|
カテゴリ:カテゴリ未分類
ワイン呑んでも 日本人だぜ おれは
なあんて、ふっと映った鏡の自分の顔を見て想った。 容貌も年齢と共に変容する。 生きて来た 証しの面が ここにある 若い頃は、自分の顔が嫌いだったが、それは自分の当時の 心が嫌だったのだろう。 今の貌に納得している。 勉強も好きだったが(これは後天的な資質であって、すべて母の影響である) それ以上に石と植物と動物とマンガと古い社寺が好きだった。 漫画は、ほとんどそっくりに模写出来て幼い子供たちに離されなかった。 道を歩いていても目が行くのは、路傍の花と石ころである。 歩いてすぐ近くを流れる川原に行くと日没まで時を忘れて石に没頭する。 机の引き出しの中は3つとも石ばかりだった。 今は無い、川原ナデシコや翁草が懐かしく思い出される。 春には屋根からスズメの子供が落ちて来る。 親鳥も落ちた子は無視する。 どうにか、生かしてやりたいと必死になって虫を取って来たり 綿を敷き詰めたりするが、みんな死んでしまった。 親鳥の温かさを想った。 冬には家の中に開いてる所から鳥が迷い込む。 大騒ぎするが、不動にして一語も発しない父親がいた。 まあ、すべての鳥は無事に大空へ逃してやりましたが。 昔話ばかりですが、今日は歴史と変わって、わが家の歴史的断片とでもいえましょうか。 もう、最近は、亡き父母、祖母との境界が不分明でありますよ。 今夜の自作のカクテルは、満足すべきものであった。 我流も我流、カクテルなどと言えば、本職から叱られる事でありましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.01.10 20:36:17
コメント(0) | コメントを書く |