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カテゴリ:物語り
丹波の編(508年)
★ 大和の新王・男大迹王(継体天皇)は 枚方の北端・樟葉の宮に住まいながら、 催事が大和の二階堂であれば出かける日々を送っている。 大和の正妻・手白香媛には男子が誕生し、 重臣達は、嫡男の誕生によって「暫く戦がなくなった」と喜んで 賀意を表し、地方豪族達は産品を添えて祝賀の木簡を送ってくる。 大和の民達もこぞって祝賀の列に加わってくれた。 ★ 皇子誕生から3ヶ月後、 樟葉の宮では麻績娘子に女子が産まれ、 今後の王家を守る神女と期待されている。 手白香媛は麻績娘子の出産を労うために、 二階堂から樟葉の宮にゆるゆると行列を連ねた。 この時の民の喜びは凄まじく、 それだけ王統の継承を大切に思い、 「雅や風儀」という大和の伝統の継続を 喜んでいることが身に沁みて感じられた。 男大迹王は、まるで種馬のように後継を説得されたことには、 まだ、わだかまりを持っていたが、 今、二人の妻がそれぞれの子供を抱きながら、睦み合う様は 男大迹王の心からの喜びとなっていた。 ★ 男大迹王は、隼人梟師の地図を補うべく三国衆との研究を進めていたが、 その席で、新羅船が丹波・宮津に上陸したことが報告された。 ・★・ 三国の舵取り達は、交易の民達が言うように、 天星(北極星)を基準にすれば南北の位置関係は得られる、と言う。 しかし、東西の位置関係はどのように決めるか判らない。 舵取り達は、経験で航海はできるという。 男大迹王は、大和の大王であるから、地図を航海のためではなく、 国の統治のために使用したい。 方向感覚の経験でなく、是非とも地図で我が国を俯瞰する必要があるのだ。 隼人族の作成した東西の古地図に合わせるためには、木(=紀伊)の国の 加太岬を南端として、その北端を北極星の方角に求めれば丹波の何処かの海岸に 達するはずである、と三国の椿が愚直に発言する。椿に、夜行での調査命令が 下る。その地点は竹野川の河口で間人湊(丹後国竹野郡)であった。 ★ この地図の南・北端を決める調査には思わぬ副産物があった。 椿は宮津に入港する三隻の新羅船を発見したのだった。 ・★・宮津について 宮津の族長は、新羅の王族から嫁を迎えている。 その地域には倭国・百済が羅州で戦った時以来、 牟婁の海に似たところがあり大勢の海人が渡来している。 もともと、宮津の族長籠氏は、物部氏より早く新羅経由で 列島に渡来した原始倭人で、大和で言えば葛城氏と同じだが、 交易が不得意で発展できず、先住民との和合を図った結果、 後進性が著しく、丹波に鬼がいるという噂もある。 この度、大和の新王が即位したことについて、 族長籠氏は新羅に次のように報告している。 「自分の方がよほどその資格がある」と。 新羅と共謀し、樟葉の宮を新羅兵と共に襲う計画がある。 ・・・椿の命がけの情報だという。 ★ ・ ★ ・ ★ 男大迹王は、直属の騎馬隊長に訓練と待機を命じた。 情勢を更に分析する・・・ 半島で新羅は倭国(日本国と公言している)と 睨み合って、金海を囲んでいる。 新羅が列島の丹波にまで楔を打ったと認識させることで、 半島の倭国の脅威を削ぐ目論見であろう。 新羅本国には大和を攻撃するまでの緊急性を持ち合わせていないはずであり、 族長・籠氏のみが浮かれているに過ぎないのでは。 男大迹王の素早い決定は次の通りである。 1. 丹波半島を三国衆が海上封鎖する。 2. 新羅に勅使として大伴氏を派遣し、その旨を伝達する。 3. 族長籠氏を召還して、詰問し、大和の総意で大王が選ばれていることを示す。 ★・ ・★その後の丹波侵攻前の経緯 1. 新羅の反応---新羅は此の件に関し一切知らぬ。海上封鎖はご随意に、である。 2. 族長籠氏は召還に応ぜず、国内の武装集団が間近にいることの脅威を除去すべき ことが明白となった。 3. 山背の大豪族・秦氏は渡来系の殖産集団(血縁関係でなく職掌関係)で、 東国一帯に秦族を配し絹織物を生産、山背の太秦に集荷し、川から瀬戸内海を経て 大陸との交易を行っている。漢の武帝が朝鮮半島4郡を開いたときに桑の生産適地が 発見され、養蚕家が大挙して楽浪郡に移動し、楽浪繭が生産された。 楽浪郡の養蚕業者はその後の統治者に付かず諸国を彷徨い、海を渡って、 列島に移り住み、彼らの養蚕業が、先住民の繭のサナギ(*)を蛋白源として 食する風習とマッチし、秦族は急速に列島に広まっていった。 その秦氏の部落が丹波に7つあり、丹波街道に沿っては3つあり、 丹波征伐に協力してくれるという。 秦氏が途中3箇所で水と握り飯の用意をして、強行軍の進軍を容易ならしめる というのだ。 (秀吉の「備中大返し」の魁である。軍師・黒田官兵衛は知っていたかも。 トヨタの看板方式もここから? 寿司のベルトコンベア給仕方式は?) 4. この行軍を支えたのは、兵糧の流れ作業のような供給ばかりではなかった。 赤、黄色の烽火(のろし)を色だけでなく、数を組み合わせて攻撃目標を知らせる 工夫を騎馬隊長と打ち合わせたことである。 5.丹波討伐は見事に成功した。男大迹王は列島北の地図にも隼人梟師の烽火による確認の 同時性を適用し完成させた。 ★ 地図には、倭国の勢力圏(出雲~五島)が未だ白紙である。 「和子のためにも倭国を討たねばならない」と男大迹王は胸に刻んだ。 ★・★・★・脱線です・★・★・★ (*)土佐の田舎の子供の頃の話。 このサナギをお酒に浸して一升瓶で保存して、 鯉や、鮒などの川魚の釣り餌などに利用したことがある。 もちろん、屋根瓦の隙間などから蜂の(巣の)子を探して、 鮠などを釣る餌としたのであるが・・・絶大な釣果があった! 親蜂に追いかけられたり、屋根瓦を壊して怒られた思い出と共に。 ・・・ ついでだが、小生の家の紋付きには、 矢羽根を交差させた家紋が付いている。 全く関係はないと思うが、こじつければ矢羽→矢→弓→月に関係し、 渡来した倭人の血・DNAがわずかでも入っているのだろう。 秘密にしても仕方がない。 ------- 人類は、現在は国境問題で啀み合っているが、 気候変動などで、生活適地を求めて 世界を彷徨っていたのであり、 マヤ文明などはそれを物語っている。 キリスト教文明が世界征服のために アステカ文明を地上から抹殺しようとしたように、 「すべてが勝利者の歴史で飾る試み」は 地道な歴史・地学などの学者の努力によって 次々と覆されている。 世界遺産を見て、自分が征服者であったかの感覚でなく、 人類の芸術感覚の素晴らしさ、とともに、 それを実現させた「裏方」が99.99%の貢献をなしたことを 噛みしめたい。 「歴史認識」を政治的な自分の身分保障に使用することは このことをみても人類愛からかけ離れた行為だろう。 かくいう小生は映画を見ても、まるで「主人公」のような気分になる 呆け男である。映画監督の思うようになる、 その呆けが言っても仕方がないが・・・ (呆けの写経は続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 29, 2020 06:46:39 PM
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