座乱読無駄話日記2

2019/05/23(木)14:23

茶摘女(ちゃつみめ)

♪夏も近づく八十八夜   野にも山にも若葉がしげる   あれに見えるは茶摘みじゃないか   あかねだすきに菅の笠  茜たすきに菅の笠とはいいますが、古い上林清泉の絵に出てくる茶摘女は、菅の笠なんかかぶってない。それに、茶畑は一面に葭簀のようなもので覆いがしてあって、遠くから見ても、あんまり茶摘みは目立たないかもしれません。  で、このような茶摘みの情景は、静岡とかあっちのほうで、宇治の茶摘みではないというのもどこかで聞いた。  でも、茶摘みときたら、絣の着物に、あかねだすき。赤い前掛けに、手甲脚絆というのが定番ですよね。紺と赤の対比も美しい。  コスプレ趣味でない人でも、茶摘み体験とかで、あのスタイルで緑の茶畑に出るとテンションあがるみたいです。大原女よりは幾分「若い」気もするし、頭に荷物のっけて歩くより楽そう・・・。 で、茶摘女は明治以来、ガイジン向けのお土産写真や、絵ハガキなどにもたくさん登場していますが、必ずしも定番のスタイルではありません。  みんな華やかな着物は、だれ一人として同じものはないでしょう。まあ、人気タレント並みのきれいどころに茶摘みの恰好をさせただけなのかもしれませんけれども。  本当のところは、そんなに若い子ばかりでもなく、江戸時代などは、色んな年齢層の女性が、おしゃべりしながら茶摘みをしていたかもしれませんけれど、近隣からも応援が来たというからには、大勢集まると、若い子たちが、そらあ、衣装にもこるでしょうねえ。  この上のは、若い女性だけですけれど、正直に茶摘み風景を描けば、こんな感じかも。  おばちゃんも、おばあちゃんもいるし、お年寄りは椅子に腰かけてもいいんだ! これは宇治のお茶摘みです。この絵の上のほうに葭簀をかけてるのが見えますが、宇治では昔はお茶の葉に直接日があたらないように、茶畑に覆いをしていたそうです(だから、茶摘み歌のように。♪あれにみえるは・・・といったように、遠目で見えません。)  定番の紺絣の着物に赤い前掛けではありませんが、あれはどうやら、静岡のあたりが発祥の地らしい。明治になって失業した旧幕臣のお侍さんが静岡(だって徳川さんの隠居地)で、製茶事業をはじめ、武家娘たちも労働をした、そのスタイルだという説もあるのですね。  でも、実はあのスタイルは戦後のもので、茶まつりなどで、そのイメージを全国区にしたというんですがどうでしょう。  茶の木人形の創始者の上林清泉は、1805年生まれで、人形の制作や絵などを本格的に始めたのは、50歳をすぎて、隠居してからだそうですが、彼は、宇治茶師の上林家に養子に入った人で、本来の系譜が金森宗和に繋がるとか、父親が円山応挙の門人だったとかで、なかなか芸術的な人です。  茶の木人形の衣装も、勿論江戸時代ですから、紺絣などではなく(前掛けは赤ですが)、帯は亀甲の豪華なもので(ちゃっきり節では鶯染めの帯と言っていますが、あれは静岡だし)着物も華やか。  この着物の文様は松竹梅かなあ・・と思っていましたら、茶の花文様だそう。  それは、まさしくそうかも!で、茶の花の文様を探しましたが、茶の実は橘とよく似ていて、家紋にもありますが、茶の花文様というのは、あまりよくわかりませんでした。現代作家が絵に描いて、帯などにあしらわれているのはあるみたいですが、デザイン化された伝統文様では、見つけられませんでした。  ところが、面白いことに、現代のマンホールのふたにはあるんですよ。 ↓東京都瑞穂町 ↓京都府和束町 そうなんです。このマンホールのふたの周りにあしらわれている花が、お茶の花なんです。どちらもお茶の名産地です(もう京都でも紺絣の茶摘娘スタイルですね)。 こちらも、よろしく。  ​座乱読後乱駄夢人名事典​     絵置き場。旧HP「座乱読ーザ・ランドック」の歴史上人物2000年描きの後‥少し停滞・・・。  ​座乱読ー別荘ー​     漫画をおいています。今は、高師直が主人公?の「足利家の執事」連載中・・

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る