴールに見えたが、わずかに右へ外れC K。遠藤の右CKはクリアされる。 ここでアギーレ監督、遠藤をボランチに下げ 香川をトップ下に入れる。44:30 ドリブルで上がる本田、背後からスライディン グで倒され、FK。倒したイェディナク、イエ ローカード。45:50 本田FK。GKキャッチ。【後半】 日本選手交替;遠藤保仁OUT→今野泰幸IN (今野は長谷部とのダブルボランチ)01:00 日本積極攻勢。相手ピッチの左サイドで武藤ボ ールを受け→太田クロス。オーストラリア、デ ィフェンス。02:00 ルオンゴ、ドリブルから積極的なロングシュー ト。森重クリア。オーストラリア、セカンドボ ールをつないでゴール前へ放り込む。日本クリ ア。04:00 左サイドを抜け出した今野、ドリブルで攻め上 がりエンドライン際からクロス。香川トラップ してで相手をかわし、シュート。GKライアン 阻止。05:20 武藤→香川、走り込んだ酒井へ。しかしオース トラリア、クリア。日本CKは流れる。07:00 右サイドで本田受け、駆け上がってきた酒井へ スルーパス。ボールはクリアされる。吉田が素 早いプレッシャーをかける。クリアボールが吉 田の足に当たり、相手DFの裏へ抜ける。反応 した岡崎、ダイレクトで合わせる。が、GKラ イアンがファインセーブ。07:30 オーストラリア、ドリブルで日本エリアへ。日 本、デフェンス。08:20 武藤クロス→本田へ。しかし武藤が蹴る前にボ ールはライン外との判定。11:30 オーストラリア、日本エリアで裏にボールを入 れてくる。川島、落ち着いて対応。12:00 日本選手交替;武藤嘉紀OUT→乾貴士IN13:40 酒井、右サイドにオーストラリアDFを集めロ ングで左サイドの乾へ。乾シュートは外れる。14:30 乾、シュート。ボールはDFに当たってライン 外へ。日本CK。16:00 本田、右サイドCK。ボールは、ゴール前で相 手DFの頭をかすめ、ファーサイドでフリーの 今野の元へ流れる。今野、冷静にヘディングシ ュート。ゴール! 先制1点18:00 オーストラリア、選手交替;ルオンゴOUT→ ニコルズIN。トロイージOUT→ブレシアー ノIN。19:30 本田、右サイドで受けたボールを右サイド酒井 をおとりに、中央の乾へパス。乾、ゴール正面 でシュート。ポスト左へはずれる。21:00 オーストラリアのパス回しを本田がカット。す ぐさま左サイドで駆け上がる岡崎へボールを送 る。岡崎そのまま持ち上がりシュート。 ボー ルは相手DFの足に当たりゴール左へ外れる。23:00 上がってきた森重、右サイド高い位置でパスを 受けると一気に相手エリア内へドリブルで持ち 込み、マイナスのクロス。走り込んだ岡崎が、 相手DFの寄せを身体でふせぎつつ巧みに右ヒ ールでゴールへ流し込む。ゴール! 2点目26:00 日本エリア内で競りあい、日本のミスからオー ストラリア17番ボールを奪い、すかさずシュー ト。ボールは吉田の足に当たり高くバウンド。 川島キャッチ。日本ピンチをしのぐ。28:00 オーストラリア選手交替;マッカイOUT→ケ ーヒルIN。28:50 日本エリアでのオーストラリアのクロス。クリ ア。29:00 ケーヒルに長谷部倒され、FK。30:00 オーストラリア右CK。プレシアーノ蹴り、オ ーストラリア選手飛び込むが、一瞬早く日本ク リア。31:00 左サイド高い位置で太田ボールを受け、ダイレ クトで乾へパス。受けた乾、エリア内の香川と ワンツーで相手DFを崩して抜け出す。GKと 1対1のチャンスと思えたが、溜め過ぎてディ フェンスされる。32:00 日本選手交替;岡崎慎司OUT→豊田陽平IN35:00 両者もつれ、オーストラリア右サイド高い位置 でFKを得ると、ブレシアーノ鋭いボールをゴ ール前へ送る。ファーサイドへ流れ、再びクロ スを上げる。走り込んだオーストラリア選手が 倒れる。オフェンスのファウルと判定。36:00 オーストラリア陣のゴール前での攻防。豊田シ ュート。ポストに当たる。