テレビが作った夢の跡
自転車はアップダウンを走る。と、砂利道との合流があった。そこには、この先の”施設”を指す小さな看板が。ボクが子供の頃、つまり昭和の時代に、テレビで放送されていた、動物にまつわるテレビ・ドキュメンタリー・シリーズの舞台である。主人公の氏の著書によると、無人島での番屋暮らしから氏のこの地での生活が始まっている。その無人島も、ここからほど近い筈だ。ボクは一時期、氏の著書を読みあさる大ファンだった。この地にこれたことは、感動を感じる。感じる筈だった。しかし。ネット上の情報によると、いまや、この看板は、夢の跡を指すだけの空虚なものである。テレビシリーズが終了すると同時にブームは下火になり、テレビ以外に儲ける術を持たなかった氏とそのとりまきたちは、結局この大切なルーツの地を離れてしまう。この砂利道の先には、おそらく、もう何もない。撤去されずに残された看板。すでに登場人物が去った地には、もうドラマは生まれない。氏のたくさんの著書を読んだボクは思う。氏はとりまきたちとの距離と関係を悩み、総じて突き放していた。とりまきたちの自立と成長を願う氏の愛情を見た。しかし、あれから数十年たった今となっても、あれだけいたとりまきたちのなかから、氏を越える者どころか、氏の研究者路線をきちんと継ぐ者さえ出ていない。彼らは氏の稼ぎで、おもしろおかしく、氏をとりまいて暮らすことができた。しかし、それだけ。自分たちだけで何らの結果さえ出せず、氏の稼ぎを食いつぶしたに過ぎない。厳しいようだが、現在目の前にある状況を表現するこれ以外の言葉をボクは見つけられない。きら星のごとく現れた才能は、その光に惹かれた人々を集めるが、しかし集まるのは無能ばかり。光に光は集まらない。光に集まるのは虫ばかり。皮肉で悲しい童話の世界そのものである。ボクは悲しいこの看板から目をそらして、走り去る。