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2003年02月16日
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礼拝メッセージは、神奈川県にあるカンバーランド長老教会高座教会を長年、牧会され、今は海老名シオンの丘教会を牧会しておられる、生島陸伸先生のご奉仕。


ルカによる福音書10章から、「いのちを受け継ぐ」というメッセージ。

この章は、70人(or72)人の弟子たちによる2人1組の伝道チームが任命・派遣されたところから始まる。今までイエス様しか行えなかった悪霊追い出しのわざだったが、イエスの名前を用いることによって、伝道チームも、できるようになった。
  
 
 さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。
 「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」

 「だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。
  ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」

 ちょうどこのとき、イエスは、聖霊によって喜びにあふれて言われた。
 「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、
  幼子たちに現わしてくださいました。(17節および20~21節)
 
 
弟子たちは、自分たちにも、イエスの名前によって、不思議なわざができたと感動し、喜び、そして、宣教の働きは大成功のうちに終わったが、イエス様は、「喜んではなりません」(20節)と言われる。そして、そんなことよりも、さらに大きい、天に名前が書きしるされていること、すなわち、永遠のいのちが与えられていること、あなたが、主に属するものであることを、喜びなさいと言われた。

個々の現象・目に見えることに左右されやすい者だけれど、最も確実な救いを喜びなさいって、言われてるんだなぁ。たとえ、奇跡的なことであろうと、永遠のいのちに比べたら、ちっぽけなものなんだなぁ。
 
そして、これらが、もともとの能力や素質がある人ではなく、何も持たない幼子のような弟子たちに、現されたと、イエスさまはおっしゃっている。もともと、自分たちにないもので、ただ、神さまの力がなさったこと。

生島先生の神学校の同期に会うと、「どうして、お前みたいなのが、あんなに大きな教会を」なんて言われるそう。ご本人いわく、神学校での成績は、よくなかった。しかし、のちに、1000人を越える教会を牧会。「これは、わたしのわざではありません。神さまがなさったことです。」
  
 
不登校の子供のお母さん。祈り続けているのだが、祈れば祈るほど、かえって状況は悪化。しかし、お母さん自身が、「神さまが自分とともにいらっしゃること」を、知り、真に感じ始めた時、子供の状態から目がそらされるようになってきた。問題は、なくなったわけではないが、状況の変化、悪化した、よくなったに、一喜一憂しなくなっていった。さらにひどい状態になっても、神さまがいらっしゃることの方が大切で、致命的なダメージに至らずに、すむようになった。
 
 
ルカ10章は、続いて、「よきサマリヤ人の話」「マルタとマリヤの話」へと展開。この福音書の著者ルカは、トピックを無意味に選んで、並べたのではないだろう。どの話を選び、どの箇所に、どの話が持ってくるか、すべてに意味があり、意図がある。
 
 
ルカ10:25以降の律法学者の問いは、真摯なもの。
 
 律法学者 「先生。何をしたら、永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」

 イエス  「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」

 律法学者 「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である
       主を愛せよ。』また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』とあります。」

 イエス  「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」

 律法学者 「では、私の隣人とは、だれのことですか。」

この後、イエスによる「よきサマリヤ人のたとえ話」が話される。
 
律法学者の答えは、完璧だった。100点満点。でも、それは、答案用紙への回答みたい。自らの実生活とは無関係。聞いて知っていることと、行おうとすることの違い。聖書のことば、神様の教えを、実生活に適用しようとする時、矛盾が起きる。しかし、この矛盾点が見つけられたら、これ幸い!
 
