先史時代 | 40万年前に現れ、2万数千年前に絶滅したネアンデルタール人の
ムスティエ岩陰遺跡群などが壁画のない洞窟として
先史的景観・装飾洞窟群として世界遺産に登録されている。
2万年前の後期石器時代のクロマニヨン人が描いたラスコー洞窟壁画
(同時代のスペインのアルタミラ洞窟壁画と並ぶ)
BC5000~BC3000~BC2000頃に造られた巨石の列石遺構が
総延長約4kmに亘って数列に並んでいる「メネク列石、
ケルマリオ列石、ケルレスカン列石の主要3群」が
ブルターニュ地方に存在する。
巨大なメンヒル(*)の大きさは現存で50cm~最大6m、
かつては20m超の物が存在したという。
(*)ヨーロッパ先史時代に立てられた、単一で直立した
巨石記念物( モノリスまたはメガリス)。
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鉄器時代 | フランスに相当する地域(=ガリアまたはゴール)にはガリア人、
ケルト人が居住 |
BC51~AD480 | ローマ帝国が制圧
AD395年にローマ帝国皇帝テオドシウス1世の死去で二人の息子に
遺領が分割されたのが、西ローマ帝国の始まりとされる。
<西ローマ帝国395年頃の領域>
<東ローマ帝国:476年の西ローマ帝国滅亡時の版図>
<400~440年のフランク人領土>
西ローマ帝国の滅亡年は476年のロムルス・アウグストゥルスの
退位(*)というのが一般的な説だが、
480年のフラウィウス・ユリウス・ネポス帝の暗殺時の説もある。
(*)西ローマ帝国の傭兵隊長を経てローマ帝国のイタリア領主と
なったオドワカルにより廃位させられた。
オドワカルは(東)ローマ帝国皇帝ゼノンに
西ローマ皇帝帝冠および紫衣を返還し、自分は、ローマ貴族と
イタリア領主の称号を得た。
その後、
オドワカルはゼノンと対立して、ゼノンの命で差し向けられた
東ゴート王国のテオドリック王に493年、降伏し、殺害され、
497年イタリアに東ゴート王国が成立した(553年滅亡)。 |
481~887年
ヴェルダン条約
で
西フランク王国
が
成立した843年
8月10日を
「フランスの
建国」とする | ゲルマン系フランク人が、
ガロ・ローマ人への攻撃と移住を開始した。
現在のフランス・イタリア北部・ドイツ西部・オランダ・ベルギー・
ルクセンブルク・スイス・オーストリア及びスロベニアに相当する
地域を支配し、イベリア半島とイタリア半島南部、
ブリテン諸島を除く西ヨーロッパのほぼ全域に勢力を及ぼした。
フランク王国建国(メロヴィング朝481~751年)
<481~511年クロヴィス1世領土変遷>
クロヴィス1世の征服地・・・Conquests of Clovis
(サリー・フランク人:ライン川下流域を勢力に持ち、オランダ、
ベルギーにも移住。
西ゴート戦からの凱旋時に、東ローマ皇帝アナスタシウス1世=
唯一のローマ皇帝から、
西ローマのコンスルとしての任命状が届けられた。
クロヴィス1世は自身にコンスルを正式な称号としなかったが、
ローマ系市民にはアピールとなった。)
ブルグント王国・・・Kingdom of the Burgundians
(ヴォルムス周辺:娘はコロヴィス1世に嫁ぐ)
ライン・フランク人 ・・・Ripuarian Franks
(ケルンを中心に、ニーダーライン~マインツ~モーゼル川流域を支配)
テューリンゲン族王国 ・・・Kigdom of the Thuringians
(491年にクロヴィス1世に服従)
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西ゴート王国・・・Visigothic Kingdom (トゥールーズ中心、ガリア南部+イベリア半島:507年にアラリック2世は ライン・フランク人とブルグント族を支援に付けたクロヴィス1世に
ヴィエの戦いで敗れ、戦死。ガリアからイベリヤ半島に撤退。)
東ゴート王国・・・Ostrogothic Kingdom
(東ローマ帝国ゼノンにイタリア支配を承認されている)
ガリア北西部・・・サクソン人が海上から移住
ブルターニュ半島・・・ケルト系ブルトン人が移住
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カロリング朝初代・ピピン3世751~768年
<フランク王国ピピン3世逝去768年でカール1世、カールマン1世に分割>
分割の直後の771年にカールマン1世の早世で
カール1世が単独の王となる。
カール1世(フランク・ローマ皇帝)768~814年
<カール大帝の戴冠800年>
<フランク王国シャルルマーニュの814年版図>