37:00 香川、相手ゴールエリア内に持ち込むが厳しい チェックに前を向かせてもらえない。巧みにキ ープしつつ左サイドの本田へ。本田ゴール前へ ループパス。このこぼれ球を右サイドで乾が拾 い素早いクロスを送る。GKライアン、キャッ チ。39:30 本田、ロングパスを右サイドで受け、ドリブル でエリア内へ進入。フリースペースに乾・今野 狙いで左足のアウトサイドでクロスを上げるが 誰も走り込めない。41:40 香川、受けたボールを中央右サイドの本田へ。 本田ドリブルで前を向き切り返してシュート。 やや力弱く、GKキャッチ。42:00 オーストラリア選手交替;クルーズOUT→ム ーイIN。45:00 中央の香川→右サイド酒井へ。酒井、ロングク ロスでファーサイドの豊田に。豊田ダイレクト でヘディングシュート。GKクリア。惜しい。アディッショナル・タイム;3分。47:00 ベヒッチ、左サイド高い位置でボールを受け、 左足で鋭いロングクロス。これに反応したケー ヒルがフリーで飛び込みゴール右へ突き刺す! オーストラリア、1点試合終了 日本 2 ー 1 オーストラリア
Nov 19, 2014
高倉健氏が去る10日に亡くなったという。きょう18日、事務所が発表した。享年83。 2012年8月25日公開の降旗康男監督作品「あなたへ」が、205本目の最後の出演映画となった。私はこの映画の公開前の新聞広告について、このブログの2012年8月19日に、記事を書いている。それは制作にたずさわったすべての人の名前を掲載した、きわめてきわめて珍しい広告だったからだ。この広告を作るにあたり高倉健さんが関わっていたのかどうか、あるいは氏の意志が反映されていたのかどうか、いずれについても私は詳らかにしない。ただ、(失礼ながら、もしかしたら、高倉健氏の最後の映画になるかもしれないと、秘かに想いつつ)仄聞する高倉健さんのお人柄を偲ばせてあまりある処置、と深く胸うたれたのだった。 「あなたへ」の撮影秘話として高倉健さん自身が語っていることに、大滝秀治(1925年- 2012年)氏の演技に非常な感銘を受けたという。この挿話に、私は俳優高倉健さんの芝居(演技)の本質を知ったように思った。つまり演技メソッドを越えた、相手俳優の造形する人間性に対する直情的な反応---そのとき役は高倉健さんに近づき高倉健さんその人に溶け込んで存在感を現す。高倉健氏は日常的に自己観察を含めた非常に繊細な人間観察の方、やわらかい魂の、日本の映画俳優あまたあるなかで稀有の方だったのではあるまいか。 高倉健さんの御冥福を衷心よりお祈りします。
Nov 18, 2014
今日もほぼ終日制作。次作のアイデアが浮かぶ。これが「着地」するかどうか、しばらくこねくり回してみよう。
Nov 17, 2014
制作と読書。
Nov 16, 2014
ATPワールドツアー・ファイナル、準決勝。世界ランキング1位のジョコビッチと同5位の錦織圭の試合は、2−1でジョコビッチが勝利した。錦織、善戦するも決勝戦を逃した。残念、残念。しかし、すばらしい活躍に万雷の拍手を贈ります。
Nov 15, 2014
14日、豊田スタジアム(愛知県豊田市)で開催された男子サッカー「キリン・チャレンジカップ2014」日本代表 対 ホンジュラス戦は、すでに各メディアが報じているように6−0で日本チームが圧勝した。 長谷部誠が戻り、アギーレ監督に代わってから初めて遠藤保仁が招集され、ドイツ・シャルケルの内田篤人が加わり、ザック監督のW杯メンバーが勢揃いした。---やはり違うな、いいなー、というのが私の率直な感想。 連繋コミュニケーションがすばらしい。あうんの呼吸で先を読む力、ピンチに対して遠近のパフォーマンスで仕掛けて凌ぎ切る知性、メンバー交替で投入された選手を活かし切る度量---こうしたことが圧倒的なゴール・ラッシュを生産したのは間違いなかろう。じつはシュート数は、これまでの試合と比べても少ないほうだ。つまりムダ弾(球)がなかったということ、的確なシュートでゴールをものにできたということだろう。 