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7年前の朝の事だった。
当時長男が幼稚園年長組、次男は生後四ヶ月だった。 この年は、インフルエンザが流行し、我が家の子供達もちょうどかかっており、高熱が続き、私は地震の2時間前くらいまで起きて子供達の看病をしていた。 子供達も落着き、やっと寝入ったところだった。 ゴーっと言う音と共に、ものすごい揺れで飛び起きた。 同じ部屋で寝ていた夫も同時に起きあがっていたが、しばし声も出ず、何が起きたのかもわからず、ただお互い見詰め合っていた。 「これっていったい何?」「地震?」 熟睡して寝ぼけていたのもあるが、なんとも形容しがたい揺れ方。一瞬何が起きたのかわからなかった。 これが大地震だと、気付までに2、3秒はかかったと思う。 それくらい、かつて経験した事のない揺れ。 まるで、飛行機がぶつかってきたような、大きなゴジラがマンションをつぶそうと思ってユサユサ揺らしているような。 夫は急いで立ちあがり、たんすを押さえるだけで精一杯。 私は、まずテレビをつけ、玄関のドアを開けに行った。 外は少しだけ明るくなり始めていたが、外の風景がこれほど揺れるか、と思うほど動いていた。 幸いここは大阪の東部にあたり、震度5弱との事だったが、我がマンションの上層階では、全部食器は割れ、電子レンジは転がり落ち、ピアノが動いたとの事だった。 我が家は2階のため、ほとんど被害はなかった。 当日からずっとラジオでは、行方不明、死亡者などの名前を言っていた。子供、若者、痛々しくて聞いていられなかった。 夫は、灘区や西宮に友人がいたため、連絡をとっていたがなかなか通じず、心配していた。(後に無事が判明) あれから7年が過ぎた。 現在西日本は地震の活動期に入ったという。 地震の後は家具の倒れないように突っ張り棒をするなど、色々備えをしていたが、最近はまた薄れがち。 備えあれば憂いなし。 少しでも被害を少なくするため、日頃から気を付けようと震災7年の区切りに思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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