耳(ミミ)とチャッピの布団

2023/12/18(月)05:09

バッチイ西部開拓時代

日本に初めて下水を処理する「下水きょ(道路側溝)」ができたのは、なんと奈良時代です。 710年に藤原京から唐の都「長安城」を模倣して大和国に建造された「平城京」に下水きょができました。 平安時代には日本初の水洗トイレである野玄式便所が高野山にできました。 安土桃山時代(16世紀)には、大阪の城下町に下水道(太閤下水)が作られてます。 その後、江戸時代(17世紀~19世紀)に水道の建設が始まりました。 江戸市民の生活用水を、小石川上水、玉川上水などから給水して、傾斜を使って流す「自然流下方式」と呼ばれる設備が建設されたのですね。 ポンプによって送水する近代水道が始まったのは、1887年からです。 この年に、横浜で水道の給水を開始。 その後、函館、長崎、大阪、東京、神戸と次々に給水が開始されました。 なぜ、こんなに急いで水道が敷かれていったかと云うと、江戸時代前にはあまり接触なかった西洋でコレラの大流行があったからです。 対する西洋はとんでもなくバッチかったですね。 だいたい手指を洗わない。 今でも外出先でポテチを買ってきて、手を洗わないでそのまま食べるってのが西欧流。 だいたいナイフ、フォークが使われる以前は、手づかみで食事してたし。 手づかみスタイルは、「指は神様が与えた優れた道具である」という宗教観からきていて、料理に触れられるのは自分の手指だけなんて教えのためです。 ぢゃあ、食事のたびに手洗い励行してたのかな? それは分かりませんが、ナイフ、フォークが使われだすと、たちまち食事前の手洗い励行はなくなったそうです。 ヨーロッパでは中世末期(15世紀)まで、家庭で作成した汚物(ウ◯チ)は、道路の上とか道路の中央にある溝に流してたのはよく知られてる話ですよね。 それが原因で何度もペストやコレラの伝染病が流行して、多数の人命が犠牲になりました。 そこで、16世紀になってようやく、小規模の上水道の工事が行われるようになりました。 1582年、ロンドン橋に水車で動くポンプを据えて配水したのが本格的な上水施設になりました。 その後、1831年にコレラの大流行があって、それが契機となりロンドンの地下下水道を発達させました。 ところが下水道ができても、ただ河川に放流するだけだったので、ただでさえ汚いテムズ川なんかはますます汚れて、工業用水としても使用不能な状態になったのです。 1861年~1875年にテムズ川の両岸に川と平行の水路をつくって下水を流しましたが、それでも下流の汚染は防げなかったそうです。 それではアメリカの19世紀、つまり西部開拓時代はど~だったのでしょう? 植民地時代から発展していた大西洋岸から、1848年にカリフォルニアで金鉱が発見されてゴールド・ラッシュがわきおこり、それとともにノースダコタからテキサスまで南北にわたる6つの州が発展していった時代ですね。 ガンマンとかカウボーイ、アウトローなどが跋扈していた時代です。 まぁロンドンでさえ、あの体たらくですから、この時代のアメリカがどんなだったか容易に想像できますね。 西部劇映画を観てると、よくカウボーイが砂嵐のときに顔を覆ったり、銀行強盗が顔を隠すために「バンダナ」を使ってるシーンがありますね。 実は、バンダナには他の利点があったのです。 それは「盾」の役割。 何から身を守るかと云うと、自分の体臭からです。 あまりお風呂にはいらなかったので、体臭がハンパなかったのですね。 それでバンダナで、体全体から漂ってくる臭いニオイを少しでも止める役割があったのです。 そもそも西部開拓時代の人々は「入浴しすぎはかえって健康を害する」と云う独特の考えを持っていたそうです。 頻繁に身体を洗うことで毛穴が傷つきやすくなり、バクテリアや病気の温床になることを恐れたのだとか。 そもそも、この時代には清潔で汚染されてない水そのものが貴重だったので、シャワーや入浴をする機会は限られてたのですね。 しかも、あまり洗濯しないと不衛生だと云うことも知らなくて、毎日同じ服を着ていたカウボーイたちは、まさに体臭の温床だったワケです。 西部開拓時代の男性ヘアスタイルはファッションとは無縁でした。 ほとんどの男性は散髪を避けて、長髪のままでした。 身だしなみを整えることもなかったし、髪がどれほど臭くなっても平気の平左でした。 ど~云うワケか、西部開拓時代の酒場なんかでは、どの男たちも床に噛みタバコのツバを頻繁に吐き捨てる習慣がありました。 そのため、唾壷や痰壷がバーに設置されてたのですが、これでは賄いきれなくて、床におがくずを敷いたぐらいです。 ところが、そのおがくずが唾を吸い上げるため、雑菌の温床になってたのですね。 もっと悲惨なのは、当時の酒場は宿も兼務してたので、部屋を借りた旅行者は、この不衛生な汚物の中で眠るしかなかった。 この不衛生な行為に対抗するため、後に駅構内でのツバ吐き禁止法が制定され、高額な罰金や禁固刑が科されたところもありました。 女性たちはど~だったでしょう? 泉や小川のある町では毎日そこで顔を洗ってたようで、男に比べて清潔だったようです。 ただ体全体を洗うにはプライバシーがほとんど無いため、風呂に入るのは稀なことだったのは男と一緒だったようです。 問題は女性の髪です。 西部開拓時代のヘアケアは、ラードと灰汁の固形石鹸が主流だったのですね。 ウイスキーとヒマシ油のブレンドで髪を洗い、コンディションを整えた大胆な女性もいました。 それでも女性なりに可愛くしたいと考えたのか、鉛筆に髪を巻きつけてカールするのが流行ってたそうです。 そもそも西部開拓時代は、ほとんどの地域で充分な水インフラが不足していました。 発達した町ではまだしも、未開の地ではシャワーを浴びたり、歯を磨いたり、飲水を確保するさえ困難だったのです。 それで降った雨を集めることしか方法がなかったのですね。 と、云っても雨が頻繁に降る土地は少なかったので、いずれにしても水は貴重品だったワケです。 さて、問題のトイレ。 この時代、近代的なトイレなかったのはどの国も一緒ですが、西部ではアウトハウスと呼ばれる、地面に穴を開けた屋外小屋がトイレです。 それにしても西部開拓時代のトイレは汚い! 刺激臭、虫だらけ、トイレットペーパーなし(トイレットペーパーが登場したのは19世紀半ば)。 トイレットペーパーの代わりは、トウモロコシの穂軸、葉っぱや草、よくて雑誌の破れたページやカタログなどです。 そもそもアメリカでは、ニューヨークのような大都市を除いて屋内給排水設備の完備はほとんどなされていませんでした。 1920年に屋内給排水設備が完備していた家庭は、全米の1%しかなかったのです。 なので西部でそれを望むのはしょせんムリで、手汲みの水が精一杯でした。

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