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バスリコのつぶやき

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2010.06.01
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プロヴディフを9時50分に出発。

田園地帯には牛や馬の放牧、そしてこのように羊飼いが多くの羊を連れて草を食ませている光景をよく眼にする。
沿線の風景


1時間ぐらい走ったであろうかバルカン山脈の雪山が現れてきた。
雪のバルカン山脈
そろそろカザンラクの一角へ入ってきたようだ。
広いバラ畑の中を道がずっと延び、バスがそこをひた走る。

プロヴディフから2時間ほどでカザンラクへ到着。

イスクラ歴史博物館
バスはこのイスクラ歴史博物館・アートギャラリーの前を通って、トラキア人の墓の駐車場へ。

ここから広い階段を登って丘の上へ。
綺麗な住宅のそばにトラキア人の墓の標識がある。
トラキア人の墓の標識

ここから少し歩くと公園のようなところに出る。
トゥルベト公園
エニシダの黄色の花がとても映えている。

近くにトラキア人の墓の保存小屋があり、THRACIAN TOMB ORIGINAL の標識が立っていた。
トラキア人の墓の保存小屋

この小屋の中には入れず、さらに進むと今度はカラー写真の付いた標識があり、そこには THE TRACIAN TOMB AT KAZANLAK COPY とある。
トラキア人の墓(レプリカ)の標識

このあたりは沢山の野草が花を咲かせ、お昼の陽も燦々と降り注いでいるので昆虫もいるようだ。

この標識のすぐそばの階段を下りるとトラキア人の墓のレプリカが現れる。
お墓の入口

中にはいるとすぐ管理カウンターがあり、入場券のほか絵はがきなどのお土産も販売している。
内部の写真撮影は有料。
カウンターの右にお墓の入口があるが、中は人が一人ずつでないと歩けないぐらい狭いし暗い。天井や側壁にはくすんだ朱を主体の色彩でお墓の内部を再現してあるが、残念なことに天井の絵は水が侵入し絵が流れていた。
お金を払ってまで写真を撮る程のことはないなという印象だった。
なので絵はがきを買う人が多かった。

お墓を出たところのタンポポにハナムグリが来ていた。
タンポポに来たハナムグリ
そばで咲いている5弁のピンクの花も可愛い。

黄色のキク科と思われる花も愛らしい。思わずカメラを向ける。
可憐な野草の花


先程登ってきた階段の上には男性の胸像と石碑があり、その石碑にはブルガリア語の名前の上に音符が刻んであったので多分音楽家のものなのだろう。
音楽家の胸像と石碑
インターネットでいろいろ調べてみたのだが、誰なのか分からなかった。

階段の下にはいつの間にか蜜蝋細工のスタンドが出ていた。
蜜蝋細工売りのスタンド
きっと日本人の観光客が大勢来たという情報が入って駆けつけたのかもしれない。
しかし我らの仲間の女性軍は、ここは素通りしてさらに下にある数軒のおみやげ屋さんに群がっていた。
ここでは表面に赤いバラの花と民族衣装の女性をプリントした可愛い木製の香水入れが人気だった。キャップを開けると細い硝子瓶にバラの香水が入っている。
安いし、小さいし、軽いのでお土産に10個も20個も買う人が多かった。

バスでレストランに向かう。
カザンラクのレストラン
ちょっとメキシコ風の入口だ。

中は民族博物館のようだった。
カザンラクのレストラン


この辺りにいる動物、武器、楽器、ラジオ、カメラ、お皿、厨房の道具、民族衣装など所狭しと棚に壁にさらに天井にまで取り付けてのディスプレイ。
ブルガリアの民族衣装ブルガリアの民族衣装
山猫か?狐のウエイトレス


日常生活の一端

この付近一帯は香料用のバラの産地として有名なところだが、まだバラの花の時期ではないので花は全然見当たらない。
シーズンには原一面が花で埋まる見事な光景が出現するのだろう。

約1時間後に次の観光地でもあり宿泊地でもあるヴェリコ・タルノヴォに向けて出発。

街道を10分ほど走ったところで、山の裾にタマネギ型の金色の屋根の尖塔が見えてきた。
シプカ僧院が見えてきた
ここはシプカ僧院。
1877~78年にかけて露土戦争の激戦があったシプカ峠で戦死したロシア兵を悼んで建てられた教会である。


ここからバスはぐんぐん高度を上げ、シプカ峠へと向かう。
自動車道のシプカ峠
シプカ峠の頂上には高さ約32mの巨大な「自由の碑」が聳え立っているのだが、それは上の写真の矢印の脇の階段を登って行かなければならない。約1時間は掛かるのではなかろうかとのこと。
ここではカザンラクから見えた頂上の「自由の碑」を紹介しておこう。
カザンラクよりシプカ峠の自由の碑を望む
このシプカ峠でのロシア・ブルガリア連合軍の勝利によりブルガリアは500年続いたオスマントルコの圧政から解放されたのである。

今度は下り一方。
途中カブロヴォの街を通過。
ガブロヴォの町
ヤントラ川沿いにあるこの町は、中世以来布地をはじめとした手工業が盛んで今でも布地は国内第2位の生産量かつ革製品はブルガリア国内生産の半分をまかなっているとのこと。

また、ユーモアの町としても知られていて、3階建ての「ユーモアと風刺の家」がある。
写真は川向こうの道路際にあったその展示場の外壁。
ユーモアと風刺の家
ピカソのパロディか。

夕方4時頃いよいよヴェリコ・タルノヴォに入ってきた。
いよいよヴェリコ・タルノヴォへ







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Last updated  2013.12.30 20:21:09
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Mitch29@ Re:獅子咲きの椿(04/14) ChatGPTの返事 「申し訳ありませんが、は…
Mitch29@ Re:夕暮れ富士(11/10) 昨今は日中雲が多く、富士はなかなか姿を…
はざくら2005@ Re:夕暮れ富士(11/10) すてきな景色ですね。 こんど久々に東京に…
Mitch29@ Re:令和4年 初富士(01/01) XONG清水 さん 新年、おめでとううござい…
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