以下に遅ればせながら私のおおざっぱなメモから試合経過を記録しておく。 先発メンバー キャプテン; MF長谷部、 GK川島、DF吉田、森重、酒井(高)、内田、MF香川、遠藤、FW武藤、岡崎、本田。【前半】01:14 岡崎ボールを奪ってそのままシュート。ホンジ ュラス防ぐ。03:00 相手陣に飛んできたボールを本田ヘディングで 返し→遠藤→岡崎、オフサイド。07:00 武藤ボールをキープして、かわしつつゴール際 に寄せる。ホンジュラス、タッチしてエンドラ イン外へ。日本CK。09:00 CK、遠藤蹴る。ニアで岡崎受け、せってGKタ ッチしたボールこぼれたところをすかさず吉田 シュート。ゴール! 先制の1点。 ---チームメイト一列になって、控えの西川 周筰を呼び込み、子供が生まれたばかりの西川 を祝福しての「ゆりかごダンス」。14:00 日本FK、遠藤蹴ってゴール前へ。GKパンチン グでセーブ。18:00 ホンジュラス、日本陣へボールを攻め入れる。 森重ヘディングでクリア。 ホンジュラスCK。ゴール前で本田がクリア。19:00 日本CK。本田蹴る。ゴール前でせってホンジ ュラスがセーブ。22:30 ホンジュラスFK。日本の壁に当たる。23:00 こぼれ球をホンジュラス、キープ。遠藤滑り込 んで阻止、ホンジュラス、シュート。狙いが狂 いゴールバーの上へ。26:00 本田、相手をまいてシュート。狙いは的確だっ たが、わずかにゴールポスト左へ。35:00 遠藤足が流れて相手を倒しイエローカード。 ホンジュラスFK。日本クリア。返ったボールを ホンジュラス14番ミドルシュート。バーの上。39:00 日本こまかく繋ぎつつ→香川、ロングパスを→ 内田へ。内田タイミング合わず。41:00 敵陣で日本ボールを奪い→センターライン付近 で本田レシーブ。本田そのままドリブルで走り 込み、シュート。ゴール! 2点目。41:24 本田→香川シュート。わずかにそれてポスト左 へ。44:00 酒井→本田→遠藤ミドルシュート。ゴール! 3点目。【後半】 選手交替;武藤out、乾in。02:00 本田→乾へピンポイント・パス、乾シュート。 ゴール! 4点目。04:00 吉田ヘッドでせり、こぼれ球をホンジュラス、 シュート。ゴール前で内田が胸で受けセーブ。 (競り合いのとき、吉田と川島がぶつかり、吉 田倒れてピッチ外へ運ばれたが、すぐに復帰し た。)09:00 酒井にイエローカード。10:00 相手ゴール前でこぼれ球を乾がシュート。ホン ジュラス、セーブ。10:00 日本CK、本田蹴る。12:00 ホンジュラス、ロングで日本ゴール前へ。内 田入ってデフェンス。 ホンジュラスCK。 ホンジュラスCK。遠藤クリア。14:00 ホンジュラス、ミドルシュート。川島ジャンプ してタッチ。ホンジュラスCK。17:20 岡崎out、豊田陽平in。18:00 日本FK。遠藤蹴る。乾狙い。ホンジュラス ボールをエンドライン外へ出し、日本CK。ニ アで本田へ。21:00 日本CK。遠藤蹴る→競り勝って香川、ゴール 前の豊田狙いでパス。ホンジュラス、ディフ ェンス。23:00 本田から香川へ。香川かこまれ、こぼれたボー ルをすかさず突っ込んで豊田シュート。代表初 ゴール! 5点目。24:40 遠藤out、柴崎学in。25:00 日本CK。29:00 長谷部ミドルから縦パスで香川へ。香川すばや いパス回しで乾へ。乾シュート。ゴール! 6点目。30:30 本田シュート。ホンジュラス、ディフェンス。32:30 長谷部out、田口泰士in。34:00 本田→豊田シュート。ホンジュラスGK、みご となキャッチ。34:30 日本CK。35:40 川島out、西川in。37:30 豊田イエローカード。38:50 本田ボールを奪い、相手を制してドリブル。倒 され、相手にイエローカード。FK本田蹴る。ボ ールはみごとなカーブを描きゴールマウスへ吸 い込まれる寸前、ホンジュラスGKみごとなセ ーブ。43:50 チャベス、乾に対するラフプレーでイエローカ ード。アディッショナル・タイム;4分試合終了 日本 6 ー 0 ホンジュラス