 
エペソ書に、「妻は夫に従いなさい」との教え。頭で分かっていても、従えない。

 女性信徒 「従えないんです。それでも、従わなきゃだめなんですか?」

 牧師   「わたしが従えって言っても、従えないよねぇ。」

 女性信徒 「そう!そうなんです!」

 牧師   「そしたら、そのまま、『従えません』ってお祈りしようよ。
       そして、『このことさえ、すでに十字架で赦されてること、感謝します』って。
       それから、『自分の力で従えませんが、神様、あなたの力で従えるようにして下さい』って。」
 
 
まず、できないことを認めて、そのことさえ、すでに神さまに赦されていることを感謝する。そして、変えられることを祈り願い求め、そして、変えられたなら、それは、もはや自分の力ではなく、100パーセント、神様のみわざ。だから、ますます、神さまへの感謝が増えるだけ。
 
 
「よきサマリヤ人の例え」

 イエスは答えて言われた。

 「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎとり、
 なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。

 たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。同じように
 レビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。

 ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオ
 リーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。

 次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。「介抱してあげてください。もっと費
 用がかかったら、私が帰りに払います。」
 
 この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」

 「その人にあわれみをかけてやった人です。」

 するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」(30~37節)
  
 
イエスは、隣人を愛するように教える。倒れている相手の素性も、いい人か悪い人かも分からない。もしかしたら、悪いことをして、自業自得で襲われたのかも知れない。そんな状態で、助けの手を差し伸べよ。それは、本気で従おうとしても、人の力では不可能なこと。私たちは、結局、自己中心。自分の益や自己満足にならない助けしかできない存在。ただ、神さまにいただく力によって、変えていただく必要。

一方、半殺しの目に会った旅人。それは、自分自身の姿ではなかろうか。どんな人も、生まれてから、いろんな傷を受け続けている。いわば、最善の状態ではない。そして、自分の力でどうしようもない自分を抱きかかえ、傷を手当てし、家畜に乗せて宿屋に連れて行き、宿泊費まで負担し、面倒をみてくれる隣人がいらっしゃる。そう。わたしは、聖書のいう隣人になれないが、わたしの隣人になってくださる方がいる!

(罪や律法に対する)自分の努力。それは、死に至る病。
(おお、だから、びっこ引きながらでも、歩いている姿じゃなく、半殺しで動けない旅人の姿か。)
 
 
 
午後は、教会研修会というスタイルで、「マルタとマリヤ」の話へ。
 
 さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村にはいられると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。
 彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。

 ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。
 「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。
  私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」

 主は答えて言われた。
 「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。
 しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを
 選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(34~38節)


問題提起
教会生活が、礼拝出席だけで、何の奉仕も交わりも無くなったら、有意義な教会生活になるだろうか。

奉仕の危険性
奉仕に自らの存在感を求めてしまうこと。
教会の奉仕を一生懸命している人の不満  私は一生懸命やってるのに……
目的が、ほめられたい、認められたい  同一化=私も一生懸命だから、あなたも一生懸命すべき

イエス様は、マルタ・マリヤと、天の話を聞いて、感動してほしい、旅先での、いろんな出来事を聞いて、共感してほしい、と思われていた。マリヤは、イエス様が、今、どんな気持ちか、そのお心をしっかり、キャッチ。本気で、イエスさまの話に、耳を傾け、喜ばれた。←→ マルタは、実際の食べ物の心配
 
 
ヨハネ4章に出てくる、サマリヤの女の話。
罪深い女が、イエスさまの愛に出会い、変えられた後、戻ってきた弟子たちに、イエスさまは語られた。

 「わたしには、あなたがたの知らない食物があります。」(ヨハネ4:32)
 「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。(同4:34)

サマリヤの女も、イエスの話に、真剣に耳を傾け、心が変えられた。そして、大きな証がなされた。実際の食べ物よりも、ずっとすばらしいこと。イエスさまは、女が、真剣に話を聞いたことを評価され、用いられた。

聞くこと 1、頭で理解  2、神さまが心を開き、心の耳に聞かせてくださる
 
 
 
とても、深い話が多く、お腹いっぱい。だけど、今、必要なメッセージだったと思う。神さま、ありがとう。
 
 





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最終更新日  2003年11月11日 20時57分26秒
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