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カテゴリ:陸上競技
1980年前後の日本のマラソン界ではスター選手が何人もいました。
瀬古利彦選手(早稲田大~SB食品)を筆頭に,宗茂,宗猛の双子の兄弟選手(ともに旭化 成),しばらくして中山竹通選手(富士通長野~ダイエー),森下広一選手(旭化成)(いず れも当時の所属)と国際での一線級の選手が目白押しでした。 最近の男子選手はどうでしょうか。 確かに記録は出していますが,いわゆる「 強い選手に 引っ張られた記録 」「 ペースメ ーカーなどによって作られた記録 」などと呼ばれるものが多かったような気がします。 一時(2000年福岡国際)の藤田敦之選手(駒沢大~富士通),2004年のシカゴでの高 岡選手選手が日本記録を出したときは,これでいよいよ本格派が登場と騒いだものでした。 しかし,故障や年齢的なものがあり,12月2日の福岡国際では両者とも本来の力を発揮でき ませんでした。 そこで,将来の日本を背負って立つ「 新しいリーダーになるべき選手 」を探してみましょ う。 また,その条件をあげてみましょう。 1)スピードに恵まれている ---- 5,000m,10,000mが13’30”;27’ 40”を切って,トラックでも十分に外国選手と勝負できる選手。 2)20,000m,20km,ハーフマラソンのレースに対応でき,ハーフに換算して5 9’台の前半で走破できること。 3)1),2)のレースで主導権を握って勝てる力があること。 とにかく,「 勝つ味を知っていること 」というのが最も大事な要素かもしれません。 いかに高いハードルが課されているかがお分かりだと思います。 以前に当時のタイムや条件をクリアーしたのは,残念ながら瀬古,中山,森下の3選手だけで した。 瀬古選手は不運にも1980年のモスクワ五輪のボイコット,1984年のロス五輪では調整 に不備があったため,1988年のソウル五輪では故障上がり,という不運と不調な五輪の3 大会でした。 中山選手は2回とも4位でしたが,1988年のソウル五輪では思い切ったレースができませ んでした。1992年のバルセロナでは先頭グループから離れてしまいました。 森下選手だけは,10,000mから転向し,初マラソンで2.08’53”という好タイム で優勝という離れ業を演じてしまいました。 1992年のバルセロナ五輪では,マラソン3走目で韓国の黄選手との競り合いに惜しくも敗 れましたが,大健闘の銀メダルでした。 この森下選手のタイプが臨まれているのです。 スピードがあり,粘れるスタミナがあり,勝負強いの3拍子+使い減りがしていなく,マラ ソンに対して負けるという恐怖感がない選手。 こういう強い選手の条件とある面ではいえましょう。 では,いまクリアーまたはクリアーしそうな選手はというと, 松宮隆行選手( コニカミノルタ ),竹澤健介選手( 早稲田大 )の2選手に限られてくると 思います。 ではどこで見定めることができるでしょうか。 現在両選手の目標としている,松宮選手は実業団のニューイヤー駅伝( 群馬,2008年1 月1日 ),関東学生の箱根駅伝( 東京 ~ 箱根間往復 ,2008年1月2日) が注目のレ ースになります。 松宮選手がどこの区間を走るのか,最長区間( 22.0km )なら脈はありますが,そうで なかったらずっと先にマラソンの夢は遠のいてしまいます。 ここでのタイムは,上州名物の空っ風もありましょうが,無風だとすれば1.02’を切るよ うなタイムは出して欲しいものです。 竹澤選手が箱根駅伝の2区( 23.2km )を走り, 区間新かそれに近く,最初から飛ばし スレースをし,前の走者を並ぶ間もなく抜き去るようならば,大いに期待が拡がると思いま す。タイムは,1.06’をきるようなタイムが望まれます。 いずれにせよ,来季のトラックのシーズンでは5,000 m ,10,000 m で勝負勘と スピードを養って欲しいと思います。 それで,最終選考ではきっちりと1,2着で,他の選手をぶっちぎって,北京五輪ではメダル を取りに行くつもりの気概で臨んで,日本の長距離界に新しい風を吹き込んで欲しいと思いま す。そういうことが,次のマラソンに向かってのステップになると考えます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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