午前中、制作、および画廊と来年のニューヨーク展について打ち合わせ。 午後、高齢者訪問。その報告書を作成して市福祉課に送付。 それにしても昨夜の錦織圭選手はすばらしかった。第1セットは敗れたので、どうなることかと固唾を呑んだ。しかし2セット目に追いつき、3セットで逆転した。錦織選手の成績は2勝1敗。B組の他の選手の成績を総合して2位。準決勝進出をきめた。 テニスの場合、ワールドツアーというのはこのATP(男子プロテニス選手協会)ツアーが唯一。しかもファイナルに出場できるのは、世界年間成績上位8位まで。かつて日本選手はおろかアジアの選手が出場権を得たことはない。錦織圭選手が史上初めての快挙である。これは本当にすごいことなのだ。---うがった見方といわれるかもしれないが、テニスという欧米主流のスポーツに初めてアジアの風を吹き込んだのだ。錦織選手に今世界が注目し、そのプレイに瞠目するのは、そういうスポーツ文化深層におよぶ意味が横たわっているのだ。 15日の準決勝が見逃せない。
Nov 14, 2014
午後1時30分より4時まで市役所で民生委員の会議。 ついでに同所で開催中の菊花展を見物。中山義秀の戦前の芥川賞受賞作「厚物咲」をゆくりなく思い出しながら---。中山義秀は福島県白河出身。白河市は菊作りが盛んな土地で、殊にも菊人形は有名である。 私は菊作りは不案内なので、掲げられた表札の「肥後菊」「伊勢菊」「嵯峨菊」の説明をじっくり読んだ。後日、高幡不動菊花展にも行ってみよう。 ---しかし、どう考えても菊作りが私の趣味にはなりそうもない。その人工性が私の美的感覚とは合わないのだ。が、嫌いなものこそ、見限る前にじっくり観察し、調べるのは私の性分。そこまで行って(つまり文化的背景を理解したうえで)、はじめて、自分には無縁の事と打ち捨てるに躊躇はなかろうと思う。 1993年のこと、佐原市の国立歴史民俗博物館が「装飾古墳の世界」という好企画の展覧会を開催した。その頃はまだ元気だった母を連れて観に出かけた。ついでに常設展示を観たのだが、その中に、江戸時代の朝顔作りのブームを伝える資料があった。朝顔図鑑とでも呼べる画帳は、私が初めて見るもので、そこに描かれた品種改良された朝顔の奇々怪々に驚いたのである【後註】。それはまさにデカダンスすれすれの、人工的に変奇(フリーク)を創りだす技術と言えた。それが時代の趣味として一世を風靡する! 要するに日本的なバロックである。 私は、菊作りの人工性が性に合わないと言ったが、しかし江戸時代に流行した変奇を求めて朝顔を品種改良する精神は、芸術の根幹をなすものではあるのだ。したがって芸術家の端くれである私の精神にもそういう志向はあるのであって、菊作りを嫌うなどは近親憎悪の類いと言えなくもない。 中山義秀の「厚物咲」は、菊作りの、いわば芸術の「魔」に取り憑かれる話。また、赤江瀑氏の小説世界はすべて、その芸術(変奇の美)の「魔」に取り憑かれた男の、恍惚と悲劇が主題である。【註】 この朝顔品種改良ブームについては、私は早くから知っていた。ある女性編集者が、A3判にごっそりコピーしてプレゼントしてくれた幕末から明治初期にかけての絵草子のなかに、朝顔図があったのだ。わたしはその朝顔から想像をふくらませて、1978年に「花遊行」を描いた。この作品は翌年、当時フランスで発行されていた大判の美術雑誌「BAT」に紹介された。このブログの左側、回顧展part2に掲載している。
Nov 12, 2014
きょうも制作。昨日着手した作品を今月末までに完成するつもり。4件の高齢者訪問に2件の会議、来月初披露となる合唱の仕上げに向けての練習など多忙だが、なんとか仕上げまでもってゆけるだろう。そして12月中に2点、できれば3点制作する。
Nov 11, 2014
先日、画廊から要請があった、来年の海外展のための新作にとりかかる。
Nov 10, 2014
