☆
先住民出身の反米主義大統領が、
「炭化水素資源」の国有化などを行ってきたが、
昨年11月に4選目の選挙で勝利はしたものの
選挙違反操作で退陣に追い込まれている。
国外逃亡を余儀なくされ
現在は右派のアニュス暫定大統領体制である。
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/93307211c37af42907b594bf81b1c400b5831067.00.2.9.2.jpeg)
<日本経済新聞から>
前大統領は亡命先をアルゼンチンに替えて、
今年5月の大統領選に臨もうとしている。
どのような国だったか、
DATAが古くなったので見直したい。
☆
チチカカ湖やウユニ塩湖は
雄大であり、
ユニクロCMで知られている。 国土は、
隣接国との戦闘により、
独立時に比較して46%に縮小し、
(海への出口までも割譲せざるをえず、)
海のない内陸国となった。
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/196150e78cc23880447f56c0b7569c66b9cf9ef4.00.2.9.2.jpeg)
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/c4da88a53a107255bd7bba5ca466bacda6d446fa.00.2.9.2.jpeg)
<WIKIPEDIAから>
高山病に罹る人も多く、
「コカ茶」が緩和剤として良いというが、
日本、アメリカなどでは「コカ茶」は
麻薬の一種として扱われる。
首都ラパス市から北東のユンガス地方へ
向かう切り立ったアンデスの断崖絶壁の
80km山道(バス1台の幅)を
通過する必要がある。
雨や霧の多い気候で、
その「デス・ロード」は
毎年200人以上の命を飲み込んでいる。
日本からの移民は
1899年にペルー移民が
アンデス山脈を越えて、再移住したことに始まり、
戦後の移住計画でオキナワ、
サンファンの移住地が開拓されている。
詳しくは、日本ボリビア協会の
ホームページなどをご覧下さい。
ボリビア多民族国
略史
<資料出所:外務省、WIKIPEDIA>
Rev.Jan ,2020
年月 | 略史 <在ボリビア日本国大使館資料など> |
独立以前 | 高原地帯には、約3千年前からティワナク文明 が現れ、紀元後9~11世紀にかけティティカカ
湖畔から中央アンデス全域に拡大。
13世紀にはケチュア族のインカ帝国が成立し、
現在のボリビア(当時はコジャスと呼ばれた)も
その支配下となる。 他方の、東部アマゾン低地では、半定住様式の
アラワク、トゥビ・グァラニー、チキートなど部族や多数の
狩猟・採集民族が独自の生活を送っていた。 1533年にインカ帝国の滅亡後、当国領域
は征服者に与えられた「ヌエバトレド」という
漠然とした地域となったが、ペルー副王領の
管轄地で「アルトペルー」と呼ばれ、1559年に
現スクレ市に「行政兼司法府」が設置され
長官は或る程度の独立権を行使できた。 高原地帯の先住民は、スペイン王室の重商
主義・統治により、鉱山(ミタ制による労働
徴発)・農園(土地の収奪)の労働力となり、
1545年に発見されたポトシ銀山は1650年頃
人口16万人の新大陸最大都市となり、その
発展は西欧の経済改革革命の引き金となった。
過酷な労働条件の鉱山就労、西欧起源の疫病
で人口は激減した。 東部の低地では、イエズス会布教活動で定住
化が行われ植民地経済の一角を形成したが、
1767年の同会追放以降は発展から取り残さ
れた。 アルトペルーは1776年にペルー副王領からラプラタ
副王領に転入されたが、スペイン人でも「現地
