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福島西の借り上げアパートに避難してた頃、突然母が 「私、今度は男に生まれる」と言い出した。 「何で?」と問うわたしに 「何でも好いの、兎に角男に生まれる」と言い切る母。 そうか、苦労したもんね、つらかったんだろうなあって思ったわたしですが 母が死ぬまで口外しなかった重大な秘密には全く気付くこともなく 「好いんじゃない」と軽く答えた。 多分12月の頃でしたでしょうか、その年の紅白を見た記憶がありません。 母も寝てたような、、。 明けて2012年(平成24年)1月、食欲もめっきり減ってしまった母の胸水が 告げられて入院。 楽天主義の総領の甚六は、何を見て、何を考えていたのでしょうか。 弟妹に連絡したら、茨城の妹夫婦と母の孫たちがやって来ました。 日赤の母の主治医に掛け合うも妹(長女)だけに真実を告げてあるの一点張り。 弟がキレて、わたしも切れました。 強引に主治医と面談した結果、意外な真実が告げられました。 「お母さんは治療を拒否されて居るのですぐに退院してほしい。 肺腺癌の末期症状で、持って3か月の余命です」 その時のやり場のない怒りは誰にぶつければよいのだろうか。 妹は姿を現さない、寺信心にのめりこんでいて耳も貸さない。 そこで茨城へ連れて行ってホスピスで最期をみとる事にしました。 多分、母の認知力も衰えていて、事実を把握することは出来ない様子でした。 別れの日は花が咲いてからと言う予想を裏切って、移転後17日で亡くなりました。 思いがけなくも、詠まれる筈の弔事を父と母に述べたわたしですが、順番が違うので 慌てふためいていた事でありましょう。 エントロピー増大の法則とやらで、過去、未来、現在もその順番はどうでも良いとか言うのを 聞いて混乱していますが、”イマ”自体が怪しい存在ですからね~。 人間、”イマ”から解放されない限り、成長したとは言えないよなあ~。 (-.-) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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