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日記 先ずは 2020年11月20日(金曜日) 相手の言葉に過剰反応すると、ろくなことはありません。 喧嘩の理由のトップに、この過剰反応があると思います。 相手はつい不用意に発言したのかもしれません。 なのに、過剰反応をすると大問題に発展して、離別だぁ~なんてことになったりもします。 だからね。過剰反応をした時は、先ずご自分の心を鎮めてみてからにしては如何でしょうか。 世見 王妃“イザボー” 2020年11月20日(金曜日) 世界の女王様も人間ですもの、恋をしたことでしょうね。 恋にも色々あると思いますが、百年戦争の原因は、サリカ法典を楯に抵抗したフランスでした。 元はといえば、男子の継承者がいなかったフランスのカペー王家に横槍を入れたイングランドでしたが‥‥。 しかしながらこの戦争は、両国内の権力闘争と経済的荒廃をもたらしました。 このような背景下に於いて、ヴァロア王家のシャルル六世は、狂人の血が流れていたのか狂人になってしまいますが、妻も又、問題の多い王妃でした。 俗称イザボーは美人でしたが享楽的で、夫が狂人になると、その弟のオルレアン公に恋してしまい、二人の関係は大っぴらでした。 イザボーは、国内に於いてアルマニヤック派とブルゴーニュ派に分かれて闘争が続いている時、アルマニヤック派のオルレアン公が暗殺されると、何と敵側に寝返り、イングランドになびこうとしました。 シャルル七世は、不義の子であることを宣言して継承権を否認してしまいます。 こうしてイングランド王をフランス王に迎え入れたのですから、裏切りの王妃と言われても仕方がありません。 やがてこの後、ジャンヌ・ダルクが登場することになるのです。 俗称イザボーとは、バイエルンのインゴルシュタット公エチエンヌ二世の娘エリザベートのことで、フランス王妃のことです。 イザボーの64年の生涯は実に面白い。 我子を特に教育もせず、キャサリンは僧院で孤児同様にして成人させてもいます。 自由奔放に生きたイザボー。 女性として幸せだったのかもしれませんが、振り回される周りは大変だったことでしょう。 イザボーの生き方は、今ならテレビで騒がれるネタだと思ってしまいます。
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Last updated
2020.11.20 00:09:09
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