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カテゴリ:自然の脅威、驚異etc.
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「ブラタモリ」では富士山の「樹海の神秘」が続いている。 /// ・・・ここら辺は、「ブラタモリ」から離れる。 富士山は、本来はプレートの上にあり、島であった伊豆半島が、 地球の東方回転運動のため日本列島に衝突して その衝撃で地表から溶岩が噴火したものであろう。 この意味では、インド亜大陸がユーラシア大陸に激突して ヒマラヤ山脈ができたのと、大きさは異なるが似ていよう。 /// ・・・「ブラタモリ」へ戻る。 青木ヶ原樹海は、頂上からの噴火ではなくて、中腹からの縦長の噴火列で造られている。 筒状になった溶岩の袋が下流に流れ出し、固まる直前に中身が下流に次々と 押し出された結果、中空の筒状の複雑なトンネル(総延長5.7kmなど)が生み出され、 溶岩で覆われた地面に樹海が広がったものである。 ★ この溶岩の塊は気泡が多い(「採石バラスのような塊=「アワ」と呼んだ」)が、 中には気泡の少ない部位?(「ロース」と呼ばれる「溶岩プレート」は適当に油を吸い込み、 肉の焼き具合も抜群に柔らかい石版・・・遠赤外線を発する「溶岩焼き」)もある。 <河口湖:みはらし亭のメニュ「溶岩焼きステーキ」税別3,500円> 富士スバルラインはこのうち砕石バラスのようなものが多い溶岩を採掘し、 道路敷き面に利用された。 (鳴沢村まで達した溶岩の底地を抉り自重で倒壊した溶岩塊を採石できた)。 このスバルラインの完成で一般人が自由に5合目まで到達でき、外国人を含めた 富士山観光は著しく進展した 現在は富士山が世界遺産となったので「採石」はできない。 ★ 青木ヶ原樹海が日本を支えてきたのは・・・ それは、日本の輸出産業を支えたことにある。 樹海の下の溶岩トンネルの長さは200m以上有り、 「富士風穴」などがたくさん見られる。 この風穴は外気気温が20℃のときに8℃~0℃と深さによって変わってくる。 深さによって0℃の低温が保たれているのである。 この氷穴が、明治から大正に掛けて日本の輸出産業に多大な貢献をしていた。 絹産業では、富岡製糸場が世界遺産に指定されたがその「裏方さん」が「風穴」 である。 蚕を年中、成長させて繭から生糸を取り出すことができたのは、 蚕種を維持保存できた風穴のお陰である。 /// 女工哀史という人力だけでは絹産業は語れないのである。 /// 同地域に隣接した荒船風穴もさることながら、 絹産業の根幹をなす養蚕業の要の蚕の成長循環を人工的に生み出すことができたのは、 電気冷蔵庫のなかった時代には、全国にあった「零度近い定温倉庫替わりの風穴」による。 <蚕の短い成長サイクル> <富岡製糸場関連資料から> 全国にある風穴が利用されたが、特段であったのは、 富士山の風穴の利用(蚕の卵の保存)で実に、大規模なものであった。 このことから、「青木ヶ原樹海(=風穴)」が日本経済の「養蚕業」 →明治時代からの「絹産業」の輸出貢献の一翼を担ったと言っても良い。 ★ 古来から涼を得るために風穴、氷穴の氷を夏場に高貴な場所に運んだことも あった。 加賀藩などは加賀から江戸城まで、夜を選んで、氷を運んだという。 /// 「ブラタモリ」から離れる・・・ 今から1千年ほど前に、清少納言は 氷室(山腹に掘った、池などから集めた天然氷の貯蔵所)の氷を利用した、 かき氷について次のように記述している。 「あてなるもの。 (中略) 削り氷にあまづら入れて、 新しき金まりに入れたる。 水晶の数珠。藤の花。梅の花に雪の降りかかりたる。」 かき氷を平安の貴族も楽しんでいたようだ。 <「キリン」のホームページから> /// 呆けの小生は不思議な感慨にふける・・・ 土民であったかもしれない呆け老人の先祖を思わず、 「枕草子」を読んで、自分も「貴族のような気分」で居られるのも、 「枕草子」が日本人の心の故郷であることの証明であり、 他方で、平成の平和呆け(=アベノミックス)に慣れた 「有り難さ」かも知れない。 ・ 「アベノミックス」には、なんでも自分の都合の良いように 解釈(=ミックス)させるだけの言葉の魔術が潜んでいるようだから。 なんせ、「スーパー・マリオ」にまで扮装する劇場版政治を演出している。 国民は今は脱帽である。 シナリオには必ずあるが、どんでん返しがないことを祈りながら・・・ ★ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 24, 2016 12:05:06 PM
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