生まれ」が小数の「本国生まれ」の支配に
反対して1809年に独立運動を起こした。 |
1825年 | スペインより独立。 最終的にアルトペルーを解放したのは、ベネズエラ、
コロンビア、ペルーを相次いで独立させた
シモン・ボリーバル (Simon Bolivar)の軍隊と、
この軍隊を率いたスクレ将軍 (Sucre)である。
1824年にアヤクチョの戦いで副王軍が敗れペルー
が完全に解放されると、翌25年にスクレ将軍
がアルトペルーを解放し、現スクレ市で独立宣言した。
新生国家は解放者・ボリーバルにちなみ
「ボリビア」と名付けられ、同人の起草した
憲法が採択され、スクレ将軍が終身大統領に選
ばれた。
27年の内乱でスクレは国外追放となり、後継者・
サンタクルス将軍が国内秩序を確立。独立当初の
模索の「ボリビア・ペルー連合」はチリの干渉
で崩壊している。 |
1879
~1883年 | チリとの太平洋戦争(硝石戦争) 当時国内のチリ企業の鉱業権の税率を、
財政難とペルー政府の要請もあり一方的に
引き上げ、チリ企業が増税を拒否すると
鉱山を接収した。
チリは、ペルー、ボリビアに宣戦布告し、
4年間の戦争で敗北、1904年の講和条約
で海岸領土を割譲し、内陸国となる。
敗戦の責任は、政治に介入する軍人指導者
に帰せられ、軍の非政治化、鉱業ブルジョアの
支持する政党政治が定着。 |
1899
~1903年 | ブラジルとのアクレ紛争 ゴム産地の北東部・アクレ地方のブラジル人
農民が反乱し、地方の独立宣言となり、
両国が紛争に巻き込まれて1903年
ペトロポリス条約でアクレ地方をブラジルに割譲。 |
1932
~1935年 | パラグアイとのチャコ戦争 その後20年以上、文民政治で安定したか
に見えたが、錫に依存した産業構造は、錫
の国際価格の下落で輸出が停滞し、恐慌と
なる。
この国家的危機を国境紛争なる対外問題に
置き換えようとしたものだが、ナショナリズム
高揚どころか、6万人以上の死者と、
チャコ地方喪失の痛手、経済不況、
インフレによる鉱山労働者、農民、都市の中間層
への圧迫を負った。 |
1952年 4月9日 | 「ボリビア革命」 チャコ戦争に参加した青年将校達の間には、
敗戦は指導者の無能と腐敗がもたらした
との意識が広がっていった。
軍事社会主義時代に入ると、米系石油会社
国有化、ボリビア石油公社の設立、労働省の
設置・労働条件改善が図られ、革命母体・
民族革命運動党(MNR)が創設された。
鉱山労働者が労働条件改善要求で立ち上
がると、政府は武力弾圧(カタビ鉱山虐殺:
1942年)、MNRと結んだ軍の民族主義
グループがクーデターで政権を握った。
総選挙でMNRが有効票のほぼ半数を獲得
するも、軍事政権が認めなかったため、
MNRは警察、武装鉱山労働者を味方に
クーデターを起こして臨時政府を樹立、パスが
亡命先から帰国して大統領に就任した。
鉱山国有化、農地改革、文盲への選挙権付
与を含む普通選挙法の施行、旧軍隊の解体
等社会の根底を揺さぶる諸改革を実現した。
しかし、この革命は、官僚的非効率、労働
運動に伴う生産性低下、農業では小規模化
による生産性低下、などの弊害を生み出し、
国際収支悪化、天文学的インフレを生み出した。
MNR政権は社会主義政策の修正を余儀なく
され、外資導入、労働者権利制限などで保
守化し、MNR政権からの離反、内部分裂が
発生する。 |
1964
~1982年 | 軍事政権 レネ・バリエントス・オルトゥーニョ
空軍司令官のクーデターが起こる。
米国の「進歩のための同盟」の良き協力
者として同国の軍事援助を得、左翼ゲリラ
活動の徹底取り締まりで、革命家・チェ・
ゲバラを処刑、親米路線をとる。
