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テーマ:たわごと(26771)
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こどもの教育について大騒ぎをする人たちが自らの行動を省みることがないのなら,その人たちの大騒ぎはあたかも,自らの教育を忘却するために行われているように見えてしまう…。
…その場合,騒ぎの大きさは彼らの忘却したい問題の大きさに比例するのだろう…。 …彼らは「それは大騒ぎすべき問題の本質をあいまいにしてしまう」と言うかもしれない…それこそまさに彼らがしていることなのだ…その証拠に彼らは問題の本質の定義を嫌う…そこをあいまいにしたまま,「わかりやすい」キャッチフレーズが繰り返され,とりとめもなく騒ぎは発展する…それほどまでに目を背けたい問題を放り出せると信じて…。 …彼らは他者に公正さを求め,自分たちには独断の自由を留保する…独断につきあわされるのはさぞ迷惑なことだろうけれど,そのことに彼らは頓着しない…そのことを指摘されると,決まって「拘り」という単語が飛び出す…それも彼らの拘りから目を逸らさせるものだと思えば納得がいく…。 …けれど,こうした動きにもなんらかの「必然」があるのだろう…起こるべきことが起こっていて,それは「若干の」犠牲をともないつつそれ自身の目的に向かう……破局をむかえようともさらにすすみ,それは破局の向こう側を目指す…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.04.28 20:01:31
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