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カテゴリ:戦中・戦後
今日は8月15日。
日本が大東亜戦争に負けた日である。 あれからもう71年も経ったのだ。 横須賀市追浜の海軍航空技術廠に中学1年の2学期から学徒動員され学業をなげうって働きに行かされた。 行った先は総務部発電工場。 地下工場の配線などを手伝ったが大したことは出来ず、足手まといだったろう。 でも昼食は食堂でたっぷり食べることが出来て良かった。 当時、一般市民は食糧難だったのだ。 ちょうど約1年経った8月15日。 今もあの日のことはよく覚えている。 お昼少し前に今日は重大発表があるから、12時に事務所前に集まるようにとの指示が全廠員に出された。 そして今上天皇(昭和天皇)の玉音放送で日本が負けたことを知らされた。 さあ大変、若い工員たちは「まだまだ俺たちは戦う」といって、大きなやすりをグラインダーで削り、ドス(短刀)を作る有様。 もう上役の言ううことなどどこ吹く風。 数日たってラジオから「警戒警報解除」というアナウンスを聞いて、子供ながらにほっとしたのを今でも鮮明に思い出す。 自宅では毎夜の敵機B29爆撃機襲来による空襲警報で逃げまどい、危く自宅も焼かれるところだったし、動員先では発電工場を狙った艦載機グラマンの小型爆弾で吹き飛ばされそうになったり、横浜空襲で辺り一面焼け野原の惨禍の中を歩いて帰ってきたりした。 そのようなことがもう無くなったのだと安心する反面、占領軍がどのようなことをするのかという一抹の不安もあった。 でも平和という有難味を今日まで味あわせて貰ってきた。 二度と戦争にはなって貰いたくない。 が、しかし、自分の国は自分で守らなければならない。 ニコロ・マキャベリの「君主論」でいう 「自らの安全を自らの力によって守る意思をもたない場合、いかなる国家といえども、独立と平和を期待することはできない(塩野七生著 マキャヴェッリ語録 より)」 は経験論としての真理であろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.08.15 22:14:45
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