会津の恩師清水先生からお葉書を頂戴した。しばらく御無沙汰していたので、さっそくお詫びの手紙を書いた。最近の活動状況なども別に40ページほどプリントして同封。今朝発送した。
清水先生へ手紙を書きながら先生のお顔や姿を思い出していた。
そのイメージはお年を召されたとはいえ、50年前の面影に重なる。私は子供だったけれど、先生は「おとな」だったので、50年の歳月によっても容貌に極端な変化はないのである。
数年前、お別れしてから42年ぶりに電話で話をしたときも、お声が昔とまったく変わっていなかったので、私は内心で返って衝撃を受けた。その気持を説明するのは難しいけれど、要するに、私は42年間の空白が一挙に解消するのを感じながら、同時に42年という時間が現実に過ぎ去っているのだということを思ったのであった。そうしてさらに1年くらい後に実際に再会したわけだが、私は先生のお顔に、一瞬、「お前は誰だ? ほんとうに山田か?」という戸惑いの表情がよぎるのを見のがさなかった。私は画家で、人間の表情の微妙な変化を読み取るのはおてのものなのだ。
先生の戸惑いは当然のことであろう。私は「子供」ではなく60歳の老人になっていた。
私が創作表現を職業としているためもあろうが、ときどき相手の位置から私へ視線をむけて物事を考えることがある。つまり想像によって視点を交換してみるのである。先生の目に現在の私の姿形がどのように映り、それは先生の記憶にある40年以上前の少年の顔とどう重なり、あるいは乖離して、先生の意識を形成しているのだろう。そう思うのだ。
私の現在の顔のどこを探したら子供時代の顔が浮かんでくるだろう。まったく重ならないのではあるまいか。
・・・先生は、ほんとうに「中学生の山田」と「現在の山田」とをぴたりと重ねて話をされているのだろうか? 誰か知らない人と話をしている気分なのではないだろうか?
私は、ひとが誰でも私のような鮮明な映像をともなう記憶力の持主ではないことを知っている。大抵のひとは、私のようにいとも簡単に時間を超越して記憶をよみがえらせることはできないのだということを。
私の記憶は、懐かしさというような情感につつまれているのではない。映画フィルムを映写機にかけて再現するようなものだ。
そして映写機をまわしながら、私はまったく断絶した世界にいる不安のようなものを感じている。
手紙を書きながら、「先生、私は子供の頃の顔に戻れません・・・」と思うのだった。
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Last updated
Sep 3, 2008 02:32:45 PM
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