【59】映画の地を踏んできました
2022年11月4日チロルから戻るとガス暖房が壊れていて、部品不足で技師も工事が出来ないままになっている。座っていると足腰が冷え、体に巻いた毛布の中に寒がりのエミリーが寝に来るので、身動きもままならない。お湯も使えず、冷たい水で洗顔。来週の工事を期待してるが、ウクライナの人々の事を考えたら、これくらい大したことはないと思う。ドイツはウクライナの冬に向けて大規模な援助を計画しているそうだ。最近の気になるニュースを載せおく。またイランからロシアに大量の武器が渡るらしいが何とか阻止せねば‼ドイツ大使館はドイツ人がイランから出国するように警告しているが日本はどうなんだろう。それから2日後、イランがこれ以上ミサイルドローンを供給しないだろうというニュースが入りました。こんなにあからさまにわかってしまっては、いくら何でももうロシアのウクライナ破壊に手を貸すことはできないと願います。さて、私ではどうにも解決できない問題なので、心配はさておくことにしましょう。2022年9月26日今日はウィーン滞在最後の日です。昨日のようにホテルで、ベーコンと目玉焼きの美味しい朝食を終えると、ライ二―さんに案内された思い出のガゾメーターの横を通って、ウィーンから離れます。あの中では声がこだまみたいに響く場所があって、人がいないのを幸いに、調子に乗ってみんなで音響を楽しんでいましたっけ。ライ二―さんは「子供たちを集める時はこうしていたのですよ。」と口笛を強く吹いてドーム全体に大きく響かせました。亡くなったライ二―さんの思い出はあちこちに生きています。此処ではまるでアメリカのような釣り信号がありました。ウィーンで初めて見た光景でしたが、こんな近代的な風景はウィーン市の中心から離れた場所にあって、旧市街は更に美しくなって昔からの姿をしっかりと保ってくれています。ウィーン郊外に出ると私達の車はドナウ川に沿って走り、間もなく丘陵地帯が現れるとそこは見渡す限りのブドウ畑なのです。目的の風景が遠くに見えてきたので、ブドウ畑の真ん中に車を乗り入れてもらいました。これはすべて葡萄酒用に作られているのでしょうね。一つ摘まんでみましたがまだすっぱい実でした。トルコ人がここにいたら、ドルマ用にブドウの葉をいっぱい摘んでいくのだろうと余計な事を。あそこに見えるのががデュルンシュタインの教会と城跡ですよ。何だか、「青きドナウ」と「野ばら」が合流したみたいな気がします。ワクワクしてきました。歩きたくないので、なるたけ車でデュルンシュタインの街に近づこうとしましたが、一般の車が通るには、横にトンネルが出来ていて、直接街には入れないようになっていました。近くの駐車場には車いっぱいです。かなり離れた駐車場に車を止めて、ワイン畑の道を通って街に入ります。これは街の入り口ですが、すぐ横には城跡への道が通っています。寒いと思って、厚着をしてきてしまったので、これからの登山(大袈裟です)の事を考えてここを見るのはまたいつかの日にしましょう。-------似たような街の景色は散々見てきましたから。城跡まで徒歩で20分と記されてありますが、1971年だったら・・・・ですね。今はその倍はかかるかもしれません。ま、ゆっくり行きましょう。ゲッ なんか、最初からきつそうな坂道じゃんか!! こういう坂道にはロマンを感じるので、1971年だったら飛び跳ねながら登って行ったかも。でも今はきつい~~~。こんななだらかな坂道と階段なら、めげずに上まで到達できそうなんだけれど・・・。やっぱ、きついわ~~~。休む!秋の色と言えば、野生のつたが赤く色づいているのに気が付きました。もう一つ、ご褒美にこんなに素敵な展望が待っていました。此処にベンチがあったら30分ぐらい座っていたいんだけれど、腰を下ろせるような場所が無いのです。上から見ると小さいと思っていたデュルンシュタインの街は案外大きいのですよね。この景色を、向こう岸から見るとこうなります。もちろんこちらにはフェリーでしか渡れませんので、写真はここからお借りしました→https://www.pfeffel.at/hotel/?cli_action=1667503037.842オールドの仲間たち、この景色を映画「野ばら」で覚えていますか。そう、この対岸の小屋にトニーがブリューメル爺さんと一緒に住んでいましたよね。その小屋で歌ったのが日本名の題では「陽の当たる日」でしたっけ?この映画をテレビで見た時は、この場所がドナウ川沿いの何処かだとはわかりましたが、青きドナウにも使われていたところだとは気が付きませんでした。