ウーティスさんの青柳の物語を想うときいつも何
故か浮かぶ歌があります。
”駒とめて 袖打ちはらふ 影もなし 佐野の
わたりの 雪のゆふぐれ”、定家の歌です。
で、実朝の歌に飛ぶ訳ですがぁ、何故じゃろ
か?自分も知りませんが、
”かくてのみ ありてはかなき 世の中を 憂し
とやいはむ あはれとやいはむ”
”神といひ 仏といふも 世の中の 人の心の
ほかのものかは”
まったく同じ想いで胸打たれます。
”いとほしや 見るに涙もとどまらず 親もなき子
の 母をたづぬる”
私の事を詠んだのであろうか?
”出ていなば 主なき宿と なりぬとも 軒端の
梅よ 春を忘るな”
これも流離ってる間に家を無くした私の境涯と
同じで私の庭の、梅の花が思い出されます。
これが禁忌の歌とされたのは、吾妻鏡で二十
二歳で暗殺された日の歌とされているから、と言
う。
これらの歌は先人の本歌取りである。
有名な菅原道真の”こちふかば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな”や
式子内親王の”ながめつる けふは昔に なりぬとも 軒端の梅よ われを忘るな”など
があります。
”けふは昔に なりぬとも”なんて言う昔の人の
感性に感動してしまう、まさしく”遅れて来た者”で
すわね。