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カテゴリ:お墓・葬儀・戸籍
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戸籍の更正(その1から続く) ★ 小生は、漢字の専門家ではないが、 昔から使う漢字体「吉」は「キチ」であり、 「ヨシ」だと「下の長い吉」であるように思う。 ★ 高知県宿毛市出身の「吉田茂」は多分、戸籍は下が長いのだと思う。 牛丼の「吉野家」も筆書きの昔風の看板は下が長く、「キチノヤ」とは 読まないのだろう。 ★ 「吉川」、「吉良」では「キッ」または「キ」でありこれは上長、 「吉野桜」「吉田」は「ヨシ」で本来は下長ではなかろうか。 または、前者はほぼ上長であり、後者は高知では下長が主であり、 他県ではゴチャゴチャかも知れない。 ★ なぜ、そうなったかは、印刷屋が活版であれば型に流し込むので どのような文字も作れたが、パソコンになってから「統一されてしまった」 ことのように小生は思っている。 吉の文字を崩して書くときは小生でも下が短くなる。 であるから小生にしても楷書では下長で、草書では上長と奇妙な書き方を している。 ★ 今までは、高知市役所で当用漢字ないし常用漢字に沿って受付されたので 印字では「吉」になっているが、 勤めた会社や、銀行では実印、認め印が「下長」なので 自署する場合は「下長」を書くことになる。 不思議なことに実印という自分を証明する印鑑こそ、「上長」、「下長」のどちらを 使用しても構わないのである。 つまり、古来自分を表す署名(サイン=花押)は 自分の癖を筆に込めて他人に真似ができにくくする筆癖がポイントであるのだ。 このように、自己主張する氏名の表記が戸籍制度でも幅を効かせている。 だいぶん、脱線したようであるが、少なくても高知県では、「キチ」は上長の 常用漢字体、「ヨシ」は下長の今はない漢字体と思っているのが小生だ。 //////////////// 現在は、パソコンでも当たり前の文字として存在しており、 法務局、市役所、警察などが「上長」、「下長」の吉を印字できる現在、 戸籍に合わせておきたいと小生は考える。 ★ 脱線するが、大学時代の米国人・英語教師のMr.Holemanにはお世話になったが、 彼は気高い雰囲気がある先生で尊敬していた。 小生は、彼にHoly Man(=聖人) のような呼びかけをすると、笑って「いや、小生は 穴掘り男だよ」と言って、 小生の氏の「吉」を「lucky」でなく「goodness」だと言ってくれて、 さらに、小生の名をken=「Kennethつまりken(=知識の範囲)と呼んでくれた。 //////////// 彼は、キチ(=lucky)とヨシ(=goodness)を明確に識別していたのである。 //////////// 外人の方が鋭い感覚で日本が見えるのかも知れない。 ★ 土佐は、国司・紀貫之の土佐日記で知られ、「土佐日記」というと 今でも小生の机上で「ブック型」の空箱が居座る「和菓子」が美味しい。 高知県は、「こうち」というアイヌ語の「川の側の荒れ地」(広島県、大阪府の河内 も同意)を意味する言葉を「高尚な知識」をイメージする「高知」にチェンジして、 県庁所在市とし、県名も「土佐」でなく「高知」としている。 ★ 高知県西南の中村市(=現・四万十市)には京都から追放された 政治犯公家の一族が建設した碁盤状の町並みが残る。 //////// 戦国時代の長曽我部氏は四国を平定しながら信長、秀吉の前に 全国制覇を断念させられ、土佐一国に封地され、 「関ヶ原の戦い・大阪の陣」に破れる。 //////// 江戸時代には、後詰めに来た外様大名・山内氏が封建制度の中で 藩内武士に「上士:外来の支配層」、「下士:土着」の身分制度を二重に導入し、 圧政により支配を守ろうと躍起であった。 (賢女で有名な「千代」はこれを嫌い京都で息子の禅僧と暮らすほど)、 //////// 幕末には抑圧された下士のなかから坂本龍馬に代表される 志士を輩出、 続いて明治にかけて岩崎弥太郎などの財界人、自由民権運動で 有名な板垣退助(紙幣にも印刷)に繋がる。 //////// 戦後のGHQ時代には吉田茂首相などが出ている。 ★ 吉田茂氏は神奈川県大磯に住みながら、自分は「高知市」に居ると 豪語していたが、地図上でみると「神奈川県」が「四国」とそっくりであり 「大磯」は「高知市」の位置にあるからである。 実に、漫画チックな発想であるが、そのDNAは子孫代々、 受け継がれているようである。 その「吉田茂」氏が「吉」の字を認めてしまったのには驚きである。 ★ 脱線続きであるが、呆け頭だから仕方がない。 「戸籍更正」の最終回にはその「申出書」の申請を見てみる。 ★ その3に続く ★ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 6, 2014 11:46:51 AM
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