カテゴリ:意見・提言
この記事を見て、ボクは納得しきりであった。
まずは読んでいただきたい。 「なぜ?」 このひとことの言葉が持つ鋭い意味を理解しないままで、 思考停止した人間は「言いやすいから」という理由だけで、使う。 ネット上でもいたるところに出現し、 叩かれてはいなくなる「なぜなぜ君」に似ていると思う。 しかし状況はネットと現実世界ではまったく違う。 ネット上では即刻叩かれるから、 自分が叩かれた理由を逆に「なぜ?」と反省してみるチャンスがある。 しかし現実世界では、 反撃されることもなく、だから気付きも思考もなく、 「なぜ?」は言いっぱなしのままとなり、繰り返される。 ボクが思うに、 「なぜ?」と言いだす思考停止人間というのは、 ”大衆のまんなか”にいようとして生きてきた、 かわいそうな人間たちである。 子供の頃より、受験戦争や学歴社会の真ん中に叩き込まれ、 その一団のなかにいるために学習で競い続ける。 なぜ?と大人に問いかけても「それしかないから」と吹き込まれる。 理由の理解がないまま、その一団のなかにいないといけない。 大人からは、がんばれ、と一種の恐怖ストレスを与え続けられ、 思考停止することが楽なことを覚える。 そういう子供時期の環境にトラウマを負った、 かわいそうな精神病人。 その後、一団のメンバーをふるい落としながら、学歴社会の階段を上り、 中学→高校→大学→一流企業や高級官僚という大人になる。 いわゆる「あがり」である。 子供達が思考停止をしてまで学習に耐えてきた目的は、 実は一流企業や高級官僚に「あがる」ことであった。 それも、自分で選んだ未来ではなく、 彼らの親がひいたレールの行き着く先にすぎない。 人生をどう生きるか、 なんていう本質とはまったくかけ離れたところを、 ただひた走ってきたのである。 そんな不幸な子供はいま、もう大人である。 そんな大人があふれる現状である。 子供時代に大人によって学歴社会であえいだ不遇なんてのを、 大人になったら愚痴をいってもはじまらない。 誰かに当たってもしかたない。 自分のことは、過去を含めて自分の責任である。 そんなことくらい気付け、大人よ。 その社会的地位や名誉なんて関係なく、 大人は誰しも、常に考えなければならない。 彼らは、大人になって数十年たって、 過去の自分のことを一度は総括して考えただろう。 学歴社会を生きてきた自分、いまの自分。 そして自分以外の人間の、異なる立場、異質な考え方があることに気付き、 そのときに社会的弱者の大人の気持ちを想像したはずだ。 それでも、彼らが社会的弱者の大人を思いやれないのは、なぜか? 彼らは、自分が一番の弱者だと、実は自覚しているからだ。 子供時代から学歴社会の道から外れることを極度に恐れ(させられ)て、 必死に学習してきた被害者→臆病者→弱者という自覚(自負?)がある。 その子供時期にみた、 学校の教科を勉強せずに生き生きと生活する、自分より”強い”子供たちを、 彼らは強く妬んできたはずだ。 オトナに勉強しろを言われても、 勉強しないで笑っていられるほかの子供たちの「強さ」に、 どうしようもない劣等感を感じたはずだ。 その妬みが、社会的弱者への攻撃の原因とボクは感じる。 学習をおろそかにしたから、社会的弱者になったのだ、と。 大人に成長して、本当の弱者は、どっちなのか? 学歴社会からこぼれるのが怖くて勉強し続けた「あがり人間」か。 学歴社会から早々に遠のき、社会とのつながりに苦悩してきた「苦悩人間」か。 どっちも人間だから、どっちが弱いとか強いとか、 どっちが優れているとか劣っているとか、判断できるものではない。 人間は平等に弱く、誰もが苦悩しながら生きているのである。 どっちも、誰しも、同じなのである。 思考停止の「あがり人間」に告ぐ。 いまからでも遅くない、変な自意識を捨てて、思考を開始しろ。 リスクを恐れず、自分の意見を持て。 自分の今の社会的地位、経済的待遇を守ろうとするあまり、 弱者攻撃する行動は厳に慎め。 いまの自分のいる恵まれた状況が、 実は弱者の支えによって成り立っていることに気付け。 「あがり」の意識が彼らを、いまの自分の社会的地位を守るように 保守的に行動させる。 子供時代のように、思考停止して。 しっかり考えて行動しろ。 企業や国が、学業の優れたヒトを採る、という方法は、 保守的人間を集めるためではなく、 きちんと考えて答えを出す、という才能に期待しているに過ぎない。 採用されたことで「あがり」と考えるような本人の意識は、 自分に期待された価値を、自ら裏切っているに過ぎない。 過去にチンケな学歴社会をたまたま勝ち抜いたくらいで、 自分が高級な人間だ、なんて自覚するのは、 きわめて恥ずかしい勘違いだと気付け。 エリートとか高級官僚とか、そんな言葉があるのは、 言葉に慢心するためではなく、皮肉の効いた戒めと思え。 最近不景気になって、官僚や大企業の振る舞いが、 特に社会的立場の弱い人間に向けて、 傲慢になりはじめていることをボクは強く感じている。 こんな点からも、いまの勘違いを誘う学歴社会は 改善されるべきだろう。 「なぜ?」 そんなことを人に問うまえに、 自分で答えを出してみろ。 それが学業の本当の目的だったはずだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
August 30, 2009 12:27:42 AM
|