しかし、自身は謎のヘリ事故で死亡。 その後のクーデターで成立したオバンド、
トーレス両軍事政権は、ガルフ石油の接収で、
保守化していた中間層の反発を招き、
バンセル保守軍事政権に奪取された。 バンセル政権は外資優遇に基づく開発戦略と
反共・親米政策をとり、鉱物価格の安定に
支えられて7年続くも、独裁色が国際的な
非難を浴びた。 その後も何回かクーデターが繰り返された。
強圧政治、コカイン輸出で内外から強い非難を
受け、経済状況の悪化、労働組合の圧力によ
り軍部から文民政治に移った。 |
1982
~1985年 | シーレス・スアソ大統領(民政移管) 民主人民連合(UPD) ラテン・アメリカ史上未曾有のハイパーインフレーション
(1985年には年率約2万%)を招いた |
1985
~1989年 | パス・エステンソロ大統領
(21年ブリ、4回目) 民族革命運動党 (MNR)党首 国営企業合理化などで国家財政健全化、
輸出入、外貨取引の自由化などの
「新自由主義経済政策」で抜本的経済改
革を行ない、労働攻勢には戒厳令施行で
鎮静化、中南米諸国で最も低い水準
(20%以下)に抑えることに成功、
2年連続のプラス成長を達成。 |
1989
~1993年 | パス・サモラ大統領 UPDの流れを汲む左派革命運動党
(MIR)が、中道右派の民族民主行動党
(ADN)と連合 基本的に前政権の自由主義経済路線を
踏襲、経済安定の中での民主化定着に尽力 |
1993
~1997年 | サンチェス・デ・ロサダ大統領 民族革命運動党 (MNR)は、左翼系MBL
(ボリビア自由運動党)と新興のポピュリスト
政党UCS(連帯市民連合、94年9月政権離脱)
を招き、8月6日政権連立。 世銀、IMFの勧告に従い経済の構造調整を
図る路線を踏襲。
先住民を含めた「大衆参加政策」も推進し、
6大国営企業の民営化に意欲的に取り組み。 |
1997
~2001年 | バンセル大統領 (元大統領) 民族民主行動党(ADN)が勝利し、8月、
左派革命運動党(MIR)、連帯市民連合(UCS)
及び愛国良心党(CONDEPA)
(但し愛国良心党は98年8月連立を離脱)と
政権連立。 |
2001年~2002年 | キロガ大統領 前大統領が病気で退任したため、
副大統領が就任 |
2002年8月~2003年10月 | サンチェス・デ・ロサダ大統領 民族革命運動党 (MNR) 貧困問題の悪化を背景に、対米天然ガス
輸出計画に対する先住民団体の大規模・
反政府運動への軍鎮圧で70名を越す
死者を出して退陣。 |
2003年10月~2005年6月 | メサ大統領 ジャーナリスト出身。前大統領退陣により、
副大統領から就任。
西部住民(貧困)と東部住民(裕福)との
対立から国内道路封鎖抗議活動が過激化し
退陣。 |
2005年6月~2006年1月 | ロドリゲス大統領 前大統領が続いて退陣したため、憲法上
第3位の継承権を持つ最高裁長官として就任。 |
2006年1月~2009年12月 | モラレス大統領 第一期 社会主義運動党(MAS)。 左派先住民指導者で、貧富是正、先住民の
権利拡大を掲げ、新憲法制定を目指す。
米国主導の麻薬撲滅、急速な経済自由化に反
対し、炭化水素資源の国家管理の強化を打ち
だす。
2009年1月の国民投票で、先住民の権利拡大、
地方分権推進、農地改革・土地所有制限、
天然資源の国家による所有等を定めた新憲法
が61.43%の支持を得て、2月に発布された。 |
2010年1月~ | モラレス大統領 第二期(任期5年) 就任時の支持率は64.2%であったが、
ガソリン値上げ(80%)、国立公園縦断
道路建設反対デモへの警察の暴力介入、
政党の候補リスト作製問題で反発を招き