午後、町内にお住まいのメゾソプラノ歌手チェン・シ(陳曦)さんの、町内のお年寄りのためのミニ・コンサート。 チェン・シさんは来日20年の中国出身。雲南芸術大学音楽学部卒業。桐朋学園大学音楽学部研究科終了。多数のコンクール受賞歴を誇り、国際芸術連盟会員。全日本演奏家協会会員。雲南芸術大学客員教授。 お名前の曦という文字は、「太陽」とか「陽の光」という意味。そのお名前のとおりの素晴らしい声。日本語、中国語、イタリア語、ドイツ語、フランス語と、原曲のまま歌われたが、お年寄りたちは皆、うっとり。陽を浴びているような気配がたちのぼっていた。会場は小さな集会場、オペラ歌手の生の歌声を10mの距離(最前列はわずか2m)で聴く機会はめったにあるまい。 プログラム 歌唱 チェン・シ(陳曦) ピアノ伴奏 梶ひとみ 合唱 合唱団「友」 蘇州夜曲 西条八十作詞 服部良一作曲 初恋 石川啄木作詞 越谷達之助作曲 津軽の故郷 米山正夫作詞・作曲 オペラ「ジャニ・スキッキ」より 私のお父さんよ プッチーニ作曲 ピアノ独奏 湖 モンポウ作曲 合唱 半月が昇って来た 青海民謡 黎英海編曲 赤とんぼ 三木露風作詞 山田耕筰作曲 我が長江の源に住む 李之儀作詞 青主作曲【註1】 つばめ カザフ族民謡 呉祖強編曲【註2】 セレナーデ シューベルト作曲 愛の喜びは マルティーニ作曲 オペラ「カルメン」より ハバネラ ビゼー作曲 会場全員で歌唱 故郷 高野辰之作詞 岡野貞一作曲 里の秋 齋藤信夫作詞 海沼實作曲 チェン・シさんアンコール曲 宵待草 竹久夢二作詞 多忠亮作曲【註1】 チェンさんは歌われる前に、歌詞となっている宋時代の李之儀の原詩を中国語で披露された。私たち日本人は中国古詩を漢詩と称して日本語で味わうことはある。また日本人にも漢詩を創作する人はいるが、それもまた日本語読みで作り、日本語で味わっている。たとえば会津高等学校出身の私には最も親しい佐原盛純の漢詩「白虎隊」の一節は次のようだ。「巨砲連發僵屍堆 殊死突陣怒髪立 縦横奮撃一面開 時不利兮戰且退 身裹瘡痍口含藥」---これをどう読むかといえば---「きょほうれんぱつして きょうしうずたかし しゅしじんをついて どはつたつ じゅうおうふんげき いちめんをひらく ときにりあらず たたかいかつしりぞく みにそういをつつみ くちにくすりをふくむ」---と言うふうに、日本漢詩は日本の文芸にひとつのジャンルを築いてきたわけだが、中国の人達が自国の詩をどのように吟じてきたかを、私たちはなかなか耳にすることはない。チェンさんの吟詠(朗読)は、原詩の韻律、その美しさを聴けた、これまたまたとない機会となった。【註2】 「つばめ」というタイトルだが、中国語では「燕子;ヤ↘ンツ」と書くようで、チェンさんによれば、昔はよくあった女の子の名前だそうだ。つまり、「つばめちゃん」ということ。詞の内容は、遊牧民の幼い少年少女が、それぞれ別の地に移動して別れ別れになり、数年後にようやく再開し、青年となった男の子は「つばめちゃん」に愛を打ち明けているのだ、と。
Nov 9, 2014
「第48回日野市産業まつり」に民生・児童委員会がPRのブースを出したので、その午前の部を担当。現地に行ってきた。 一人で悩んでいないで、地域の民生・児童委員にご相談ください。きっと何か良い解決方法が見つかると思います。 画像は、民生・児童委員の「名刺」です。表裏、三つ折り。
Nov 8, 2014
先月のパリにおけるアート・フェアの閉幕後、私の作品に対するさまざまな引き合いがあり、現在、画廊が交渉中との報告があった。また、来年の海外出品についての予定も示され、8点の新作の制作を要請された。とりあえず4月までに6点を仕上げてほしいとのこと。制作スケジュールをつくらなければなるまい。---昨日の日記のタイトル「幸いなるかな多忙!」が、そのまま来年の私の日常のタイトルだ。これも「引き寄せ」かしらん。
Nov 7, 2014
先日買った11冊の本のうち1冊を読了。今朝から2冊目にとりかかる。その間、市から依頼された高齢者訪問、昨日6件、今日も6件。また、新作絵画の最下層の彩色部がようやく完全乾燥したので、そろそろ次の段階へ進む準備。幸いなるかな多忙!
