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日記 挫けず 2020年7月23日(木曜日) どんな困難が待ち構えていても、「挫けない」この思いがあるかないかでは次なるステージが違ってきます。 だからね。頑張り過ぎなくてもいいから、「挫けない」このことだけは大切にしてください。 世見 織田信秀 2020年7月23日(木曜日) 現代人、いえ日本に於いて、婚姻時期はいったい何才くらいが一番いいのでしょうか。 織田信秀の嫡男信長と斉藤道三の娘濃姫(帰蝶)との婚約が決まったのは、信長16歳・濃姫15歳の時だったといいます。 NHK大河ドラマの『麒麟が来る』を見ていますと、信長も濃姫も16歳や15歳には見えず、現代人の15、16歳は幼く感じます。 あの時代の人々と現代人とはどこが違うのでしょうか。 信秀が三河の拠点にして来た安城城は信秀の長男信広(信長の庶兄)に守らせていたというのですが、信広はまだ20歳。 信秀が亡くなったのが3月3日の雛祭り、42歳の若さでした。 織田信秀は尾張一の実力者にのし上がったものの、病に倒れてしまったのですから、歴史物語は実に面白い。 もしも、信秀が39歳頃から体調を悪化させていなければ、歴史は大きく変わっていたかもしれません。 信秀がもっとも気掛かりだったのは三河方面。 安城城は信広が守っていてもまだ20歳。 信秀は病気をおして、三河に近い末森城に居城を移しました。 信秀が心配していた安城城は、今川軍の攻撃に耐えきれず開城してしまいます。 その後、今川軍の尾張進出を許してしまうのですから、信秀は死にきれなかったことでしょう。 信秀の葬儀は自身が建立した萬松寺で盛大に行われたといいますが、きっと無念だったことと思います。 尾張守護代の家臣に過ぎなかった織田信秀。 彼が後10年生きていたら、信長が跡を継ぐ時期も違っていたやもしれません。 信長に生まれながらの能力があったとしても、父信秀が健在だったとしたら、どの様な行動をしていたのか、ちょっぴり知りたくなります。
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Last updated
2020.07.23 00:26:28
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