30~35%の支持率に落ち込んでいる。 対米関係、地域統合等に関し路線変更
傾向(FTAAへの消極的対応、ベネズエラや
キューバへの接近)が見られるほか、新たな
パートナー(イラン、中国、ロシア等)との関係構築
を模索している。
チリとの間では、「海への出口」問題を巡り、
国際裁判所への提訴意向を表明したことで
外交関係はない(領事関係のみ)。 |
2014~
2017年 |
モラレス大統領 第三期(任期5年)
10月29日モラレスが大統領選で3度目の当選、
2015年1月第3期モラレス政権が発足2016年2月,モラレス大統領の再々選を可能
とするための憲法改正の是非を問う国民投票
が実施され,僅差で否決された。
2017年9月,MAS党は憲法裁判所に対し,
大統領,副大統領,国会議員,県知事等の
再選禁止に係る憲法及び選挙法の条項は
米州人権条約に違反するとして違憲であると
申立て,同年11月,最高裁判所は違憲申立て
を認める判決を下し,大統領職ほかの無期限
再選が可能となった。 |
2019年 | 10月20日モラレスは大統領選で4度目の当選
を果たすも、開票結果の不正操作疑惑が浮上
して抗議活動から混乱し、国軍、警察などか
らの辞職勧告で11月10日大統領を辞職、
12日にメキシコへ亡命。
憲法裁判所は
ヘアニス・アニェス上院副議長を暫定大統領
に指名。
米国、ブラジル、コロンビア、エクアドルも
承認した。
ボリビア政府がメキシコ大使館監視を強めた
ために両国間の関係は悪化、メキシコは
ウイーン条約違反と非難。
ボリビア政府の動向は「メキシコ亡命のため
にモラレス氏の側近が潜んでいたメキシコ
大使公邸をスペイン外交官が
訪ねたのは、モラレス氏がスペインの急進派
ポデモスに資金提供しており、当該側近を救
うための訪問であった」との憶測もある。
ボリビアとスペイン両国はお互いに外交官
の国外退去を求めており、EUも深い懸念を
示した。 |
2020年 | モラレス氏は亡命先をメキシコから
アルゼンチンに移し、暫定政府の行為
は国際法を侮辱したものであるとし
5月3日の次期代表選に向けて自派の候補者
を選考中という。
<ボリビア暫定政府が、メキシコ、
スペインとの対立を深めていることが、
後者の「左派政権」への対抗措置とも
受け止められる。> |
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基本事情
資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など
国名 | ボリビア多民族国 国土を解放してくれた二人の将軍
に肖り、「シモン・ボリバル将軍」
を国名に、
「アントニオ・ホセ・デ・スクレ
将軍」を首都に命名した。 2009年3月に「共和国」から
「多民族国」に変更 |
幸福度
(エイドリアン・
ホワイト氏) | 117位 |
通貨 | ボリビアーノス 1米ドル=6.86ボリビアーノス
(2019年8月) |
国花 | カントゥータはボリビアの国花。
低地に咲く花で、花弁は赤、花弁の
付け根は黄、茎は緑でボリビア
国旗と同じ色。 <ペルーと同じ国花> |
国旗 | 「国旗は水平方向に 3 つに分けら
れた帯をなし、その幅は等しく、
色は一番上が赤、中央は金、
一番下が緑とする。」 赤、黄、緑の三色旗で、中心にあ
る紋章のコンドルは希望を象徴。
赤は独立戦争で流れた血、黄は豊か
な鉱物資源、緑は森林資源を表す。 |
国の標語 | Morir antes que esclavos vivir
(スペイン語: 奴隷として生きる
より死ぬこと) |
面積:平方キロ | 1,100、000平方km (1,098,581平方km
在ボリビア 日本大使館) 日本の約3倍 |
