車をhobbyとすることに疑問を感じる
国の法律に従って18歳まで待ち、面倒とお金をかけて免許をとり、さらにお金を払って車を手に入れて、税金、保険、ガソリン代、高速代、と維持するのにもお金をかけ続ける。それでいて故障の修理や事故のリスクを負いながら渋滞や制限速度にイライラしながら、車を維持するわけで、お金のない若者には確かに大変な「趣味」ではある。それと引き換えに得られるものは、移動に関するパワードスーツのような万能感。いつどこへでも快適に行けるという万能感が、それまでの苦労を報いて余りあるから、クルマは売れた。そしてそういう人たちに車を売って自動車産業が儲けて伸びた。車を維持して万能感というメリットを享受するひとたちは、「趣味は車」「趣味はドライブ」と言った。いま、そこまでの時代を思いかえすと、ユーザーと、自動車産業と、国など自動車政策と。そこには地球環境とか、もっと卑近には人間社会とか、そういう視点が欠けていた。内燃機関エンジンを動かしたとき、酸素を燃やして、二酸化炭素や窒素酸化物や粒子状物質など様々な環境を汚す問題を起こした。酸素は有限なのだし、地球自然の浄化システムも有限だ。排出した二酸化炭素は多すて、汚した世界は自動的に元には戻らないところまできた。自家用自動車を維持し、万能感を享受する世界。自分がかけてきた、そのお金と時間は、人間社会のなかだけでの権利のために費やしてきただけである。私の呼吸するきれいな空気を、自動車なんかに使うな。これまで使った空気を、返せ。私はそう言いたい。汚してきた地球世界に対して、妥当な償いをしてきたと、誰が言えるだろう?車を買ったから、維持にすこしだけのお金を出したからといって、地球世界を汚してよい権利なんて、ない。万一あったとして、権利はどのくらいの金をかけて、妥当に相殺できるものか?たとえば車を1年1万km乗るとして、排出する環境汚染を取り除く、もとに戻すのに1年あたりかかる費用はどのくらいなのか?車1台で1年ごとに地球上に広葉樹の森を1ha広げる必要があるかもしれないし、汚染物質を回収してリサイクルするプラントを作り続けなければならないかもしれない。少なくとも、個人がこれまで払ってきた車の維持費とは、桁が数個も違うほど大きいはずだ。最近、不謹慎な自動車の広告が増えてきたように思う。昔はよかったとか、楽しい自動車生活とか、遊べる車とか、わくわくする車とか、威厳高い車とか、趣味のための車とか。ばかみたいに加速して排出し、原則でブレーキをすり減らし、カーブでタイヤを削り路面を痛めながら、数秒だけ速く走ることで楽しさを得る。趣味としての車。移動することが目的でなく、hobby目的として車を使う。無知ゆえの無邪気な、クルマでそんなお祭りができる時代は、終わったのだ。私たちはもう、知ってしまっている。そういうことがもう不謹慎であることを。昔は大丈夫だったじゃん、と最新の状況に目を隠し耳をふさいで、趣味に興じる旧い人たち。「遊べる軽」とか「ZOOM ZOOM」とかいって楽しさを全面に出して売り続ける自動車業界。これから人間が地球でバランスをとって生き延びていくためにこれからの進歩的な人たちは、旧い人たちに対してNO! と主張しなければならないと思う。