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カテゴリ:つれづれ
その日,私は京都市民だった。論文をおおよそ書き上げて,頭の中は4月からの就職を前にとにかくお気楽モードだった。しかも3連休明けの火曜日。ただでさえ冬場は朝に弱い私だが,なぜかこの日はその時刻の数分前に目が覚めた。
目覚ましを見て,なんやまだこんな時間かと思って寝直しをしようと思った瞬間に,揺れはじめた。おお地震かと思った数秒後,悪夢は襲ってきた。 幸いに,京都市は揺れただけで済んだ。私の住んでいたアパートも特段のことはなく,ライフラインに支障はなかった。でも,その強烈な揺れの間,正直に言えば金縛りにあったごとく動けなかった。気が付いてあわてて扉を開け,窓を開けて周りを見回して,とりあえずテレビとラジオを付けて食い入るように見た記憶がある。しかし,情報は錯綜していた。当初NHKは震度6と発表し,その後なぜか震度4に下げられた。それだけ混乱していたに違いない。その他の局も,しばらくは通常編成だった記憶がある。あの阪神高速倒壊の映像を見て,はじめてただごとではないことを察した。それだけ情報を流す方も困っていたのだろう。 その後,私は別段ボランティアに行ったわけでもないので,震災について胸を張って語る資格はないと思っている。記憶に残っているのは,震災当日に,しかも京都市の左京区のコンビニの棚から,水やベットボトルの茶,パンやおにぎり,サンドウィッチの類がことごとく消えたことだ。水を使わないシャンプーも当時のコンビニの必須アイテムだった。 しかし,事情により京都から実家に帰る必要があり,灘発姫路行きの下り快速電車の車窓に広がった,長田区の惨状は,未だ心から消えない。戦時中の焼夷弾による大空襲はきっとこういう結果をもたらしたんだろうなと言う思いがした。長田区近辺を通りがかった瞬間,電車の乗客から声が消えた。それを痛烈に記憶している。 あれから,もう13年たった。当然,神戸は復興の一途をたどっているが,私の心にに残っている,あの神戸の町並みと活気は,往事のそれではない。 実は,その前日,すなわち1月16日,実は私は大阪まで遊びに出てきていた。ついでだから神戸まで足を伸ばそうと思ったのだが,またいつでも来れるからと持って,神戸には足を伸ばさなかった。いまでも,そのことを悔やんでいる。 また今日,神戸は,いや兵庫県南部は鎮魂の日を迎える。幸いに私は親族に犠牲は出なかったが,そのかわり何も出来なかった。未だに,それが心にとげとして刺さっている。 あのときの神戸は戻らない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008/01/17 08:47:29 PM
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