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pretty物欲

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August 29, 2009
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カテゴリ:意見・提言
この記事を見て、ボクは納得しきりであった。
まずは読んでいただきたい。
「なぜ?」
このひとことの言葉が持つ鋭い意味を理解しないままで、
思考停止した人間は「言いやすいから」という理由だけで、使う。
ネット上でもいたるところに出現し、
叩かれてはいなくなる「なぜなぜ君」に似ていると思う。

しかし状況はネットと現実世界ではまったく違う。
ネット上では即刻叩かれるから、
自分が叩かれた理由を逆に「なぜ?」と反省してみるチャンスがある。
しかし現実世界では、
反撃されることもなく、だから気付きも思考もなく、
「なぜ?」は言いっぱなしのままとなり、繰り返される。

ボクが思うに、
「なぜ?」と言いだす思考停止人間というのは、
”大衆のまんなか”にいようとして生きてきた、
かわいそうな人間たちである。
子供の頃より、受験戦争や学歴社会の真ん中に叩き込まれ、
その一団のなかにいるために学習で競い続ける。
なぜ?と大人に問いかけても「それしかないから」と吹き込まれる。
理由の理解がないまま、その一団のなかにいないといけない。

大人からは、がんばれ、と一種の恐怖ストレスを与え続けられ、
思考停止することが楽なことを覚える。
そういう子供時期の環境にトラウマを負った、
かわいそうな精神病人。
その後、一団のメンバーをふるい落としながら、学歴社会の階段を上り、
中学→高校→大学→一流企業や高級官僚という大人になる。
いわゆる「あがり」である。

子供達が思考停止をしてまで学習に耐えてきた目的は、
実は一流企業や高級官僚に「あがる」ことであった。
それも、自分で選んだ未来ではなく、
彼らの親がひいたレールの行き着く先にすぎない。
人生をどう生きるか、
なんていう本質とはまったくかけ離れたところを、
ただひた走ってきたのである。
そんな不幸な子供はいま、もう大人である。
そんな大人があふれる現状である。

子供時代に大人によって学歴社会であえいだ不遇なんてのを、
大人になったら愚痴をいってもはじまらない。
誰かに当たってもしかたない。
自分のことは、過去を含めて自分の責任である。
そんなことくらい気付け、大人よ。

その社会的地位や名誉なんて関係なく、
大人は誰しも、常に考えなければならない。
彼らは、大人になって数十年たって、
過去の自分のことを一度は総括して考えただろう。
学歴社会を生きてきた自分、いまの自分。
そして自分以外の人間の、異なる立場、異質な考え方があることに気付き、
そのときに社会的弱者の大人の気持ちを想像したはずだ。

それでも、彼らが社会的弱者の大人を思いやれないのは、なぜか?
彼らは、自分が一番の弱者だと、実は自覚しているからだ。
子供時代から学歴社会の道から外れることを極度に恐れ(させられ)て、
必死に学習してきた被害者→臆病者→弱者という自覚(自負?)がある。

その子供時期にみた、
学校の教科を勉強せずに生き生きと生活する、自分より”強い”子供たちを、
彼らは強く妬んできたはずだ。
オトナに勉強しろを言われても、
勉強しないで笑っていられるほかの子供たちの「強さ」に、
どうしようもない劣等感を感じたはずだ。
その妬みが、社会的弱者への攻撃の原因とボクは感じる。
学習をおろそかにしたから、社会的弱者になったのだ、と。

大人に成長して、本当の弱者は、どっちなのか?
学歴社会からこぼれるのが怖くて勉強し続けた「あがり人間」か。
学歴社会から早々に遠のき、社会とのつながりに苦悩してきた「苦悩人間」か。
どっちも人間だから、どっちが弱いとか強いとか、
どっちが優れているとか劣っているとか、判断できるものではない。
人間は平等に弱く、誰もが苦悩しながら生きているのである。
どっちも、誰しも、同じなのである。

思考停止の「あがり人間」に告ぐ。
いまからでも遅くない、変な自意識を捨てて、思考を開始しろ。
リスクを恐れず、自分の意見を持て。
自分の今の社会的地位、経済的待遇を守ろうとするあまり、
弱者攻撃する行動は厳に慎め。
いまの自分のいる恵まれた状況が、
実は弱者の支えによって成り立っていることに気付け。

「あがり」の意識が彼らを、いまの自分の社会的地位を守るように
保守的に行動させる。
子供時代のように、思考停止して。
しっかり考えて行動しろ。

企業や国が、学業の優れたヒトを採る、という方法は、
保守的人間を集めるためではなく、
きちんと考えて答えを出す、という才能に期待しているに過ぎない。
採用されたことで「あがり」と考えるような本人の意識は、
自分に期待された価値を、自ら裏切っているに過ぎない。

過去にチンケな学歴社会をたまたま勝ち抜いたくらいで、
自分が高級な人間だ、なんて自覚するのは、
きわめて恥ずかしい勘違いだと気付け。
エリートとか高級官僚とか、そんな言葉があるのは、
言葉に慢心するためではなく、皮肉の効いた戒めと思え。

最近不景気になって、官僚や大企業の振る舞いが、
特に社会的立場の弱い人間に向けて、
傲慢になりはじめていることをボクは強く感じている。
こんな点からも、いまの勘違いを誘う学歴社会は
改善されるべきだろう。

「なぜ?」
そんなことを人に問うまえに、
自分で答えを出してみろ。
それが学業の本当の目的だったはずだ。





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最終更新日  August 30, 2009 12:27:42 AM


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