Nov 6, 2014
先々週の水曜日だったと思うが、夕方、今年最初の灯油の巡回販売車が住宅街をゆっくり走行しながらの売り声が聞えてきた。我家は電気のエアコンデショニングで、灯油を使っていないけれど、巡回車の毎年聞き慣れた売り声に、「ああ、もうそういう季節なのか---」と、あらためて思いもした。 こんな書き出しをしたのは、たった今、消防車数台のサイレンが鳴り響いているからだ。その音が、近いような遠いような、また、方角をきめかねる音の反響に、私は耳をそばだてている。おそらく隣町ではあろう。が、人の心を不安にさせないではおかぬ忌まわしい音は、町を画する屏風のような山の連なりにぶつかり、ぶつかりして、音源の在処をあいまいにしている。そのうえに、よくよく耳を澄ませば、もっとずっと遠い所に,別のサイレンが鳴っている。---火事の多くなる季節になったのだ。---と、言う間においおい、また別の方角に新たなサイレンが鳴り出した!
Nov 4, 2014
用事で外出した街で古書店をみつけ、入ってみた。期待していなかったが、案に相違して4冊購入。ほとんど捨て値で入手した。全部で600円だった。 ●生物学御研究所編「那須の植物」三省堂 1962年 初版四刷 昭和天皇の御著書と言って宜しかろう。私はすでに「皇居の植物」を所蔵している。 ●内山貞三郎「バロック時代の先駆者たち」三修社 1973年 初版 ドイツのバロック詩人に関する研究書。昭和44年度関西大学ドイツ文学科のための講義を訂正増補したもの、と「あとがき」にある。 ●メルヒンガー「政治演劇史」白水社 1976年 初版 ドイツ本国で本書が刊行されたとき、政治的演劇の概念を大きく変える論旨が、大きな反響を呼んだようだ。ギリシャ古典劇から現代劇に至る大きな流れのなかで考察している。完全美本。 ●大岡昇平「小説家夏目漱石」筑摩書房 1988年 初版三刷 本書は大岡氏の没後に出版された。処女作「吾輩は猫である」から遺作「明暗」に至まで、16年かけて精緻に分析した評論集。大岡昇平氏最後の著書。完全美本。 昨日、東京薬科大学で7冊購入したばかりで、さっそく読み始めたところだが、さらに4冊を積み上げ、しばらくこれらに掛かりきりとなろう。11月は多忙だし、年末までに読み終われるかしらん。
Nov 3, 2014
今日は午後から毎年恒例になっている東京薬科大学の「東薬セミナー」に参加。薬学部応用生化学教室の高木教夫教授による講義「脳とくすり、不思議と期待」、ならびに生命科学部極限環境生物学教室の山岸明彦教授による「深海底から宇宙へ、過去から未来へ 〜 生命科学でできること」を聴講した。 高木教授のご研究は、民生委員として接している高齢者のかかえている苦しみや困難、あるいは希望を見いだす根拠とも直結していること。私も二つばかり質問させていただいた。 山岸教授のお話は、存在するか不存在かもわからない極限環境生物の探求について、如何なる所に如何なるテーマを発見し、如何なるアイデアで研究組織を構成し、実験機器を開発製造し、研究成果を出してゆくかという、いわば科学者の進取の気性、チャレンジ精神を目の当たりにさせていただいた。「役に立たないことをやっている」とおっしゃったが、役に立つ事はすでに片がついているともいえる。「役に立たないことをやっているうちに、次第に知の集積ができ、そこに役に立つことがあることを発見する」というお言葉は、小中学生や高校生に聞かせたかった。