神から人へ ◎物質世界・想念世界(この世と神の世)◎
神から人へ、人から神へ。不明なるは正してゆけよ。神に問いて答えを求めよ。この世に生きるは難しきこと。真実界から遠ざけられて、偽り多き世界なれば。さにて本日何を問うや。 (善悪とは相対的なものなのでしょうか。神の世界は絶対善なのでしょうか)この世の世界の善悪は、神の目からは、どちらでもなし。神の世界に善悪は無し。全てが事実、それのみなりて、善悪分かつ基準も無し。なれど人の世界には、基準が必要。善悪もあり。人への害は全て悪なり。受け手が被害を感じなば、全て悪なり。受け手が喜び感謝しなば、そは全て即ち善とならん。基準は全て受け手にあり。与える側には関係なし。よかれと思いてせしことも、相手に取りて不愉快ならば、そは皆悪と捉えられなん。大切なのは己にあらず。なれば、この世の善悪は、相手の心、判断により移ろい変わる、虚しき価値なり。なれど、そこにも絶対なるは、神の慈愛に基づきしもの。 神の基準は絶対なり。神の秤は相対ならず。比べる対象、尺度はなし。ただに神の意図に沿い、神の心に適(かな)うか否(いな)か。そにて分かれる、二者択一のみ。神の心は、人の成長。御魂(みたま)の進化向上のみ。なれば、人の基準の悪さえも、時には善となることもあり。御霊の成長、昇華のための、必要悪は、悪にはあらず。 なれど、あやまち、誤るなかれ。人の世界の基準も大切。人への妨害、迷惑は、全て悪なり。許されず。人の世界の決まりを教え、神の基準に照らして生きる。そを教えるは誤りにならず。教えぬことこそ、大人の罪なり。 神の世界は絶対のみ。悪なるものは存在せず。悪がなくとも善はあり。全ては善なり。善のみなり。闇はなくとも光はあらん。光を知るには闇は要らぬ。愛を知るには憎しみ要らず。要ると思うは人の浅知恵。相対世界の幻なり。真実真理に目覚めなば、相対尺度に頼らずとも、絶対真理を悟り得ん。相対世界にとどまるは、いつまで経ちても、進歩無し。相対世界は、物質界の物理科学のあやまちなり。物質のみに目を奪われて、物質からのみ世界を捉える、有限世界の浅き学なり。なれば真理は、絶対世界。普遍世界の理(ことわり)なり。物質世界に生きる間は、知るは困難、不可能に近し。なれど、神を信ずる者は、自ずと絶対真理に近づき、真理の道を歩みゆかん。 不可能可能も相対なり。神の世界は可能のみ。全てを起こし、実現させん。全てを作り、可能となさん。想念世界は可能のみ。思いは起こり、現れるのみ。偽り隠すは本来無し。即座に現れ、現実となる。物質世界はさにあらず。物質次元の低き思いは、物質のみに惑わされ、想念世界を認め得ぬもの。なれば、ますます低くなり、やがては相対のみに生きなん。早く気付きて昇華せよ。想念世界に目覚めるべし。想念世界に生きてこそ、御魂の昇華ははかどらん。想念世界は自由無碍。思いのままにて、囚われ無し。自ら縛るが人間世界。物質世界の哀れさなり。 物質世界の奥にある、想念波動の力を知れよ。想念世界の波動によりて、物質世界は容易に変わらん。想念世界が変わらずは、物質世界が変わらぬ理(ことわり)。肉体さえも、想念のもの。想念波動をそのまま写す、鏡の如きの明らかさなり。 肉体のみで生きると誤り、長命祈る愚かさを知れ。想念汚し、貶(おとし)めて、生きながらえるに価値ありや。 想念を正し、清らに保ち、肉体いたわり、想念高め、神の世界に近づく努力。そこから真理はつかめなん。頭の世界や知識や考え、全てはくだらぬ間違いのもと。自ずと備わる知恵こそが、真理の道を指し示さん。心も体も一体となり。自然に生きる道を歩めよ。道を掴(つか)むは己のみ。己の努力それのみなり。真理の教えを百回聞けども、自ら歩まぬ者には分からず。歩みの前に考えばかり。心と体を共に動かす、基本の生を見失うのみ。 生きて初めて生を知らん。生きて初めて神を見つけん。生きる中に真理は輝き、求めざるとも明らかならん。求め過ぎるは誤りのもと。何も求めぬことと変わらず。求める者は、生きるべし。何も求めず生きるべし。さにて初めて与えられん。気づかぬ間に悟るなり。なれば、人は、無心無欲に、無から始まり、無に終わるべし。無とは絶対。相対ならず。ものさし秤で測り得ぬ、全ての根幹、原理なり。さにて本日難解なれど、繰り返し読みて、汲み取るべし。さにて。 神の声を伝える人ひふみともこさん著書 「続神誥記」より抜粋ひふみともこさんHP http://hifumitomoko.cocolog-nifty.com/blog/