すごい、今ドナウ川にはミニゴルフ付きの遊覧船まで運行されているのですね。ワイン用のぶどう畑がこちら岸にも向こう岸にも広がっています。これ、ただの遊覧船ではなくて、何日も旅行する国際クルーズ船かもしれませんね。1971年にドナウ下りをした時は、こんな豪華船なんてなかったかもしれません・・・・。あらら、なだらかな坂道でもきつかったのに、これはどうだろう。途中で会った人たちも、結構ふうふう言って休んでいましたね。1971年には山の崖を這い上って、天辺まで行ったのに、なんじゃいこれは。今は5分も歩かないのにすぐに休憩。さっきの遊覧船が見えます。映画の「青きドナウ」で少年たちがドナウ川の遊覧をした時には、結構単純な遊覧船だったですよね。あれは1962年撮影の映画でした。結構きつい道はまだ上に続きます。青きドナウの少年たちは遊覧船をデュルンシュタインで降りた後、廃墟の岩の上でピーターの作曲を歌いますが、ようやくその場面の見える場所までたどりつきました。その場面の動画です。この映画の中の壊れた壁を思い出して、自分もそこに立ちたいと思い、さらに廃墟に向かって進みます。でも、本当はこの景色が見える日陰の場所でぶっ倒れていたのですよ。青きドナウの映画のスタッフたちは、カメラや道具を担いであの険しい坂道を上がって来たのかしら。ヒンタービヒルでワンダーフォーゲルをしている元気のよい少年達には、あんな坂道はお茶の子さいさいだったのだろうなぁ~、などと考えていました。それにしても汗をかいたので喉がカラカラになっています。これからまた大仕事ですが、此処まで来て、ペーターの立った場所に立たないまま帰るなんて・・・。・・・・と、実際にそこに行こうと息を切らせて探し回りましたが・・・実際にそこに行ってみると、どこを探していいものか、あちこち立ってみるのですが・・・・岩がどこも同じように見えてしまい・・・息がますます切れるばかりで・・・・何だか、もう絶対にここじゃない、というところに来てしまい・・・・此処に来ただけで満足しなくちゃと、この場所で妥協しました。いや、もっと写真に収めておくべきだったかな・・・・ と、気が付くとカメラのバッテリーが切れそうになっていました。陽が強く、喉も渇いて、この階段を早く下りたくなってきています。意識もいい加減になっていたらしく、この写真を此処に載せてから、全く偶然にですよ、右下に1メートルはありそうな 大きな蛇 が写っていたのに気が付きました ❗ 今さらギャー‼️! と叫んでいます。 ギャー‼️この蛇に気がつかなかったなんて、何と運がよかったのでしょう!登りは大変だったけれど、下りは10分で飛び降りてきましたぞ。あの蛇に気がついていたら、10秒で降りたかもしれない。上がる時にはこんな場所があったかしら、と思うくらい、上がるのに集中していたみたいです。車の近くには感じのよさそうな休憩所があります。何か冷たいものを聞くと、知っている名前の中に「Almdudler」というのがありました。聞いたことがないのでどんなものか尋ねると、オーストリア特産のハーブレモネードだとか。興味がありましたが、ハーブという言葉を聞いて、ちょっと引きました。結局いつもの通り、無難なジンジャーエールを頼んで今登ってきた高台を眺めていると、ハイどうぞ、お試しくださいね、と言ってウェイトレスさんが、「Almdudler」を目の前においてくれました。思いがけないサービスにびっくりしたり、恐縮したり。飲んでみるとさっぱりして癖がなく、普通のレモネードよりも甘みが抑えてあって、おいしかった。オーストリア特産というから、ドイツにはないのかと思ったら、調べた結果、こっちでも買えるんです。なんと、ハリボーのグミにまであるなんてもっとびっくりしました。買ってみなければ!デュルンシュタインでもこんな良い思いでが残りました。喉の渇きが納まると、これからまた出発です。車はしばらくドナウ川添いに走り、素晴らしいブドウ畑の風景を楽しませてくれました。私たちはこれからザルツブルク州に向かいます。 2022年11月10日 yuichannさんからのコメントのお返事を書いていて気が付いたのですが、映画「野ばら」でトニーが初めてウィーン少年合唱団を聞いた教会って、デュルンシュタインだったのか、動画を探し出して来ました。……なんかそれっぽいんですけど、確かめて来なかったのが今更悔やまれます・・・ギリギリ。さてはまたここで失敗したか・・・・・・ギリギリ・・・