ルートヴィヒ1世(敬虔王、ルイ1世とも)の死後の
843年、ヴェルダン条約が結ばれ、
フランク王国は東・中・西の3王国に分割された。
その後、一時的な統一がなされたものの、
西フランクはフランス王国の、
東フランクは神聖ローマ帝国の母体となり、
中フランクは北部領土喪失の後、
イタリア王国を形成した。
カール3世(肥満王、最後のフランク王・ローマ皇帝)884~887年
<名目的かつ1時的なカール3世の版図>
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887~987年 | 東フランクではカロリング家の支配が維持された。
→神聖ローマ帝国
西フランクではノルマン人侵入を撃退したロベール家
パリ伯ウードが888年王に推戴された。
イタリアでは女系のカロリング家の血縁関係の
フリウーリ公ベレンガーリオ1世(ベレンガル1世)が
トリエントでイタリア王に選出された。
西フランクで正当な王=カロリング家の模索が続き、
ウードの後はシャルル3世(単独王)となった。
987年ユーグ・カペーが即位するまで模索が続いた。 フランス王国(カペー朝成立)の建国
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1337~1453年 | 百年戦争での勝利
::仏ルネッサンス=15C~17C初頭:: |
1589~1830 | ブルボン王朝(1792~1814は中断) |
1787年 | ブルボン王朝に対する貴族の反乱は、1789年から
全社会層を巻き込むフランス革命となり、
絶対王政→立憲王政
→1792.8.10第一共和政
Première République française
1793年ルイ16世&王妃処刑される→
1794年全面的奴隷廃止
→ナポレオン・ボナパルトがクーデターで
1799年統領政府樹立 |
1804年 | ナポレオン法典と皇帝ナポレオンで
「フランス帝国」成立。
翌年の三帝会戦(仏VS墺露)の勝利で
1806年凱旋門建設。
ナポレオンは露、英、スエーデン、オスマン帝国以外の
欧州を制圧。
(神聖ローマ帝国では、皇帝フランツ2世は退位し、
オーストリア皇帝のみとなって消滅した。)
ロシア遠征1812年失敗~1814年パリ陥落で、
ナポレオン退位。 |
1814年 | 王政復古ブルボン朝ルイ18世 |
1815年 | ナポレオンの百日天下 |
1815年~ | 王制再復古、1830年七月革命でブルボン朝断絶、
立憲君主制のオルレアン朝成立 |
1848~1849年 | 七月王政が1848年2月の革命で廃止され、
1848年憲法の制定とともに
第二共和政Deuxième République
に移行した。 11月に大統領選挙が行われ、
ルイ=ナポレオン・ボナパルトが
大統領に選出された。 |
1852 | ルイ=ナポレオン・ボナパルト第二帝政 |
1870年 | フランス第三共和政
Troisième République
~1940年ナチスドイツのフランス侵攻 |
1940~1944年 | 第二次世界大戦中のフランス政権ヴィシー体制
国名「フランス国 État français」
首相=ペタン元帥1940~42年:
ピエール・ラヴァル1942~44年
首都はヴィシー(中部) |
1946.10~
1958.10 | フランス第四共和政
Quatrième République |
1958.10~ | フランス第五共和政
Cinquième République
立法権(国民議会)の権限の縮小と
大統領執行権の強化
行政・官僚機構の強化 Charles de Gaulle (任期1959.1~1969.4) |
歴代
大統領名 | 第五共和政以降:任期 |
Charles
de Gaulle | 1959.1.8~1969.4.28 |
臨時代行
Alain
Poher | 1969.4.28~1969.6.20 |
Georges
Pompidou | 1969.6.20~1974.4.2 |
臨時代行
Alain
Poher | 1974.4.2~1974.5.27 |
Valéry
Giscard
d'Estaing | 1974.5.27~1981.5.21 |
François
Mitterrand | 1981.5.21~1995.5.17 |
Jacques
Chirac | 1995.5.17~2007.5.16 |
Nicolas
Sarkozy | 2007.5.16~2012.5.15 |
François
Hollande | 2012.5.15~2017.5.14 |
Emmanuel
Macron | 2017.5.14~ |