歩けばぶつかる日本の幼稚な大学生(彼らの授業料のおかげで優秀な学生は、より高度な学問環境を得ることができるわけだけれど)にも聞かせたい言葉。---いやいや、そんな憎まれ口を叩かずとも、私もまだまだチャレンジしつづけているのだから、私の人生訓として1ページに書き加えた次第。 ところで、「東薬セミナー」参加に加えて、学生達の古本市を覗くのも例年の楽しみ。 ことしは、まあ、収穫あり、というところだ。7冊購入。1,400円也。以下に書名を。 ●「全訳 クライストの手紙」中村啓訳、東洋出版、1979年 初版 ハインリッヒ・フォン・クライスト(1777-1811)はドイツの劇作家・ジャーナリスト。青年時代にカントの「判断力批判」の影響を受けたとされ、戯曲「こわれがめ」は岩波文庫にも入っている。この戯曲、俳優座が千田是也演出で1946年に初演、私が演劇に熱中していた19歳の1964年に再演された。クライストは生前は不遇で、生活苦にあえぎながら癌を患った夫人と共にピストル自殺した。「全訳 クライストの手紙」は、本国ドイツでも一朝一夕に出来上がった本ではなく、相当の苦労の末に補遺も合わせて234通の手紙が収録されている。 ●渡辺一夫「異国残照 人と思想」文藝春秋 1973年 初版 いわずと知れたフランス文学者のエッセイ集。大江健三郎氏が多くのエッセイのなかで敬意を込めて言及し、東大時代からの師と仰いでいられることは読書人には周知。本書は2段組512頁。単行本未収録の作品を含んでいる。 ●大江健三郎「死者の奢り」文藝春秋新社 1958年 6版 これはめずらしい。大江健三郎氏の最初の単行本である。私はその昔文庫本で読み、それを現在も所蔵している。が、爾来50年以上、単行本には出逢わなかった。今日出逢った本書は第6版だが、初版から5ヶ月しかたっていない。つまり良く売れたことを示している。が、古本屋で私が目にすることはなかった。購入したものは、小口が経年日焼けはしているが比較的美本で、帯も入れ込み広告も当時のままに付属している。まあ、掘り出し物といってよかろう。扉口絵に23歳の若々しい大江健三郎さんの写真が載っている。「後記」も若々しい。最近の芥川賞受賞者の小生意気な挨拶に嫌気がさしていた私としては、大江健三郎さんの後記にいっそ清々しさを感じた。 ●大江健三郎「最後の小説」講談社 1988年 初版 エッセイ集だが、まだ読んでいなかった。完全美本。 ●山崎正和「鴎外 闘う家長」河出書房新社 1972年 初版 私は鴎外文学を好む。本書の帯(残っている)に曰く「挫折しないことの不安におびえながら、国家とともに至福の青春を生きてしまった森鴎外が、一切の’’社会的命名’’を拒否して死に至る凄絶な一生を論じ、知識人論に画期的視座を提起する長編評論」と。工夫されてはいるが、ちょいと持って回った惹句。後に読売文学賞を受賞した。 ●堀田善衛「定家名月記私抄 続編」新潮社 1988年 初版 「定家名月記私抄」は読んでいた。その続編である。完全美本。 ●中井久夫「私の日本語雑記」岩波書店 2010年 初版 精神科医、神戸大学・甲南大学名誉教授中井久夫氏の日本語をめぐるエッセイ集。私は先生の精神病理学の論文は読んでい、なかんずく美術家についての論文から拙文中に引用もさせてもらっている。帯に「ことばを通して心の深淵をみつめてきた精神科医の卓抜な日本語論」とある。完全美本。
Nov 2, 2014