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日記 良い流れ 2020年11月5日(木曜日) 気配りに、今度やろうということはありません。 気が付いた時に実行するから、気配りで救われる人もいるのです。 身内の人に気配りをする人って本当に少ないのに驚きます。 気配りは他人様だけに向けることではなく、身内にも気配りをなさると、とても良い気が流れて“幸せ”の文字が漂うことでしょう。 世見 潜伏キリシタン 2020年11月5日(木曜日) 「題名のない音楽会」が毎日、我家の朝に開催されています。 題名がないのではなく、CDなものですから、次々に曲が流れても題名を言ってくれないので、未だに曲の名前がわかりません。 クラシックを聴いているだけで、私って心が落ち着きます。 だからといって、ジッと聴いているわけではありません。 掃除をしたりお化粧をしたりと、クラシックともうひとつ何かの動作をプラスして耳を楽しませています。 今日もこうして原稿用紙に向かい、クラシックを聴きながら「何を書こうかなぁ」と考え過ごす時間のステキなこと。 ここまで書くとスイッチが入り、何となく書きたい次のテーマがやって来ます。 すると「潜伏キリシタン」こんな言葉が書きたくなりました。 フランシスコ・ザビエルのイエズス会宣教師によって、日本にキリスト教が伝来したのが1549年だったといいます。 言葉の問題もあり、どのようにして伝えられたのか興味が湧いて来ます。 日本初のキリシタン大名になったのが大村純忠。 このことがあってから24年後、豊臣秀吉が「伴天連追放令」を発布。 江戸幕府が成立後も、全国に禁教令が発布されたりもしましたが、「伴天連」この言葉をご存知の人も少なくなったと思います。伴天連ってキリスト教の神父のことだったと思います。 踏み絵が開始されたのを思い出しますと、当時の日本人が“純”だったのも感じます。 今では、長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産が世界遺産に登録され、海辺や島々に点在する集落が主な遺産になっています。潜伏キリシタンが江戸時代の禁教期をどのようにして守り抜いたのか、今、独特の宗教文化が評価されていることを、私はとても嬉しく思っています。
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Last updated
2020.11.05 00:24:05
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