エピローグ:定宿の2泊で
ボクはそれから2泊、定宿に泊った。1泊目は暦がよく、宿は宿泊者で、ほぼ満室。賑やかな状況だった。連泊の気分の軽さもあって他の宿泊者と話しこみながら、何も考えずに集団にうちとけて「旅人」を楽しむことができた。こういうのは久しぶりだった。ボクのひとり旅では、宿に泊らず、ひとり野営が多くてヒトに会わず話さずが続く。そうすると、何かを深く考えてしまう嫌いがある。ブツブツ独り言を言いながら、自転車を漕いでいることがある。それが精神を病んだ異常な人間の行動、という自覚さえ持たなくなることも、ある。実際、ボクはきっと、世間で平均的=正常な人間ではないだろう。もしそうなら、こんなになんでも「ひとり」指向でいるわけがない。ボクの観察によると、会社の同年代の同僚はある程度年齢がいくと、なににつけても群れたがるようで、しかも群れることに安心している。特に他と話が合わなくても、自分からあわせにいって。過去の遺恨で仲が悪くても、あえて衝突を回避しながら。「他人とあわせるために、 自分を一生懸命、消費する」ボクには、自分よりも、そんな彼らのほうが倒錯的で自虐的な行動をとっているように見えて仕方がない。それでも集団に”うちとける”ことで得られる喜びと安心が、ボクを含めてすべてのヒトにはあるようだ。大多数のヒトはそのうち解ける喜びが、ひとりでいることの苦しみよりもかなり勝っているようで、自己嫌悪に陥ることもなく、見事にコミュニティに順化していける。そういう感覚がボクには、ない。他人と違うことをむしろ誇りに思う、天の邪鬼さがある。そしてそういう自分の感覚を、問題だとは思わない。だから直そうともしない。それは個性でいいと思う。そんな自分のことを、再発見した一日目だった。定宿の2泊目は、静か。同宿者は1名。昼間は宿の周辺を、自転車で散策して過ごす。散策といっても、30kmくらいは走ったろうか。途中またパンクしてしまったのは参った。前の修理跡がまたスローパンク。今度はチューブとタイヤ皮の両方を交換した。荷物を降ろしても、修理道具は積んだままでよかった。宿は、au携帯電話は圏外になる。圏外でじっと待つと、アンテナピクトが1本立つが、そこから電話発信してもデータ通信してもつながらず、1分後に圏外に落ちる、を繰り返す。そういう圏外な僻地にあるところも、ボクにとって魅力であり、気に入っている。現代社会、そういう圏外な場所に魅力を感じるヒトは多いのではないだろうか。携帯電話のくびきから、逃れられる場所。昔は携帯3社すべて圏外だったのだが、D,Sは近くに電波塔が建ち、圏外ではなくなってしまったらしい。auは頑張って、圏外であることを続けてほしいものだ。(笑)夜は星空の草原風呂を楽しみ、散歩を楽しむ。吐く息が夜空に湯気として昇る、とても寒い夜だった。夜中まで宿主と飲み交わし。へべれけに酔っぱらってろれつが回らない自分を楽しむ。ここでは、酔っぱらってよいのだ。談話室から部屋までのほんの30歩を千鳥足で歩く自分が、いつまたここに来れるのか、を思わずにはいられなかった。