国の位置と特色 | 国の面積はアメリカ大陸では8番目に、
世界的には27番目に大きい国である。
かつてはより広大な国土面積を有し
ていたが、周辺国との戦争に負け続け
たために現在では最大時の半分ほど。 北と東をブラジル、南をアルゼンチン、
南東をパラグアイ、南西をチリ、
北西をペルーに囲まれた内陸国である。 ラテンアメリカでも最も開発が低い
水準にある国の一つで、かつて
「黄金の玉座に座る乞食」と形容さ
れたほど豊かな天然資源を持つが貧し
い国であり、現在もその構図は変わっ
ていない。 独立前はアルト・ペルー(上ペルー、
高地ペルー)と呼ばれていたが、
独立に際してラテンアメリカの解放者
として知られるシモン・ボリバル将軍
と、アントニオ・ホセ・デ・スクレ将
軍に解放されたことを称えて、国名を
ボリビア、首都名をスクレ
(旧チャルカス)と定めた。 |
失った国土は旧国土の半分強 独立時:
237万平方キロ 現在:
109.9万平方キロ | ▼1884年 チリとのバルパライソ条約
で銅と硝石の鉱山が豊富な太平洋岸の
領土(リトラル県)を割譲し、
海への出口を持たない内陸国になる
(正式には1904年)。 ▼1903年 アクレ紛争に結果的に敗北
し、ゴムの一大生産地だったアクレ
県をブラジルに割譲。 ▼1938年 チャコ戦争が正式に終結。
ブエノスアイレス講和条約により
チャコ地方がパラグアイの領土となる |
国土の地理分類 | 1.「チチカカ湖およびアンデス山脈
地域」29% 標高3千m以上の年中寒冷気候。
「高原地帯=アルティプラノ」という。 チチカカ湖8,686平方km、ポーポ湖
2,700平方kmの巨大湖や
巨大な塩湖ウユニが広がる。 首都ラパスはチチカカ湖近くにある。 2.「北東から東側のアマゾン熱帯
地域」62% 「東部平原地帯=リャノ」という。
北方はアマゾン水系、
南方はラプラタ水系に属している。 3.「中間地帯」9% 「渓谷地帯=バジェ」という。
スクレ、コチャバンなどの盆地
がある。 温暖な果樹栽培適地。コカの
栽培盛ん。
コカ茶として現地では飲用され
るが、米国、日本などではコカ
インとして抽出可能なので、
麻薬取り締まり対象である。
現地では、日常のお茶で、
高山病緩和、鉱山労働の重労働
緩和などにも効果あるとされる。 |
人口 | 1,135万人(2018年 世銀) |
人口密度 | 10人 |
首都 | ラパス
(憲法上の首都はスクレ、
1899年の「連邦革命」) 市域人口:88万人(2008年) 標高:3,600m強で
「雲の上の町」 東京からの大気圏距離:
16,548km 時差:JST-13時間 サマータイムなし <ラパスとスクレ間417km> |
民族 | 先住民41%,非先住民59% |
言語 | スペイン語及びケチュア語,
アイマラ語を中心に
先住民言語36言語 |
宗教 | 国民の大多数(95%以上)は
カトリック教徒 |
政体 | 立憲共和制 |
元首 | ジェアニネ・アニェス・チャベス
暫定大統領
(H.E. Mrs. Jeanine Áñez
Chávez) |
議会 | 二院制(上院36名、下院130名) |
政権 | (1)副大統領 未就任 (2)首相 なし (3)外相 カレン・ロンガリク・
ロドリゲス
(H.E. Mrs. Karen Longaric
Rodríguez) |
軍事
(ミリタリー
バランス
2019) | (1)予算 約3億150万ドル (2)兵役 徴兵制 (3)兵力 35,000人 |
主要産業 | 天然ガス,鉱業(亜鉛,銀,鉛,錫),
農業
(大豆,砂糖,トウモロコシ) |
GDP | 407億米ドル(2018年IMF) |
一人当たりGDP | 3,622米ドル(2018年IMF) |
