妬む心が湧き上がるときは自分が不幸である場合が多い
今は日々平穏で幸せに暮らしている私。だけど60年以上生きていると今までいろんなことがあってそれこそ、人を妬んでしまう日々を送っているときもあった。結婚して一年後、最初の妊娠をしたとき、切迫流産の危険があって市民病院に1,2か月入院した。それこそ、ベッドから一歩もおりては行けないくらい動いてはダメだと言われて、安静にして頑張ったのだけど一人目の子は失った。私の人生で最初の絶望だったと思う。病院の方でも配慮してくれて、同じように妊娠している人と同じ病室にならないようにしてくれたのだけど、逆に隣のベッドの中年の聞きたがりの女性に入院している理由をあれこれ聞かれ、病室には戻りたくなくて、一人病院のトイレで泣いていたことがあった。そんな様子を知って、私の両親は心配して夫に何回か電話していたみたい。夫は仕事が終わると毎日病院に来てくれた。若い夫が洗ってくれた私のパジャマはいつもシワシワだった。優しい言葉をかけてくれるような口の上手な夫じゃなかったけど、この不幸があって最初に泣いたのは私ではなく、夫の方だった。結婚して37年、夫の涙を見たのはこの時だけだ。退院して古い社宅に戻った。同時期に妊娠したお隣のカップルの奥さんは順調そうで大きなお腹をしていた。赤ちゃんを連れている人をみるとどうしても悲しい気持ちになってしまう。しかたがなかった。その後、米国滞在中に娘が元気に生まれ、その後、帰国して息子が生まれた。娘はとても元気だったけど、息子は体が弱くて男の子と女の子の違いかと思っていたけど、小5くらいから体調不良で早退してくることが多くなって、小6くらいからまったく学校に行けなくなってしまった。このときが私の2回めの絶望だったかもしれない。鬱状態になってしまって、おしゃべりだった私がしゃべらなくなってしまった。よその子がランドセルをしょって元気に走っている姿を見るだけで涙が出たし、中学生の女の子たちが帰宅途中に笑いあっているだけで、「なんでうちの子だけ」なんて羨む気持ちがふつふつとわいてきて悲しくなった。きっと私だけでなく、ブログを読んだり、インスタやフェイスブックをみて妬む気もちが生まれる人っていると思う。そういう場合、きっとその人の人生がそのときうまくいってないのだと思う。だけど、妬みや嫉妬ってその人自身を不幸にすることはあっても幸せにはしない。自分が経験してみてそれはほんとうにそうだと思う。そしてその妬みや嫉妬は自分を不幸にするだけでなく、周りの人にまで迷惑をかけたり、不幸を広げていってしまうのだと思う。私がうつ状態になったとき、家族はものすごく暗くなってしまった。私がふっと我に返って、夫の顔を久しぶりに見たら、夫の髪の毛の白髪がすごく増えているのに気が付いた。そこから、私は嘘でもいいから明るくしようって心を入れ替えたのだった。生きているといろんなことがある。でもずっと嫉妬や妬みにとらわれているより、自分を大切にして楽しいことをした方がずっといい。すぐには無理だけどちょっとずつ、違う方を見たほうがいいのだ。時間が少しずつ解決してくれることもある。自分の気持ちをアウトプットすることも解決策になると思う。自分がしゃべるタイプなのか、書くタイプなのか、絵にするタイプなのか、歌うタイプなのか。私の発散方法は間違えなく、運動することだった。若いころから運動好きだったんだから、ずっと続けていればストレスも発散できただろうから、50代の絶不調はやってこなかったかもしれないってときどき思う。でもやっぱり食生活がめちゃめちゃだったからダメか、、糖質中毒で肉の遅延型アレルギーかもしれなかったのに毎日肉食べて下痢してたもんね。なんで早く気が付かなかったのだろう。今思うと不思議。一人目の子を死産したときの位牌はずっと義両親の仏壇においてあった。私たちがアメリカに5年半いたこともあったし、我が家には仏壇がなかったから。でも義母が亡くなったときに義兄夫婦から私たちに渡された。その位牌を我が家に迎え、小さい仏壇にいれ、今は大事に家の寝室にある。もしかしたら、そのころから我が家の運気が好転しはじめたのかもしれないなと思う。いつもポチをありがとうございます(^^)/今日も押してくれると喜びます。にほんブログ村にほんブログ村<