GDP成長率 | 4.0%(2018年IMF) |
物価上昇率 | 3.5%(2018年IMF) |
失業率 | 4.0%(2018年IMF) |
貿易額:輸出A | 90.60億米ドル
(2018年国家統計局) |
同 :輸入B | 99.95億米ドル
(2018年国家統計局) |
貿易品目:輸出 | 天然ガス,亜鉛,金(地金),
大豆,銀 |
同 :輸入 | 工業用品,機械,自動車・
自動車部品,燃料・潤滑油 |
貿易相手国:
輸出 | ブラジル,アルゼンチン,インド,
日本,韓国, 米,コロンビア,
中国 |
同 :
輸入 | 中国,ブラジル,アルゼンチン,
ペルー,米,チリ,日本,スペイン |
対日輸出
| 158億円
(2018年,日本財務省貿易統計) |
内訳 | 亜鉛,銀,コーヒー,砂糖,木材等 |
対日輸入 | 438億円 |
内訳 | 自動車・自動車部品,機械,
工業用品等 |
直接投資受入額 | なし
(日本から2018年)
|
在留邦人数 | 2,991人(2018年)
(外務省「在留邦人数調査統計」) |
日系人 | 約1万人(推定) |
主要援助国DAC 2016年 | (1)ドイツ(3,469万米ドル)
(2)スイス(3,038万米ドル)
(3)デンマーク(2,343万米ドル)
(4)スウェーデン(2,214万米ドル)
(5)ベルギー(2,076万米ドル) |
日本の経済援助 2010年度まで | (1)有償資金協力 1,110.06億円
(E/Nベース) (2)無償資金協力 916.19億円
(E/Nベース) (3)技術協力実績 735.11億円
(JICA実績ベース) |
世界遺産 | 概略(WEB情報より) |
ポトシ市街 | 16世紀に設置され、人口も一時
は20万人を数えた。
労働力としてアフリカ人奴隷も連
れてこられている。
スペイン統治時代に金・銀を多く
産出する鉱山が開発され、45千
トンの銀などを産出したが、
19世紀にはすっかり枯渇。
標高4千mの人が住む町では世界
最高地点。 市域人口:16万人(2007年) |
チキトスのイエズス会
伝導所群 | チキトスに残る6つの伝道所。
スイス人のイエズス会宣教師マルティン・シュミット
は、建築家でもあり音楽家でも
あった人物で、「混血の」バロック
様式で建てられた伝道所の大変美し
い聖堂群は、彼に多くを負っている。
「金メッキを施されたもの」)と
呼ばれる金色のまばゆい祭壇もある。
壁面の絵画もこれまた素晴らしい
ものである。 |
古都スクレ | 最高裁判所があるだけで、
その他の国家機関はほぼラパスに
集まっている。
今も16世紀に建造されて以来蓄積
されてきたコロニアル様式の古い
町並みが残っている。
白く美しい建物が多いため、
「白の街」と呼ばれることもある。 |
サマイパタの砦 | 砦と呼ばれるが、実際には軍事
拠点ではなく、コロンブス到達
以前の宗教的な遺跡である。
おそらくはインカ人たちによって
建てられた。
この遺跡は空飛ぶ円盤の発着施設
跡と主張するものもいた。 |
ティワナク文化中心地 | 首都ラパス近くのチチカカ湖の
東沿岸(そこから17km)にある。
ティワナクはプレ・インカ期の
遺跡名、およびその管区と村の
地名。
また、その時代の社会や文化を
さす言葉としても用いられる。
破壊がすさまじく、めぼしい
ものはない。
ただし、遺跡に付設する博物館に
出土遺物を展示。 |
ノエル・ケンプ・メ
ルカード国立公園 | 調査研究者の名を冠す、
元の名はウアンチャカ国立公園。
ブラジルとの国境にあり、大小
様々な湖がある。
川が合流する地域で、いくつかの
滝を形成し、アルコ・イリスの滝は
80mあり壮観である。 |